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論じられない「虐待サバイバー」の困難 児童虐待防止に必要な支援と理解

2023年04月14日10時00分

「水」拭いているだけ

 「この国は一体全体、児童虐待がなくならない原因に、いつ気が付くのだろう…?」

 児童期の虐待を生き延びた者(虐待サバイバー)として、私はいつも深いため息をついています。なぜなら、この国の虐待対策は、下のイラストのようなものだからです。イラストで「水」は虐待された子どもを表しています。水を拭き取ることで虐待を無くそうとしているのが、現在の日本の虐待対策です。

 しかし、「水」は無くならず、専門家や世間は「拭いても、拭いても、水が無くならない。どうしてなのだろう?」と言い、この状態が30年間も続いています。「水」が無くならないのは、「壊れた蛇口」から「水」が漏れ続けているためです。拭き続けるよりも、「壊れた蛇口」を修繕してみたらどうかと思いませんか?

 「壊れた蛇口」とは、虐待する親のことです。世間は「虐待死」が起きれば大騒ぎし、虐待する親を叩く傾向にありますが、虐待する親について「異常なサイコパスで、自分たちとは違う特殊な人間だ」と、皆さんは考えていらっしゃいませんか?

 実際は、多くの虐待する親が、子ども時代に虐待の被害に遭っている「虐待サバイバー」です。さらに、サバイバーは大人になって「複雑性PTSD」という虐待の後遺症に悩まされます。

生き残れば一件落着?

 複雑性PTSDは重度の精神疾患です。1度限りの被害体験で生じる単発性のPTSD(心的外傷後ストレス障害)と区別し、児童虐待のような長期反復型のトラウマ体験で生じる心の後遺症を指します。2018年に公表された世界保健機関(WHO)の国際的な診断基準の最新版(ICD―11)に採用され、日本の厚生労働省も同年に追随して認定しました。

 「虐待死」がクローズアップされる一方、世間は「虐待サバイバー」に無関心です。虐待から生き残れば一件落着であるかのように考える方が多いようです。しかし、児童虐待に苦しめられているのは、今の子ども達だけではありません。虐待を生き延びて大人になった後も、複雑性PTSDで何十年、下手すると生涯にわたって苦しむ人々がこの国には大勢います。しかも、そうした人たちは貧困や孤立に陥っていることが少なくありません。子どもを愛しているのに、まともに子育てができない状態に追いつめられているのですが、その実態はあまり知られていません。

 つまり、虐待サバイバーに対する支援の放置こそが、この国の児童虐待が解決しない大きな要因となっているのです。

ご飯はいつも鼻水の味

 近年、児童虐待は増加していると言われていますが、実際には昭和の時代から多かったはずです。私は1983年の生まれで、児童虐待防止法が制定される以前に子ども時代を過ごしました。児童相談所は今のように児童虐待に対応する機能を果たしておらず、学校や警察も子どもの虐待にほとんど介入していない時代でした。

 児童虐待防止法が制定されたのは2000年で、わずか23年前まで、この国には虐待を防止する法律が存在しませんでした。それまでは「虐待」という言葉の認識が社会になく、ひどい虐待を受けても子どもが救済されることが稀な時代だったのです。

 これが何を生み出してしまったかといえば、「壊れた蛇口」で表現した、虐待する親の存在です。私自身も、義父から頻繁に暴力を振るわれました。倒れこんでしまうほど強い力で腹部を殴られたり、食事の時に太い箸で頭を強く叩かれたりしました。ご飯はいつも涙と鼻水の味しかしませんでした。思春期になると、義父がわざと全裸を見せてくる性的虐待も受けました。

無差別殺人を夢想も

 実の母も次第に毎日のご飯すら作らず、育児を放棄していくようになりました。「お前なんか産むんじゃなかった!」。母からそう罵声を浴びせられるような日々となり、私は12歳で自殺未遂をしています。

 母に貯金箱で殴られ、血だらけになったこともありましたが、その傷跡に気づく教師はいませんでした。それどころか「お母さんに苦労をかけないように」と頓珍漢な言葉を投げてくる教師もいました。不公平な社会への恨みを晴らそうと、無差別殺人を夢想した時期もありました。

 私に子どもはいませんが、今の親世代が私と同様に、子ども時代に虐待を受けたり、貧困や機能不全の家庭で育ったりして心の病を抱え、壊れてしまっています。心の病が重くなって複雑性PTSDを患いながら、子育てをしている親がたくさんいるのです。

本当の地獄は終わってから

 実際に私は、子ども時代に受けた虐待もあまりに辛いものでしたが、大人になって安全な環境へ逃れられてからが、本当の地獄の始まりでした。重度のうつや過度の緊張、対人関係の困難さといった症状に悩まされ続け、医師の診察を受けても当初、診断は適応障害でした。後に「複雑性PTSDを起因とする、うつ病や適応障害、境界性パーソナリティ障害など」と判明するのですが、判明しても症状が劇的に改善するわけではありません。

 安定した職に就いても病気で職を失い、結果的に貧困になり、貧困であるために病気が良くならないという悪循環に陥ってしまいました。頼れる人や団体も少ないために孤立し、貧困と相まって「生活苦」になってしまいました。それが成人後、すでに20年も続いています。

 自らの体験を明かした本を出版したことで、多くの虐待サバイバーと関わる機会を得ました。その中で知ったのは、複雑性PTSDを患っていたり、社会常識や学力・教養がきちんと身に付かないまま大人になってしまったりする人が多くいることです。

 貧困や生活保護に陥った後、困った時に頼れる親戚や団体がとても少ないために、子どもを虐待してしまう実態も目の当たりにしました。虐待は必ずしも連鎖するわけではありませんが、虐待児が大人になった時、精神疾患や生活苦が原因で図らずも連鎖させてしまう可能性は、残念ながら高いのです。

虐待を「再生産」するもの

 私を虐待した母も、実は子ども時代に虐待された被害者でした。母の場合は、実の父(私の祖父)から顔を強く殴られたり、実の弟と差別され続けて深く傷つけられたりといった仕打ちを受けていました。このため母も重い心の病を患ってしまった上、貧困・孤立で追い詰められた結果、子ども(私)に虐待してしまったのです。虐待する親が抱える「生きる困難さ」は、決して珍しいものではありません。

 しかしながら、複雑性PTSDを始め、虐待の後遺症に苦しむ大人のトラウマ・ケアに取り組む専門家が日本では非常に少なく、虐待サバイバーが精神科へ通っても適切な治療を受けることは難しい現状にあります。さらに、公的支援が整っておらず、行政の相談窓口さえありません。重度の心の病に加え、貧困や孤立に陥った虐待サバイバーが支援につながらず、わが子を愛しながらも虐待を連鎖させてしまいやすい環境に日本社会はあると言えます。

 言葉を変えれば、虐待の後遺症を持つ大人に対する無知と放置が、児童虐待を「再生産」させてしまっているのです。児童虐待は子ども時代だけの問題ではありません。虐待を生き延びた大人たちも苦しめられており、社会は虐待サバイバーの声をもっと聞くべきです。それが今の子ども達はもちろん、将来にわたって子ども達の安全を守る上で非常に重要なことだと考えます。

未来の子供を救うには

 虐待サバイバーを支援することは、今、そして未来の子ども達を救うことへと確実につながります。なぜなら、いま虐待を受けている子どもたちも、いずれは大人になるからです。その時、「もう大人だから」という理由で支援を受けられない冷たい社会に放り込まれ、子どもたちの未来は幸せなものになるでしょうか?子ども時代に虐待を受け、必死で生き延びて大人になっても、なお社会から見放されるという二重の不幸を防がなければなりません。

 効果的な虐待対策には、二つの大きな柱が必要です。一つは、今の子ども達を虐待から救済し、適切な心のケアができる児童養護施設で1人でも多く育てることです。先進他国に比べて日本は、児童養護施設や里親といった「社会的養護」下で暮らす子どもの数が少な過ぎるという問題もあるのですが、あまり知られていません。

 もう一つは繰り返し述べてきたように、心に病を負ってしまったサバイバーの治療や公的支援をいち早く充実させることです。虐待サバイバーを包括的に救済する法律を新たに作る必要もあるでしょう。

 大人の福祉を充実させることは、子どもの福祉へも確実につながります。子どもと大人、両方に対する支援を2本柱で進めなければ、もう間に合わないところまで日本は来ているという危機感を、社会全体で持っていただきたいと切に願います。


羽馬千恵(はば・ちえ) 1983年、兵庫県生まれ。帯広畜産大学・卒業(農学修士号)。著書に「わたし、虐待サバイバー(ブックマン社)」。虐待の後遺症である「複雑性PTSD」について社会啓発をしている。

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