全国で相次いだ特殊詐欺事件に関わったとして、フィリピンから移送された容疑者4人が逮捕されました。4人は詐欺グループの幹部と見られている上、全国で相次いだ強盗事件を主導した疑いも持たれています。警察は4人がフィリピン滞在中、スマートフォンを使い、遠隔で詐欺や強盗事件を指示した可能性を捜査。東京都狛江市で2023年1月に起きた強盗殺人事件への関与についても調べています。
現場にいない者が遠隔で実行役に「指示」していた事件や、携帯電話が悪用された事件の捜査にはどんなハードルがあり、どう克服するのでしょうか。警視庁で捜査1課長を務めた久保正行氏に、扱った類似事件を振り返っていただきました。
「指示していない」は通用しない
警視庁捜査1課長を務めていた04年、オレオレ詐欺のアジトを摘発したことがあります。アジトには少年ら5~6人を住まわせ、「架け子」として詐欺の電話を掛けさせていたのですが、首謀者は偽名を使って電話でやり取りするのみ。指示も直属の配下を通じて出すので、架け子や、被害者から現金を受け取る「受け子」とはつながっていません。
架け子や受け子が逮捕されても「捨て駒」として見放し、別の「駒」を次々とリクルートする。自らの手は汚さず、不法に得た収益を手にする一方、実行役とつながっていないため逮捕されるリスクは低い―。特殊詐欺のグループにはこういった特徴があります。報道で見聞きする限りですが、全国で相次いだ強盗事件も同様の組織形態とみられます。
実行犯ではない首謀者も当然、共犯に問われますが、現場で意図せぬ「殺人」が起きた場合はどうでしょうか。
刑事事件では「共犯者の一部が行った行為について、他の共犯者がそれを具体的に認識していなくても、共同正犯が認められる」というのが通例で、首謀者も同じ罪に問われます。最高裁では「強盗を共謀した場合において、共犯者の一人が殺意なく被害者を死亡させたときは、殺意ない他の共犯者も強盗致死罪の刑責を負う」という判例も出ています。
つまり、首謀者が「強盗に入るよう指示したけど、人に危害を加えたり殺したりすることまでは指示してない」と言い訳しても通用しないのです。
フィリピンで保険金殺人
実行犯であれ首謀者であれ、罪に問うには証拠が必要です。そして、海外で行われた事件は、国内の事件と比べて証拠の収集に苦労します。
捜査1課長を務めていた2005年に、フィリピンで不動産会社の男性社員が銃で撃たれて殺害される事件がありました。その後、男性にかけた保険金目的で殺害したとして社長らを逮捕。社長は首謀者と認定されて無期懲役の判決が確定するのですが、この事件も証拠集めに難航しました。
初動捜査は当然フィリピン警察が担ったのですが、犯行現場の実況見分や被害者の検視が行われた際に撮影された写真は3枚ほどで、日本と比べて10分の1以下の少なさでした。現場の足跡採取もなされず、被害者と一緒に渡航していた社長らの仲間は、現地警察の聴取を拒否して帰国してしまいました。
保険金をだまし取る目的の事件が濃厚であったため、実行役の男がいると想定しました。被害者や社長より前にフィリピンへ渡航していた者がいないか調べたところ、ある元暴力団組員の男が浮上しました。男は組を裏切ったことで組織から追われている身で、社長が小遣いと称して金銭の面倒をみていることがわかりました。
後に実行役と分かる男のフィリピンにおける行動を調べていくと、「現地妻」とみられる女性が見つかりました。女性は男に愛着があるため、協力を得ることにまず難儀しましたが、協力してくれる段では、言葉の壁に当たりました。
フィリピンは英語の国というイメージがありますが、高等教育を受けた人物はともかく、タガログ語を主として使用している人々が多数です。英語で質問した場合とタガログ語で質問した場合とで表現が大きく異なり、タガログ語を英語に翻訳した後に日本語へ訳す間にニュアンスが変わってくることがあったのです。
通話履歴と録音・録画
捜査への協力を渋る携帯電話業者の説得にも苦労しました。実行役の男はフィリピンで携帯電話をレンタルしていたのですが、レンタル業者は当初、「発信履歴は残っていない」と主張しました。レンタル電話は犯行に使われており、欠かせない物的証拠の一つです。
調べたところ、この業者は台湾の会社と連携して事業を営んでいたため、料金請求の都合で発着信の履歴を通常より長く保管していることが判明しました。フィリピン警察の協力も得ながら、裁判沙汰に巻き込まれたくない気持ちやマフィアの報復に対する懸念をほぐしたところ、事件発生前後の履歴を入手することに成功。事件前後に社長と実行役の男が通話していたことを裏付けることができました。
その後、社長や実行役らを別の詐欺事件で逮捕したのを突破口とし、被害者に対する殺人容疑でも逮捕しました。現場にいなかった者が犯行を指示したことを証明するには、通話履歴だけでは足りず、指示があったことの供述が欠かせません。加えて、供述は捜査側の押し付けや誘導ではなく、任意でなされたことを示さなければなりません。
この事件では、共犯者に行われた取り調べの録音・録画が一つの大きなカギとなりました。取り調べの様子を収めたDVDが裁判の証拠として提出され、採用された全国初のケースとなった上、判決で「供述の任意性が十分に証明できる」と評価されたのです。
全国連続強盗事件も、裁判員裁判の対象事件であり、実行役らの取り調べは当然、録音・録画されます。警察がしっかり取り調べて録音・録画し、事件の解明に活用するでしょう。一方、最近は録音・録画の証拠採用を弁護側が拒むケースが多いと聞いており、真相の解明に支障が出ないか懸念しています。
犠牲防げた可能性は?
東京都狛江市の強盗殺人事件では、犠牲になった大塩衣与さんのご遺体を警察官と親族が発見しました。「大塩さんが狙われている」という情報が千葉県警から警視庁に寄せられ、警察官が駆け付けたものの、既に犯行の後でした。
大塩さんが狙われているとの情報は、1週間前に千葉県大網白里市で起きた強盗致傷事件を捜査していた千葉県警が、容疑者の携帯電話を解析して調べた際に浮上したということです。千葉県警から警視庁への連絡は午後2時46分に入りましたが、大塩さんは午前11時半~午後1時10分ごろに殺害されたとみられています。もう少し早く情報が届いていれば、犠牲を防げた可能性もあったのではないかと考えています。
千葉県警がどの段階で情報を得て、どのように警視庁へ伝えられたのか、現時点で全体像は公開されていませんが、情報伝達の経緯や、一元化を含めた情報のあり方についても警察はしっかり検証していただきたいです。
一連の事件の捜査では、スマートフォンを介した「指示」を明らかにする際に多くの壁が立ちはだかると思いますが、人間の為した痕跡を追い求めることで、全容を解明していただきたい。そして、実行役が互いに面識のない「寄せ集め」の集団は手段を選ばず犯行をエスカレートさせる傾向にあるため、全国の警察が迅速に情報を共有することで国民の生命を守っていくことを期待してやみません。
久保正行(くぼ・まさゆき) 1949年、北海道新得町生まれ。67年に警視庁に入り、巡査から警視正まで6階級すべてで捜査1課に在籍。2004年~06年に捜査1課長も務めた。退官後の08~21年に日本航空(JAL)本部長付専任部長。著書に「君は一流の刑事になれ」「警視庁捜査一課長の『人を見抜く』極意」「警察官という生き方」など。