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浮世絵の伝統つなぐ美の工房 ジョブズも愛した「新版画」【銀座探訪】

2023年04月22日18時00分

 「浮世絵」と聞いて思い浮かべるのは、喜多川歌麿の美人画や葛飾北斎の「富嶽三十六景」などだろうか。19世紀後半、「ジャポニズム」の名のもとに西洋の芸術文化に大きな影響を与えた多色刷りの木版画。その技法を継承しながら、古き良き日本を描いた「新版画」と呼ばれる木版画作品が今、人気を集めている。米アップル創業者の故スティーブ・ジョブズも魅了した「近代の浮世絵」の美を生み出すものとは―。

銀座生まれの「浮世絵」

 銀座8丁目にある渡邊木版美術画舗(渡邊版画店)では、「摺(すり)師」と呼ばれる職人が伝統的な技法で木版画作品を1枚1枚手摺(ず)りしている。2月上旬、店舗があるビルの7階の工房を訪ねると、鮮やかな青色と黄色が目に飛び込んできた。上半分が青色、下半分が黄色の、ウクライナの国旗のような制作途中の作品に、黙々と色を重ねていた林勇介さん(42)は、大学の文学部を卒業後、物作りの仕事がしたくて京都の伝統工芸専門学校(現・伝統工芸大学校)で学び、この道に入って16年になる。

 林さんが取り組んでいたのは、隅田川に架かる優美な鉄の橋を描いた「清洲橋の夕」。近年に人気が高まっている川瀬巴水(かわせ・はすい、1883~1957年)の作品で、たそがれ時の清洲橋が黒く浮かび上がり、火影が水面にきらめく。巴水の代表作の一つである「清洲橋」とは別の角度から描いた中判の版画で、元は特注のカレンダー用に1936年に制作されたという。

 「最初は輪郭。そして下地の色。空の水色、水の下地の黄色、橋の下地のネズミ色など、面積の大きい下地の色を入れてから、薄い色から入れていきます」。この段階までで既に20回ぐらい色を重ねたそうだ。版木の下半分にプルシャンブルーとスカイブルーを混ぜた絵の具を載せ、ばれんで摺り込むと、水面の輝きが黄色く染め抜かれたように浮かび上がった。

フルカラーの日本の原風景

 取材に訪れた日、多種多様な版画作品が並ぶ1階の店舗に、専属のベテラン摺師、渡辺英次さん(62)が昨年暮れから1カ月半ほどかけ仕上げた132枚の「社頭の雪(日枝神社)」を届けに来た。これも巴水の作品で、降りしきる雪の中、初詣に訪れた着物姿の2人の女性が日枝神社の参道を歩む様子が描かれている。

 川瀬巴水は洋画と日本画を学んだ後、渡邊版画店創業者の渡邊庄三郎(1885~1962年)と組んで「新版画」に取り組み、風景画を中心に600点以上の木版画を制作した。「版木が残っているのが90種類ぐらい。あとは関東大震災で焼け、戦争での被害もありました」と創業者の孫で三代目の章一郎さん(63)は話す。

 大正時代に新版画が誕生した背景には、印刷技術の発達で印刷物を加工したものが版画として売られたり、第1次世界大戦の影響で新作の浮世絵を輸出できなくなったりして、国内で新たな需要を喚起する必要性が出たことにある。「祖父は、江戸の木版画の技法を使って失われていく日本の美しい風景、風俗、文化、人々の喜びを写真ではなくフルカラーの木版画で残していこうとしました。江戸時代の浮世絵に娯楽や報道の役割があったとするならば、新版画は最初から美術品として作られたものでした」と章一郎さん。

 巴水は日本各地を写生して歩き、旅情豊かな作品を残した。題材は名所旧跡というより生活感のある風景。それも、夕暮れ時や夜、雪や雨の日が多い。「この時は雨が降っていてちょっと寒かったとか、夕焼けがきれいだったとか、人間の心の中の風景が写されている。ただの絵はがき的な絵ではないということです」

60回以上色を重ねることも

 新版画は浮世絵同様、絵師(画家)、版木を作る彫師、そして摺師の分業で制作され、版元はプロデューサー的役割を果たした。渡邊版画店では、初摺り作品を扱うほか、当時の版木を使った後摺りや、版木を作り直した復刻版を制作している。

 制作工程には地味な作業もある。摺師の渡辺さんは「版木の調整に時間がかかります。古い版木は縮んでしまっているので、水を塗って、ぬれた新聞紙に挟んでビニール袋に入れて伸ばします。今回は版木が7枚ぐらいあったかな。一番大きい板に合わせて、これは2ミリ、これは3ミリ、これは5ミリと伸ばすのも技術の一つ。ぴったり合わせるのは意外と大変です」と笑う。

 渡辺さんは1982年に同店で修業を始めたという。それまでは「全く畑違い」の自動車の整備工場に勤めていたが、新聞で「木版画の職人募集」の一行広告を見つけて応募し、採用された。8年ほど前まで銀座の工房に勤務し、今は在宅で仕事を請け負っている。

 「木版画は高校の美術でやって楽しかったんですよ。ここに入った時、浮世絵を作る仕事があることにびっくりしました。作家によって色使いや摺り方が全然違うのが面白い。巴水さんの色使いは繊細で、実際に見た風景の美しさが再現されている。銀座は一流品がそろっているから、本物のきれいな色を勉強できてよかったと思います」

 浮世絵は15回ぐらい摺りを重ねるが、新版画の場合、30回程度は当たり前、60回以上になるものもあるという。摺り見本を見ながら水彩絵の具の色を調合し、色を重ねる順番も考える。「自分で作った色が重なって、出来上がりが変わる。同じものは絶対にできないけれど、職人なので、同じように見えるようにできるんです。20年たった時、何とか1人でできるかなと思いました」

手仕事のぬくもり

 渡邊版画店は1909年に京橋で創業、25年に銀座に移転した。章一郎さんは並木通りに面した店で生まれ育つ。子どもの頃、近所にある銭湯の金春湯の屋上で缶蹴りをしたり、路地でキャッチボールしたりして遊ぶ一方、「究極の英才教育」を受けた。「座敷に座らせ浮世絵や新版画を出してくるんです。子どもが見たって分かるわけはないんですけれど」。でもそれが、大学卒業後、銀座・和光での勤務を経て、家業を継いだ時に大いに役立った。

 同店では、通称「大波」で知られている北斎の「神奈川沖浪裏」など浮世絵の定番も2年に1度くらい摺るという。「浮世絵の摺師で摺れない人はいません。版木はうちにもありますし、どこの版元にもあると思います。摺り見本も違うので、おどろおどろしい『大波』もあれば、すごく明るく爽やかな『大波』もある。私は、おどろおどろしい方が正しいように思います」と章一郎さん。

 江戸の浮世絵が国内より先に海外で美術品として評価されたように、新版画も多くの外国人に愛された。ジョブズもその一人で、1984年に初代マッキントッシュを発表した時、明治・大正期の浮世絵研究者としても知られる橋口五葉が1920年に制作した「髪梳(す)ける女」をモニターに映し出したエピソードが知られる。ジョブズとの関わりがテレビのドキュメンタリー番組で紹介されると、新版画が広く注目されるようになった。

 ただ、昨今の新版画ブームの理由はそれだけではないという。「昔から浮世絵の世界では、景気がいい時は歌麿や北斎、東洲斎写楽の力強いものが人気で、景気が悪くなったり、世の中の情勢が不透明だったりすると(歌川)広重とか、巴水の人気が出るとよく言われました。今がまさにそう。(2011年の)東日本大震災以降の10年、加速度的に人気が出てきています。広重の『名所江戸百景』は安政の大地震から復興する江戸を描いていますが、それと東日本大震災がかぶさったのかもしれません」と章一郎さんは指摘する。

 摺師の渡辺さんは4月、川瀬巴水の「西伊豆木負」(復刻版)を約100枚摺り上げ、納品した。満開の桜と駿河湾の向こうに富士山を望む作品で、初摺りはジョブズのコレクションにもある。

 何層も色を重ねることで生まれる新版画の深い味わい。そこには、表面だけを写し取った印刷物やデジタルコピーでは決して伝えられない手仕事のぬくもりがある。

(時事通信編集委員・中村正子、カメラ・入江明廣 2023年4月22日掲載)

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