都会的で小粋な作品を上演する劇場と、子どもたちに幸せな夢を運ぶおもちゃの専門店が銀座の中央通りに誕生して40年余りになる。二つの個性的な顔を持つ博品館は、遊び心をくすぐる仕掛けも楽しいワンダーランド。建物の中央にあるガラス張りのエレベーターは今では珍しい油圧式で、周りを取り巻くらせん階段から中の構造を見ることができる。4階にあるスロットカーサーキットは、テラス窓の向こうに見える高速道路が借景となって迫力満点だ。「エンターテインメントという切り口では圧倒的なナンバーワンの存在になりたい」。子どもの頃から銀座の街を見詰めてきた伊藤義文(52)会長の夢は揺るぎない。
「百貨店」の先駆け
博品館の前身は1899年創業の「帝国博品館勧工場(かんこうば)」だ。明治期に日本各地に設けられた勧工場は、多彩な商品を扱うテナントが並ぶ共同店舗で、いわば商業ビルのはしり。中でも帝国博品館は最大規模のものだったらしい。古い絵葉書に、鉄道発祥の地である新橋駅からほど近い現在の銀座8丁目に立つその姿が描かれている。エレガントな時計塔がある3階建てで、建物の前の銀座通りを路面電車が走り、往時の賑わいが伝わってくる。
20世紀に入ると日本橋三越をはじめとする「百貨店」が買い物客を集めるようになり、勧工場はかつての賑わいを失った。その後も帝国博品館は存続していたが、1923年の関東大震災で全焼した。震災後に建て替えられ、賃貸ビルとしてキャバレーチェーン「ハリウッド」が入居していた時代もあったが、1978年に現在の10階建ての白亜のビルが新築された。その当時8歳だった伊藤会長は「建て替えの前、取り壊すビルの上から『大銀座祭』のパレードを見た記憶があります。いろんな企業が花車を出して華やかでした」と懐かしむ。
銀座の「オフブロードウェー」
新しくできたビルの8階に博品館劇場を作ったのは、伊藤会長の父で当時は社長を務めていた伊藤巖相談役(82)だ。「当時、銀座の表通りに劇場はなく、父はミュージカルをやるような劇場があってもいいと考えたようです」。同劇場の客席数は381席。演劇の本場ニューヨークで500席以下の劇場を指す「オフブロードウェー」が念頭にあった。
1978年10月のオープニングを飾ったのは、宝塚歌劇団を退団して間もない元雪組トップスターの眞帆志ぶきさんによるショー「アイ・アム・ミュージカル」だった。巖氏は公演プログラムに「明治の初めに銀座で産声をあげた博品館は、これからも皆様の期待に答うるべく、ユニークな企画に基づく数々の作品を用意しております」(原文まま)と劇場に懸ける思いをつづっている。
その後も、「レビューの王様」と呼ばれた白井鐵造さんがフランツ・レハールのオペレッタを基に脚本・演出を手掛け、加茂さくらさんが主演したミュージカル「ほほえみの国」や、眞帆さんと岡田真澄さんによるブロードウェーミュージカル「シーソー」の日本初演など意欲的な作品が続いた。
1985年には、ミュージカル「ウエストサイド物語」のブロードウェー初演でアニタ役を演じた名女優チタ・リベラを招き、「チタ・リベラ・ショー」を上演した。「日本ではメジャーな人ではありませんでしたが、演劇好きな人にはすごく響きました」と伊藤会長は振り返る。また、「タップダンスやマジックは比較的サイズ感が(劇場に)合っていると思います」と語る伊藤会長は、これまで「Shoes On!」「タップガイ」といったタップダンスの魅力が詰まった公演をご自身でプロデュースしている。
マイケル・ジャクソンも来た玩具店
婦人服店などがあった地下1階から4階までを玩具専門店「博品館TOY PARK」に衣替えしたのは1982年。伊藤会長は「ニューヨークには『シュワルツ』、ロンドンなら『ハムリーズ』と、いい場所には有名なおもちゃ屋さんが必ずある。父は、銀座にもあっていいのではないかと始めたのです」と、その経緯を話す。オープンの4年後にはギネスブックに日本最大の玩具店として掲載された。
「この商売の面白いところは皇族や海外の国王、大統領、ハリウッドスターも買い物に来てくださること。自分の子どもに与えるものは人任せにしないで自分で足を運んで選ぶからです」と伊藤会長。マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、ジョニー・デップ、フランスのシラク元大統領…。名だたる著名人が来店した。
マイケル・ジャクソンは来日の折、数回訪れたという。店は貸し切りにしたが、「意外とね、そんなに買わないんですよ」と笑う伊藤会長には「ちょっとした自慢話」がある。売り場を案内していた時、けん玉に目を留めたポップの帝王に「これは何」と聞かれ、やって見せた。「スッと、1回で入ったら拍手してくれて。マイケルに拍手した日本人は多いけど、マイケルに拍手してもらった日本人は少ないんじゃないかな」
「遊品」と呼ぶ理由
今は少子化が進み、量販店との競争もあるが、博品館には「インバウンド」という言葉が広まる前から海外からのお客が多かった。「遊び心は年を取っても老若男女にあるものだから、うちでは『おもちゃ』ではなく『遊品(ゆうひん)』という言葉を使います。大人にも子どもにもある遊び心を刺激する商品です。普通のボールペンなら文具なのでうちで売る必要はないけれど、キャラクターが付くとか何か仕掛けがあれば売ってもおかしくない」と、伊藤会長は商品選びのポイントを話してくれた。
実際、キャラクター商品は大人にも人気が高く、ブームが再燃することも多い。「一度人気が出た商品というのは何かしらの魅力がある。だから親世代が遊んだ物が子どもの世代になって新しい技術が搭載されると、結構いい商品になるんです」
その一例が「たまごっち」。1996年に発売され、社会現象にまでなった卵形の育成ゲームだ。「半年以上、行列ができたのは、うちでも後にも先にもないのでは。遊んだ人が、手に入らない人に対して、こう面白いんだよと最高のセールストークをしてくれたし、ないことで余計に(ブームが)あおられた。発売から20年以上たち、技術的にすごく進化して、今も売れています」
演劇も遊びも「Play」
劇場とおもちゃは一見、意外な取り合わせだが、演劇も遊びも英語では「Play」。どちらも夢を育むという点でつながっている。
今秋、開場45周年を迎える博品館劇場で2003年から公演を重ねているダンスボーカルグループ「DIAMOND☆DOGS」のリーダー・東山義久さん(46)もまた、同劇場で「自分たちのいろんな可能性をエンターテインメントにするグループを作りたい」という夢を追ってきた。
東山さんは、小学校時代に囲碁将棋部、高校ではゴルフ部と馬術部に所属していた。どちらかというと運動は苦手だったが、大学のサークルでダンスの楽しさに目覚めた。「将棋やゴルフは1対1の闘いで、ミスしたら自分の負け。舞台の世界は自分だけが良くてもだめで、スタッフも含めみんなでお客さんと一緒に作り出すものです。終わった時の充実感がすごかった」
やりたいことを見つけるため「3年だけ好きなことをさせてほしい」と親を説得し、大学卒業後すぐミュージカルの公演で初舞台を踏んだ。その後は「エリザベート」のトートダンサー、「レ・ミゼラブル」の学生革命家のリーダー・アンジョルラス役などで活躍し、昨年は「ミス・サイゴン」のエンジニア役で1800席の帝国劇場の舞台のセンターに立った。
「20年前、ダンサーというポジションは大体誰かのバックで踊るものだったのを、熊川哲也さんが『Kバレエカンパニー』を作り、金森穣さんが新潟で『Noism(ノイズム)』を作って盛り上がった。3年と決めてやっていたのが5年になり、8年になり、10年になり、20年になりました」
いろいろできる、おもちゃ箱
「DIAMOND☆DOGS」というグループ名にはいろんな思いを込めている。「ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない。原石の集まりということと、自分が犬好きだということ」。メンバーの入れ替わりもあったが、「歌が誰よりもうまい、ダンスが誰よりも好きという人ばかり」と東山さん。「未完成」と名付けた第1回公演から自分たちで作品の構成演出を手掛け、活動を広げてきた。
「博品館には、ここ何十年で僕が一番出ているんじゃないかな。舞台に立つと客席が近くてごまかしが効かない。後ろのお客さんの顔まで見えるんです。ライブやミュージカル、いろんなことができるおもちゃ箱のような劇場。これからも博品館という劇場がある限り、たくさんのいろんな才能が出ていくと思います」
6月28日~7月5日にグループの20周年記念公演「Le Pont de l’Espoir」を行う。「今のメンバーで、ここでできることをもう一回確かめたい。1幕はストーリー性のある構成、2幕はライブの構成で、20年からどんどんさかのぼって、『未完成』という作品までの流れをやってみようと思っています」
幸せな記憶を呼び覚ますところ
同劇場ではTOY PARKと連動したウルトラマンシリーズのライブステージも2005年から開催している。伊藤博之社長(49)の発案によるもので、公演の後、劇場ロビーと舞台で撮影会も行われ、期間中は全国からファンが集まるという。「面白いのは、ウルトラマンのコアなお客さんは変わっていっても、必ず見に来る大人のファンはそのまま残ること」と伊藤会長は話す。今年も4月7~9日の公演が決まった。
19世紀末に創業してから、変化に富んだ長い歴史を刻んできた博品館。「銀座で商売を始めることと、続けることには圧倒的な違いがある。合わないものは自然に淘汰されるし、伝統を守りながらも進化していかないといけない」と伊藤会長は力説する。
大人も童心に帰ることができる場がある街の風景は豊かで、人々の幸せな記憶を呼び覚ます。「子どもの頃、銀座でおもちゃを買ってもらった人が、今度子どもができた時に、おもちゃはあそこに買いに行こうよと連れてきてくださるのが一番理想ですよね。それは劇場も同じで、小さい頃、ここでタップダンスのフェスティバルに出演していた子がミュージカルに出たりしている。長く続けてきた良さだと思います」
(時事通信編集委員・中村正子、カメラ・入江明廣 2023年3月4日掲載)