新薬創出で世界有数の地位を占めてきた日本。世界初の免疫チェックポイント阻害剤として承認された小野薬品工業のがん免疫治療薬「オプジーボ」、エーザイのアルツハイマー治療薬「レカネマブ」など革新的な新薬を生み出してきた。しかし、近年は世界の新薬市場で日本のシェアは低下し、その地位に陰りが見える。
形勢逆転の切り札として注目されているのが、人工知能(AI)を活用した創薬だ。「2万分の1」(日本製薬工業協会)の新薬開発の成功率を飛躍的に高めると期待されている。AIは次のレカネマブを生み出せるか。その活用が日本の創薬開発力復活のカギを握っている。(時事通信経済部 編集委員・五十嵐誠、早川奈里)
低下する日本の地位
医薬コンサルティングIQVIAの調査を基にした医薬産業政策研究所の集計では、2021年の世界の医薬品売上高上位100品目のうち、日本は9品目、国別では4位だ。ただ、1位で47品目の米国に大きく水をあけられ、11品目のスイスと英国にも後れを取っている。直近のピークの16年(2位、13品目)以降は低下が続いている。
日本が出遅れているのはバイオ医薬品。微生物や動物細胞を培養して得られる高分子の薬だ。100品目の内訳を見ると、化学合成医薬品が53品目で、バイオ医薬品は47品目。日本は伝統的に強みを持つ化学合成品が7品目あるのに対し、バイオは2品目にとどまる。
AI、ゲームチェンジャーに
バイオ医薬品の一種、抗体医薬の分野で「AIを創薬の真ん中に使いたい」と宣言するのは、中外製薬の奥田修社長。同社は、AIを用いた抗体医薬創薬支援技術「MALEXA(マレキサ)」を実用化し、新薬の種となるリード抗体に適したアミノ酸配列を発見できる。研究で蓄積した抗体ライブラリーから遺伝子配列情報を取得し、AIが結合強度の高い抗体のアミノ酸配列を提案する。
既存抗体の1800倍の強度の配列を見つけ出し、英科学誌サイエンティフィック・リポーツに掲載された。奥田氏は「これまで研究者が試行錯誤しリード抗体を最適化していたが、その労力がなくなり、開発スピードも速まる」と強調。「研究者が思いつかない抗体の最適化ができる」と自信を見せる。
AI活用のメリットは、時間と資金を大幅に圧縮できることだ。一般的に一つの新薬を作り出すには、10年以上の歳月と2000億円以上の開発費がかかるとされる。バイオ医薬品が新薬の主流となり、設備や薬の原料調達の費用は一段と上昇している。新薬開発の成功率低下も相まって、製薬会社の収益は圧迫されている。AIによる効率化は、創薬の在り方を大きく変える「ゲームチェンジャー」となる可能性がある。
異業種連携も突破口
創薬AIでは異業種の連携も突破口となる。NECは、自社のAI創薬技術を活用し、フランスのバイオ医薬品企業トランスジーンと共同でがんワクチン「TG4050」の開発を進める。「個別化ネオアンチゲンワクチン」と呼ばれる治療法で、がん再発患者の遺伝子情報をAIで分析。がん細胞に特有の異常な遺伝子情報を特定し、この情報を基にがん細胞を攻撃する患者の抗体を増やして免疫機能を強化する。
約30億個もの遺伝子情報から、患者特有の異常を見つけ出すことなどにNECのAI技術を用いる。既に卵巣がんと頭頸(けい)部がんの臨床試験を始めており、AI創薬統括部の北村哲統括部長は「オーダーメード型のワクチンはこれまでない。AIの予測が当たってがんの標的が見つけられ、しっかりと再発予防ができるかどうかを試している」と説明する。
NECは、ワクチン開発などを支援する国際団体と共に、ベータコロナウイルス属全般に対応できる汎用(はんよう)ワクチンの開発も進める。IT企業がAI創薬を手掛ける場合、ツールなどの提供にとどまることが多いが、NECは創薬そのものに踏み込んだ。北村氏は「サービス提供だけでは見合う対価は得られない。予測技術に自信があるので、リスクを取って薬そのものを作っている」と強調。創薬を含むヘルスケア事業で30年度に事業価値5000億円を目指している。
富士通は理化学研究所と共に、スーパーコンピューター「富岳」を活用した次世代の創薬技術研究に取り組む。両者のAI技術を掛け合わせ、薬効が高く副作用が少ないとされる中分子薬や高分子薬の分野で、開発期間や費用を大幅に削減できる手法の開発を目指す。リコーも昨年、米スタートアップ(新興企業)買収を機に、コロナワクチンで注目された「メッセンジャーRNA」を使った医薬品の開発製造受託事業に参入。AI技術を活用し、人工多能性幹細胞(iPS細胞)を用いた創薬支援に乗り出している。
製薬大手も異業種企業との連携に意欲的だ。大塚ホールディングスは1月、物理学を応用した創薬開発技術を手掛ける米シュレーディンガーとAI創薬の共同研究を開始。同社は武田薬品工業とも契約するなど、こうした連携は迅速で低コストの新薬候補開発に欠かせなくなっている。
進まない医療データ活用
中外製薬は、AIなどデジタル技術を活用した創薬を進めるため、1700億円を投じて新たな研究拠点「中外ライフサイエンスパーク横浜」を建設。創薬機能を統合し、4月に稼働を始めた。デジタル部門を統括する志済聡子上席執行役員は「電子カルテから得られる患者の予後の情報や、副作用情報なども創薬に役立てたい」と意気込むものの、「医療情報は国が管理していたり、病院にあったりする。患者の同意がないと個人情報も取れず、製薬会社が自由に使える仕組みにはなっていない」と指摘する。
AIを活用した新薬開発には、臨床段階などでも個人を含めた包括的な健康医療データの活用が欠かせない。基盤整備の遅れは大きな課題だ。日本製薬工業協会は政府への政策提言で、「健康医療データのインフラ構築の遅れや、医療分野になじまない個人情報保護制度の存在により、データの十分な利活用を行う環境が整っていない」と訴えた。海外では欧州連合(EU)欧州委員会が、EU域内での健康医療データの統一基盤構築や利用目的、禁止事項を総合的に定めた法案(EHDS)を公表するなど着々と整備が進んでいる。
エーザイのレカネマブは抗体医薬だが、創薬段階でAIは用いられておらず、開発に20年近くを要した。岸田文雄首相は1月の施政方針演説で、レカネマブを「日本発、世界初のイノベーションだ」と称賛した。第2、第3のレカネマブを日本から生み出すには、製薬会社の努力だけではなく、データ基盤整備を含め、政府や行政、医療機関が一体となった後押しが必要だ。
(2023年4月19日掲載)