ブレット・モーゲン監督、編集
変容し続けた外観、そして変わらなかった魂
凡人は、天才を一つの肩書に押し込めがちだ。しかしボウイの多才ぶりは、決して一つの言葉でまとめられるものではない。あえて言うなら「20世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」とでもしておこうか。この映画を見れば、彼が単なるミュージシャンにもファッションリーダーにもとどまらず、ある種の哲学、宇宙観をもって時代を切り開き、誰にも手の届かないカリスマとなっていった理由が分かる。(ライター・仲野マリ)
監督したのは、ブレット・モーゲン。すでに2007年に生前のボウイに直接会って、ドキュメンタリー制作を打診している。他者のインタビューなどを一切廃し、本人の言葉や音楽のみで構成したいという要望は、本人の望む形でもあった。しかし「今はその時ではない」と丁重に断られたという。そしてボウイがこの世を去った今、デヴィッド・ボウイ財団が公認する形でこの映画が製作された。まさに「今こそ、その時」なのだ。
1969年、ボウイのシングル『スペイス・オディティ』が大ヒット。そして70年にはサードアルバム『世界を売った男』をリリースした。当時、時代は確かにサイケデリックではあった。長髪のロックミュージシャンも、すでに珍しくない。それでもボウイは特別だった。男性が妖艶なメークをしてステージに上がった時、それは新しい時代の到来の鐘となった。
ただし、彼は単なるファッションとしての「男性メーク」フロンティアではない。まだLGBTQ(性的少数者)に対する偏見が強かった時代、マイノリティーに勇気を与えたアイコンでもあるのだ。
とはいえ、彼自身がLGBTQを標榜(ひょうぼう)した、ということではない。彼の性的指向を執拗(しつよう)に聞き出そうとするインタビュアーに対する、ボウイの対応は印象的だ。マスコミは化粧に特別な意味を持たせ、ボウイを特定のカテゴリーに押し込めて評価しようとするが、若いボウイはよろいを身にまとって隙を見せない。禅問答のような受け答えに終始するのみだ。ステージ上で爆発する分、場外では至って寡黙だった。すべては、歌の中、詞の中、ステージパフォーマンスの中にあるのだから。
斬新な音楽と派手なパフォーマンス、目を見張るステージコスチューム―、宇宙から地球を救いにやってきた者というキャラクターになりきって72年に発表したのが大ヒットアルバム『ジギー・スターダスト』だった。しかし、ボウイはそれを1年ほどで封印。76年には新たに“シン・ホワイト・デューク(痩せた蒼白き公爵)”というキャラクターを打ち出す。
ベルリン在住時代のボウイへのインタビューが興味深い。「スターであること」が最終目的ではない、ということが分かる。彼の寂しい横顔からは、「これまでと同じ音楽を繰り返すことでカネを稼いで何になる?」という気概と、それを受け入れない世間への諦観が入り交じる。70年代後半、壁がまだあった頃のベルリンでボウイが描いた数々のスケッチ。ある時は宇宙人のように未来を見通す男が、ここではゴッホのように、地面をはいつくばって生きる人間の内面にフォーカスしていることが分かる。
彼の初主演映画は76年の『地球に落ちて来た男』(英国)である。「化粧の男」「中性的な魅力」がボウイに対する世間の印象であった時代、化粧を落としたボウイのあまりの普通さは多くの人々を拍子抜けさせた。80年、彼はブロードウェーで上演された舞台『エレファント・マン』にも主演している。人からは「怪物」のように見られる男の、純粋で真っすぐな魂を演じる難しい役どころである。この映画でその一部が見られるのもうれしい。あたかもボウイが「化粧」というよろいの内側に秘めた本心の叫びが聞こえるようだ。
そして83年のアルバム『レッツ・ダンス』で打ち出した明るく軽快なリズムは世界を席巻し、ボウイはまた新たなフェーズへと突入する。日本人にとってはこの時期、曲のヒットと共に、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』で旧日本軍の捕虜となった英国陸軍少佐を演じたボウイが鮮烈な印象を残したはずだ。この頃には、彼が化粧をしようがしまいが、ボウイはボウイとして評価されるようになる。
この映画を見て感じることは、ボウイがいかに未来を見通していたか、そして魂の自由を最優先に考えていたか、である。世間とのあつれきなどものともしない「自分軸」。変容する自分をも、丸ごと受け入れる度量の大きさには感嘆するしかない。
例えば、若い頃「デヴィッド・ボウイは演じない」と豪語していたけれど、やがて「他人が求めるデヴィッド・ボウイを演じていた」とも言う。自由であり続けるためにスターであることを捨てることさえいとわなかったベルリン時代を経て、久しぶりに満員のステージに戻ってきた時、かつてのヒット曲を合唱する観客たちを感無量で眺め、「たまにはスターもいいね」とほほ笑むボウイの寛容さは、もはや神々しいとさえ言える。
2023年2月、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が、8万点以上に及ぶデヴィッド・ボウイの膨大なアーカイブを取得したことが報じられた。そして25年には記念館もオープンするとの続報も出ている。音楽の才能にとどまらず、20世紀後半の価値観の爆発的変容の希望とゆがみを一身に引き受けて最先端を走り続けたボウイの異才を、まずはこの映画で体感してもらいたい。
『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』は3月24日公開。
(2023年3月17日掲載)