映画やドラマの性的シーン撮影に介入し、俳優が望まない演技を強要されないよう調整する専門家「インティマシー・コーディネーター(IC)」。浅田智穂さんは、日本では数少ないICの一人で、NHKドラマ「大奥」など多くの作品に携わってきた第一人者だ。映画界などで性被害の告発が相次ぐ中、注目が集まるICの役割についてインタビューした。(時事ドットコム取材班 太田宇律)
視聴者「安心して見られる」
NHKが初めてICを導入した「大奥」は、男女の立場が逆転した世界を描く時代劇だ。劇中では、女性将軍たちの寝所を描いたシーンがたびたび登場する。公式ツイッターは、浅田さんをICとして起用した理由について、「俳優が場合によって『NO』と言える環境を作り、萎縮することなくリラックスした状態で演技に最大限集中してもらうことを目指した」と投稿。視聴者からは「役者さんが守られていると安心して見られる」「上品さの中にあでやかさがあった」と好意的な反応が寄せられた。
肌が露出したり、性的接触を伴ったりする場面は英語で「インティマシー・シーン(親密な場面)」と呼ばれ、そんな場面の撮影を「コーディネート(調整)」するのがICの役割。浅田さんは「『大奥』では大胆な性描写が話題になったが、そうしたシーンの撮影は、俳優の同意を得て行われたかどうかがとても大切。公共放送のIC導入は、性的シーンの撮影はどうあるべきかを考える大きなメッセージになった」と振り返る。
ネットフリックスからの誘い
浅田さんは高校時代に米国へ留学し、現地の大学を卒業。帰国後、舞台照明スタッフの経験を積み、映画監督や演出家、俳優らの英語通訳としてキャリアを重ねてきた。
ICの活動を始めたのは2020年。動画配信大手「ネットフリックス」の日本法人にいた知人から、「今度映画に主演する女優の提案で、日本で活動できるインティマシー・コーディネーターを探している。よかったら、米国の養成プログラムを受けてみないか」と誘われたことがきっかけだった。
当時、日本ではインティマシー・コーディネーターという職業はほぼ知られておらず、「撮影現場でどれだけ煙たがられる存在か、容易に想像できた」と浅田さん。それでも、「やってみる価値はある」と決心し、約50時間にわたる米認定機関の養成プログラムを受講、試験に合格してICとしての一歩を踏み出した。
安心な撮影現場に「3つのルール」
浅田さんはICとして作品に関わる場合、制作側に「3つのルール」を示し、順守することを約束してもらうという。①俳優の同意を得ること②性器を隠す「前貼り」を使うこと③撮影は必要最少人数のスタッフで行うことーだ。
例えば、台本に「2人は激しく愛し合う」とだけ書かれていた場合、監督と撮影前に面談し、「激しく」とはどんな意味か、肌はどれほど露出するか、どんなポーズや画角で撮影するかなどを詳しく聞き取る。出演者には、1人ずつ、個別に制作側の意図を伝え、撮影可能なラインを見極めていく。関係者同士が対面しない形で調整を進めるのは、撮影現場のパワーバランスによる影響を避けるため。先輩・後輩といった俳優の上下関係などにも配慮し、必ず別々に意思を確認する。
浅田さんによると、事前に厳格な出演契約を結ぶ米国と違い、日本では、性的シーンの撮影や労働時間などをめぐるルールが明確化されておらず、俳優自身、演技の内容を知らないまま撮影当日を迎えることも珍しくない。「信頼関係があるから大丈夫」と話す監督もいるそうだが、浅田さんは「立場が上の人がそれを言っても成立しません」ときっぱり。前貼り使用や撮影スタッフ人数のルールも、俳優が安心して演技できる環境を作るための工夫だという。
撮影させないのではなく、撮影するため
ICとして過ごした3年間を振り返り、「想像していた通り、決してスムーズに活動を始められたわけではなかった」と語った浅田さん。「『俳優の権利を守っている』というポーズ、対外的なアリバイ作りに利用されている」と感じたこともあったという。
「ICは、性描写のあるシーンを検閲するためではなく、監督が表現したいものを最大限実現するためにいるんです」。撮影させないためではなく、撮影するために必要な環境を整え、俳優が演技に集中できるようサポートするのがICの役目だと考えている。
関わる作品が増えるにつれ、ICへの理解も広がりつつある。視聴者から「自分の『推し』(好きな俳優)を守ってくれてありがとうございました」「これまで性的なシーンは苦手でしたが、安心して見ることができました」と感謝のメッセージが届くことも増えた。撮影関係者以外からの反響は想像もしていなかったといい、「視聴者にも、性的なシーンは安全、安心な現場で撮られるべきだという認識が根付きつつある」と受け止めている。
日本にも認定機関を
近年、映画界や自衛隊内で性被害が相次いで発覚。強制性交等罪の名称が「不同意性交等罪」に変更されるなど、地位やパワーバランスを利用した性加害が問題になっている。インタビューの最後に、こうした性加害についてどう考えているか質問してみると、浅田さんは少し考え、こう話した。
「どんなところでも、立場によってパワーバランスが生じるのは仕方がないことです。大切なのは、自分が相手の立場だったらどう感じるかを考え、相手と丁寧にコミュニケーションを取ること。社会も性的な話題にふたをせず、きちんと向き合う。それができれば、たくさんの問題が解決するのではないでしょうか」
2023年3月現在、浅田さんがICとして関わった映画やドラマは約20本に上る。進行中の企画も複数あり、通訳の仕事も並行しているため、多忙な日々を送っているという。浅田さんの目標は、日本国内でICの認定資格が得られるような機関を立ち上げること。「エンターテインメントが好きなので、日本初のICとして活動するだけでなく、後続も育てていきたい」と意気込んでいる。
浅田智穂(あさだ・ちほ) 東京都出身。ノースカロライナ州立芸術大卒業。帰国後は通訳として、主にエンターテインメントに関する分野で活動する。2020年、米認定機関の養成プログラムを修了し、ICとしての活動を開始した。