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ウクライナ侵攻と「核」の今 ロシアに諦めさせるために(篠田英朗)

2023年02月26日12時00分

【目次】
 ◇核を使うか否かの計算式
 ◇停戦合意してもウクライナへの兵器供与は必要
 ◇ロシアの「誠意」は非現実的
 
◇日本に求められる信念

核を使うか否かの計算式

 ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経過した。戦局がロシア側に不利に動くたびに、ロシアによる核兵器使用の懸念が高まった。ロシア政府高官らによる核兵器への言及もあった。しかし現在までのところ、核兵器は使用されていない。なぜか。

 現在の戦争下においても、核抑止が働いていると考えるべきだろう。ウクライナは核保有国ではないため、ロシアとの間に相互の核抑止は成立しないとも思われる。しかし北大西洋条約機構(NATO)構成諸国がウクライナ支援を継続的に行ってきているため、ロシアとウクライナの二国関係を超えた核抑止体制が、二国間の戦争においても、実態として深く関わっている。

 プーチン大統領には、核兵器使用による戦局の質的転換を有利だと考えない十分な理由がある。NATO構成諸国が、直接参戦していないこと、ウクライナに提供している兵器がロシア本国領土への攻撃には使われないように設定していること、である。

 ロシア政府は、核兵器を保有していることを強調し、その威嚇でNATO構成諸国のウクライナへの支援を止めることを狙っている。しかし実際には、現時点でロシアが核兵器を使用してしまえば、NATO構成諸国のレベルの高い関与を引き出す恐れがある。仮に核兵器による報復は避けられると計算した場合であっても、NATO構成諸国によるウクライナ支援の度合いが高まることは確実である。それに見合う軍事的利益をもたらす核兵器使用の方法は、必ずしも簡単ではない。そうだとすれば、ロシア政府にとって核兵器は使用しないほうが有利である。現在までのところ、このような計算式が成り立っているように見える。

 ロシアの核兵器使用を自重させるため、NATO構成諸国はウクライナ支援の方法にまださらなる上の段階があるところで、止まっている。ロシアの核兵器使用というエスカレーションを抑止するために、NATO側でも目に見えたエスカレーションの手段を温存しているのである。

 同時にNATO構成諸国は、ウクライナに深く関与することによって、不用意な核兵器使用がNATOの本格介入を誘発する恐れがあるとロシア側に感じさせる仕組みを作り出している。リスクはあるが、抑止を働かせるための合理性はある。

停戦合意してもウクライナへの兵器供与は必要

 他方、現実のロシア・ウクライナ戦争の戦闘は止まっていない。ロシアのウクライナ侵攻に抑止が利いていない状態である。ロシアのウクライナ侵略の意図は明白なので、これを防ぐためにはウクライナ側の軍事能力の強化が必須である。そのためNATO構成諸国は、兵器提供を継続している。この体制は、戦闘が停止した後も続くだろう。

 一般にNATO構成諸国による兵器提供は、戦争の継続を望むか、停止を望むか、という観点でのみ語られる。だが、それは必ずしも正しい言い方ではない。ウクライナの軍事力の強化は、ロシアの侵略行動の現時点及び将来における抑止のために必要である。本当の問いは、どのようにすればロシアの侵略行動を止め、将来の侵略行動も抑止できるか、である。今のところ、その答えは、ウクライナの軍事力の強化であり、そのためNATO構成諸国は、この答えに沿った努力をしている。

 現在、ウクライナ東部に延びる戦線の長さは、1000キロ以上だ。しかも、かつてベラルーシから侵入したロシア軍が首都キーウの陥落も狙っていたことを考えると、潜在的な防衛線は2000キロ以上と言ってよい。朝鮮戦争後の休戦ラインが248キロであることと比較して考えるならば、現在の戦線がいかに長いかが分かる。たとえば今の状態で形式的に停戦合意が成立しても、現実にそれを維持することの困難が大きく、砂上の楼閣に終わる恐れが強い。

ロシアの「誠意」は非現実的

 ロシアの誠意に期待をして停戦合意に踏み切ることが著しく現実離れしている以上、ロシア軍の展開を現実にもっと抑え込まないと、停戦合意の管理体制を取ることができない。ロシア軍を後退させて、より小さな地域に押し込んでいくことは、停戦合意に向けた条件を設定することでもある。

 だが単にウクライナ軍がロシア軍を押し出すだけでは、十分ではない。ウクライナが、占領地域の全てを奪還した場合であれ、他の状況であれ、戦争を止めるために必要なのは、ロシアに侵攻を諦めさせることである。そして将来の戦争を防ぎ続けるために必要なのは、ロシアに再侵攻を諦めさせ続けることである。そのために必要なのは、ウクライナ側の抑止力である。

 抑止力が足りなかったため、侵攻を許した。したがって侵攻を止め、侵攻を防ぐためには、抑止力の強化が必要だ。もしウクライナの早期NATO加入が実現するのであれば、それが回答になるかもしれない。

 ウクライナより西に位置する東欧諸国は、NATO加入によって、抑止力の整備を図った。ウクライナもそれを目指したが、果たされないまま、侵攻を許した。戦争が始まった後では、NATO加入は極めて難しい。そこで違う形で抑止力を強化する方法を模索することが必要になってくる。ウクライナが単独でも抗戦する意思を見せ、国際支援体制も構築しながら、軍事力を強化していくことこそが、ロシアの侵攻を止め、将来の再侵攻を防ぐための抑止力となる。

日本に求められる信念

 日本は唯一の被爆国であり、アジアでは最大のウクライナ支援国・対ロシア制裁国である。その役割は、決して小さいわけではない。日本は、G7首脳会議を広島で開催する際に議長国を務める。そこでウクライナに関するG7の協調的な政策をまとめあげる重要な役割を担う。

 ロシアは、「原爆を落としたのはアメリカだ」というキャンペーンをしてくるだろう。信念をもって、そのロシアのキャンペーンに対抗していくことも、日本が持っている役割の一つだ。

 侵略行動は、時に自国民に凄惨(せいさん)な結末をもたらす。侵略を反省することが、自国民の利益にかなう。日本は、過去の自らの過ちを省みながら、普遍主義的な立場で、ロシアに対して核兵器の不使用を訴え、侵略行動を省みることを呼び掛けていくべきだろう。ロシアのキャンペーンに負けず、核兵器の不使用を訴えながら、抑止体制の整備にも貢献する姿勢を取っていくことが、日本の国益にも合致する外交政策である。

 ◇ ◇ ◇

篠田英朗(しのだ・ひであき)
東京外国語大学、同大学院総合国際学研究院教授。学生時代より難民救援活動に従事し、クルド難民(イラン)、ソマリア難民(ジブチ)への緊急援助のための短期ボランティアとして派遣された経験などを持つ。国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)では、日本政府から派遣されて、投票所責任者として勤務した。ロンドン大学(LSE)で国際関係学博士号を取得して、ロンドン大学およびキール大学で非常勤講師を務めた後、1999年より広島大学平和科学研究センター助手、2005年より助教授(07年に准教授の改称)及び同大学国際協力研究科を兼務。2013年4月より東京外国語大学総合国際学研究院教授。紛争後地域における平和構築活動について研究を進めている。ケンブリッジ大学ローターパクト国際法研究センターおよびコロンビア大学人権研究センターの客員研究員を歴任。
 
著書は『集団的自衛権で日本は守られる なぜ「合憲」なのか』(PHP研究所、2022年)、『パートナーシップ国際平和活動:変動する国際社会と紛争解決』(勁草書房、2021年)、『紛争解決ってなんだろう』(ちくまプリマー、2021年)、『はじめての憲法』(ちくまプリマー、2019年)、『憲法学の病』(新潮新書、2019年)、『ほんとうの憲法―戦後日本憲法学批判』(ちくま新書、2017年)、『集団的自衛権の思想史―憲法九条と日米安保』(風行社、2016年)<第18回読売・吉野作造賞>『国際紛争を読み解く五つの視座:現代世界の「戦争の構造」』(講談社、2015年)、『平和構築入門:その思想と方法を問う』(ちくま新書、2013年)、『「国家主権」という思想:国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年)<第34回サントリー学芸賞>、『国際社会の秩序』(東京大学出版会、2007年)、『平和構築と法の支配:国際平和活動の理論的・機能的分析』(創文社、2003年)<朝日新聞社第3回大佛次郎論壇賞>(韓国語訳版2008年)、『Re-examining Sovereignty: From Classical Theory to the Global Age』(Macmillan、2000[中国語訳版{商務印書館、2004年}])、『日の丸とボランティア:24歳のカンボジアPKO要員』(文芸春秋、1994年)。その他、『紛争と人間の安全保障:新しい平和構築のアプローチを求めて』(国際書院、2005年)(上杉勇司と共編)など、共著・論文多数。一般社団法人広島平和構築人材育成センター(HPC)代表理事。2007年より外務省委託「平和構築人材育成事業」/「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を、実施団体責任者として指揮する。

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