東京電力福島第1原発で、炉心溶融(メルトダウン)が起きてから12年。政府は放射性物質トリチウムを含む処理水を今年春から夏にかけて海洋放出する方針だ。ただ、政府と東電が2015年に福島県漁業協同組合連合会と「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」と約束したはずの「理解」は、いまだ得られていない。地元の漁業者は「反対」を表明しながらも、複雑な思いで状況を注視している。
「環境や人体に影響なし」
2月25日に福島県いわき市で開かれた漁業関係者と西村康稔経済産業相との意見交換会。浜通りの相馬双葉漁業協同組合の石橋正裕さんは「われわれ漁業者の『理解』は、誰がどのように判断するのか」と問いただした。これに対し、西村氏は「繰り返し丁寧に説明していく」と述べるにとどめた。
処理水は、原子炉内に溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の冷却などで日々発生する汚染水から、大半の放射性物質の濃度を基準値以下に低減させたもの。多核種除去設備(ALPS)などで浄化処理するが、水素に近い性質のトリチウムは除去することができない。
現在、処理水を保管するためのタンクは1000基超あるが、今年夏から秋ごろには満杯になる見通しだ。タンクの数を減らさなければ、今後の廃炉作業に支障が出るとして、政府は21年4月に海洋放出する方針を決定、今年1月には「春から夏ごろ」に海洋放出を開始すると確認した。
政府は国の規制基準の40分の1となる1リットル当たり1500ベクレル未満に薄め、海底トンネルを通じて原発から約1キロ沖合の海に放出する予定だ。トリチウムの海洋放出は、国内外の原子力施設で行われており、政府は「環境や人体への影響は考えられない」と説明する。
廃炉も重要
処理水の海洋放出は第1原発の廃炉作業と密接に関連する。福島県漁連の野崎哲会長も、福島で生活する以上、「廃炉は進めなければならない」と重要性を認識している。
処理水の海洋放出には県漁連会長として反対の立場で、「ここ(福島)で漁業を続ける以上、反対の旗を降ろすわけにはいかない」と話す。ただ、「廃炉と生活を切り離せたら、どんなに楽か」とこぼし、複雑な心境をのぞかせた。
相馬双葉漁協の今野智光組合長も、福島の沿岸漁業の復興に廃炉は必要不可欠との立場だ。「(処理水の海洋放出には)基本(的に)反対だが、一日も早く廃炉を進めてほしい」と考える。
組合員の多くを占める沿岸漁業者は、沖合や遠洋漁業と異なり、廃炉と懸念される風評被害に「最後まで付き合わなくてはならない」のが実情だ。数年にわたり考え、「(処理水放出に)反対、反対と言っていても廃炉は進まない」と覚悟を決めたという。
政府・東電と深い溝
第1原発事故後、福島の漁業関係者は一時操業自粛を余儀なくされた。その後、安全性が確認された海域や魚種を絞って操業する「試験操業」を開始。ただ、試験操業開始直後は、「試食を拒否されることもあった」(石橋さん)など苦しい思いをしてきた。21年3月に試験操業を終え、現在は本格操業に向けた移行期にある。
政府は、処理水放出で風評被害が起きた際の水産物の買い取りなどに約300億円の基金を設けたのに加え、昨年、燃油コスト削減など漁業の継続を支援するため500億円の基金を創設。さらに農林漁業者らとの説明会や意見交換会を約1000回実施したことを強調する。
それでも、漁業関係者との溝は深い。石橋さんは新たに創設された500億円の基金について「地元に対する優先度が全く感じられない」と西村経産相にぶつけた。今野さんも政府や東電に質問しても縦割りで必要な回答を得られないとして、「距離は全く縮まっていない」と指摘する。
震災から12年を迎えた3月11日。岸田文雄首相は、処理水放出に関し「関係者の理解なしには行わない」と表明した。ただ、何をもって「理解」を得たと判断するのかははっきり示されておらず、県漁連が反対の旗を上げ続ける中、処理水の保管場所の限界が迫り、海洋放出が始まることが懸念されている。
苦悩する漁業者
2月中旬に福島県を訪ねると、漁業関係者は苦悩していた。福島県漁業協同組合連合会の野崎哲会長は、処理水の海洋放出に反対の立場を強調した一方、組合員の多くが沿岸漁業に従事する相馬双葉漁業協同組合の今野智光組合長は反対を貫くことに疑問を感じていた。福島県新地町の漁師、小野春雄氏は福島県の漁業の衰退を懸念していた。主なやりとりは次の通り。
◇反対の旗、降ろさず 野崎氏
―処理水の海洋放出の時期が近づく。
15年に国と東電との間で「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」と約束しており、反対だ。われわれは福島で漁業を続けるため、反対の旗を降ろすわけにはいかない。
ただ、福島で暮らす以上、廃炉も進めなければいけない。国と東電には、海洋放出を国と東電の責任で行うことを心の中に持ってほしい。
―懸念される影響は。
消費者の(買い控えなど)拒否感は起こるだろう。国や福島県が水産物のモニタリング検査を継続することが大切だ。消費者の方には、数値として出た結果を冷静に見て判断してもらいたい。
―政府は新たに500億円の基金を創設した。
基金は、福島だけではなく全国の漁業者を支援するための基金だ。基金を積むのは悪いことではないが、われわれは反対の立場を表明しているので、基金を積まれても了解に転じることはない。
◇反対、反対と言っても 今野氏
―原発事故による水産業への影響は。
今も続いている。昨年1月にクロソイから(国の)基準値を超える放射性物質セシウムが検出され、出荷制限が続いている。今年2月にはスズキが(国の基準は下回るものの県漁連の自主基準を)上回ったため、出荷を自粛している。スズキは漁獲高も多く、打撃だ。漁師の収入も震災前の半分程度にとどまっている。
―海洋放出をどう考えているか。
基本的には反対だが、地元としての苦悩はある。われわれのような沿岸漁業者は、数十年続く海洋放出に最後まで付き合わなければならない。
廃炉が遅れるということは、われわれ(沿岸漁業者)の復活が遅れるということだ。そのために一日も早く、廃炉を進めてもらいたい。(処理水放出に)反対、反対と言っていても廃炉は進まない。
―政府に求めることは。
福島では今、資源管理型漁業を目指している。ヒラメなどの漁獲サイズを制限したり、稚魚放流を実施したりし、将来にわたり漁業が続けられるようにする取り組みだ。そのため、政府には20~30年、持続可能な漁業を目指すために必要な設備投資などハード面の支援をお願いしたい。
◇海を汚さないで 小野氏
―海洋放出の受け止めは。
廃炉は進めてもらいたいが、処理水の海洋放出には反対だ。政府は本来、被害者である福島県や漁業者を守るべきだ。放出により福島の魚が売れなくなり、回復に10~20年もかかったら、漁師の体力は持たない。海はわれわれの仕事場であり、誰も汚さないでほしい。
―懸念は。
魚が売れなくなったら、漁師は生活ができなくなり、福島の漁業は衰退してしまう。処理水放出は、福島の水産業をつぶしかねない行為だ。