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「ビリー・ホリデイ物語 Lady Day at Emerson’s Bar & Grill」(米国)【今月の映画】

ロニー・プライス監督/演出

過酷な運命と闘った天才歌手の軌跡

 1959年7月17日、ビリー・ホリデイはわずか44年の短い生涯を閉じた。ジャズ史上最高といわれる女性シンガー。彼女はなぜそう呼ばれるのか。そしてあまりにも早く命が燃え尽きた理由は。ニューヨーク・ブロードウェーの大スター、オードラ・マクドナルドがビリーを演じ、その生涯を表現した舞台の様子がスクリーンで上映される。(時事ドットコム編集部 冨田政裕)

〔写真特集〕ブロードウェーの大スター、オードラ・マクドナルド

 ビリーが米国のボルティモアで生まれたのは1915年で、今から100年と少し前のこと。彼女が長生きの人なら、21世紀の世界をその目で見ていたことだろう。他界してもう60年以上がたち、輝かしいその名もセピア色がかかっているが、ブロードウェーの看板女優であるマクドナルドが演じるビリーは鮮やかだ。モノクロ映像やレコード音源でしか触れることのできなかった歴史上の人物が、色彩と肉体をもって立ち現れたようなインパクトがある。

 この作品は1959年3月、ビリーが死の4カ月前に米フィラデルフィアの小さなクラブで開いたステージを描いている。2014年にニューオーリンズのカフェ・ブラジルでマクドナルドが主演を務め、有観客で上演した舞台「レディー・デイ・アット・エマーソンズ・バー&グリル」を収録したものだ。米演劇界最高の栄誉とされるトニー賞に6度輝いているマクドナルドは、ビリーが憑依(ひょうい)したかのごとく歌い、テーブルの間を歩いて客に語り掛ける。

 歌と語りを軸としたシンプルな構成なのに、作品はどっしりとして濃密。それほどビリーの一生は、苦難に満ちていた。端的に言えば、貧困と人種差別、麻薬とアルコールの依存症との闘いである。黒人に生まれたというたった一つの理由で、彼女は残酷な作家でも描けないほどの過酷な運命を背負わされた。

 作品の中で語られる数々のエピソードはやや駆け足なので、ある程度の背景を知っていたほうが追い付きやすいかもしれない。

 ビリーが生まれたときに母親は13歳、父親は15歳だった。父は楽団に加わって演奏旅行に出たままとなり、別居状態に。ビリーは親族に預けられ、いとこの暴力に苦しむ生活が続いた。10歳のときに強姦され、被害者であるにもかかわらず不良少女の烙印(らくいん)を押されて感化院へ。その後は食べるために娼婦に身を落とし、理不尽な出来事で刑務所に送られたこともあった。

 不幸な境遇の中でビリーの希望であり続けたものは歌だった。売春宿には蓄音器があり、そこで聴けるジャズに心を慰められた。やがて大好きな歌を職業にするチャンスをつかみ、クラブで人気を得ていく。

 しかし歌手としての名声を得た後も、黒人差別が消えることはない。人間としての尊厳は絶え間なく傷つけられ、温かい愛に守られた安住の場所にも恵まれなかった。付き合った男から麻薬を与えられたことでまた人生が狂い始める。麻薬使用の前科を持った黒人に対する官憲の監視は容赦がなく、憎悪に満ちていた。ビリーは苦しみから逃れようと酒にすがり、身も心もむしばまれていく。そしてニューヨークの酒場で歌う権利までもが奪われた。

 気丈な振る舞いと、背中合わせにある人の心のもろさ。希望の光を包み隠そうとする終わりのない絶望。ビリーが抱えた光と影を、マクドナルドの圧倒的な演技と歌唱で染め分けいく瞬間はスリリングだ。歌うために必要なものは「感じ取ること」だとビリーは言う。喜びも悲しみも、胸に感じたままに表現する。それが心の叫びへと昇華し、フレージングは個性的なものとなって人々の胸を打つ。深い苦しみの底から希望を仰ぎ見たことと無縁ではなかっただろう。そうした部分をマクドナルドが見事に表現している。

 有名な代表曲「奇妙な果実」は、リンチを受けて木に吊るされた黒人の死体を歌ったものだが、ビリーは別の情景も重ねていた。彼女の父は病が重篤になったときに黒人だからという理由で病院になかなか受け入れてもらえず、痛ましい最期を迎えた。その悲しみを込めて歌ったといわれる。

 ビリーにはそうした重いイメージがある一方、彼女が夢見ていたであろう希望や恋心を歌った明るい楽曲も多い。この映画の中で歌われるナンバーは、回想とシンクロするものが巧みに選ばれている。ビリーが本当に欲しかったものも明らかにされるが、そのささやかな幸せすら許さなかった時代と社会の悲しさがにじんでくる。

 3月10日から全国で順次限定公開。

(2023年3月3日掲載)

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