男が小学生に「雨が降ってるからこの傘使いな」と声を掛ける事案が発生―。2023年1月、九州地方で発信された防犯情報メールがSNS上で物議を醸した。「傘を貸しただけなのに」「不審者扱いされるなら助けないほうがいい」。声掛けをめぐる防犯情報が取り沙汰されるのは、これに限った話ではない。地域の見守りに何が起きているのか。取材を進めると、防犯と道徳のはざまで揺れる大人たちの姿が浮かび上がってきた。(時事ドットコム編集部 太田宇律)
本当に不審者か 「判断は難しい」
この「不審者事案」が発生したのは、23年1月下旬の朝。防犯情報メールによると、黒い車に乗った年齢40~50歳くらいのサングラスを掛けた男が、登校中の男子児童らに声を掛けた。ただの親切だったのか、本当に不審者だったのか。児童らが通う小学校側に取材すると、教頭が慎重に言葉を選びながら、経緯を説明した。
教頭によると、児童の1人が男の申し出を断り切れずに傘を受け取り、保護者から相談を受けた担任教諭が「心配なら警察に話を聞いてもらったらどうか」と伝えたところ、冒頭のメールが発信されたという。教頭は「傘を貸した人物が不審者だったのかどうかは分からない。子どもが判断するのはとても難しいし、学校も決め付けることはできない」と話す。
教頭は仕事柄、送られてくるメールに注意を払っているが、中には「本当に不審者だったのだろうか」と感じるものもあるという。「ただ、何も対応せずにいて、もし本当に不審者だったらと考えると…」。いったん言葉を切り、こう続けた。「不審者に気を付けようという意識は、家庭でも学校でも高まっています。一方、道徳の授業では『知らない人には親切に』と教える。不審者と親切な人をどこで区切るのか、われわれ学校側も伝えきれずにいるんです」
「お菓子をあげる」誘うケース多く
一見、不審者かどうかの判断が難しい声掛け事案はどのくらい起きているのだろうか。警視庁の防犯情報サービス「メールけいしちょう」の公開データを調べてみた。データによると、22年2月9日以降の1年間に配信されたメールは計約1万6000件。大部分は特殊詐欺電話の警戒情報で、子どもへの犯罪などに関する827件のうち、「声掛け等」の検索で抽出できた事案は572件だった。
声掛けの文言はさまざまだったが、特に多かったのは、「お菓子をあげる」「いいものを見せてあげる」と誘うケース。「家まで送っていくよ」などと車に連れ込もうとしたり、写真を撮影しようとしたりするものも目立ち、中には「目玉と頭をつぶすぞ」と脅す事案もあった。
記者の主観だが、572件のうち、大半は犯罪被害に遭う危険性や、不安を感じさせる事案だった。不審者か親切な人か判断できなかったのは5件で、いずれも成人とみられる男が女子児童に「こんにちは」「おはよう」などとあいさつしたというものだ。
見えない事情 現場を歩いて感じたこと
実際には何があったのか。この5件のうち、50~60歳くらいの男が、下校する女子児童に「こんにちは、寄り道しないで帰りなさい」と声を掛けた現場周辺を取材することにした。最寄り駅から徒歩10分ほどの住宅街の一角で、近くには図書館や保育園もある。
この事案のメール配信から3日後、男が声を掛けたのと同じ時間帯を選んで周辺を歩いたところ、近所の小学校から帰宅する児童らと何度もすれ違った。地域住民への取材では、メールの事案を知る人は見つからなかったが、女子児童が通う小学校の校長が「児童のプライバシーに関すること以外なら」との条件で取材に応じた。
「何を不審と感じるかは子どもの感覚によるので、確実なことは言えない」。校長はそう前置きし、今回のケースにはメールに記載されていない事情があり、「私個人の感覚では、地域に周知すべき『不審者事案』だと感じた」と話した。詳細な説明は得られなかったが、児童の保護者も非常に心配していたという。
校長は「パトロール強化や情報発信は、児童本人や保護者の安心につながる」とも強調。「勘違いで、不審者ではない可能性があったとしても、地域に周知する意味はあると思う」と語った。
「迷ったら出す」自治体も苦悩
メールを配信する側も、迷いを抱えていた。警察と連携して「防災安全メール」を配信している神奈川県鎌倉市の担当者は「本当に不審者だったかどうか、はっきりしない事案は確かにある」と打ち明ける。
市では、不審者情報が寄せられた場合、学校などに事実関係を確かめた上で、担当部署内でメールを配信するか協議する。基本的には児童や保護者の受け止めを尊重し、「なるべく配信するようにしている。『迷ったら出そう』というスタンス」だ。
だが、配信を見た市民から「これで不審者扱いされるのか」との声が上がることもある。若い男が児童にトイレの場所を尋ねたという「声掛け事案」メールには、ある市民が「困っていた人を助けるよりも、知らない人とは話さないことを優先するのが正しいのか」と疑問を呈し、「町で見掛けた子どもに『危ないよ』などと注意しようと思っても、やめてしまうようになった」と訴えたという。
担当者は「市役所に訪れる町内会長から『登下校中の子供たちにあいさつをしたら、走って逃げられてしまった』と耳にしたこともある」と振り返り、「あいさつは、地域ぐるみで子どもを見守るための重要な手段のはず。(防犯対策のために)それがなくなっていくのは、やはり違うのではないかと感じている」と語る。ただ、抜本的な対策は浮かばないようだ。「子どもたちは、見知らぬ人からの声掛けには身構えてしまう。地道に声を掛け、顔見知りになっていただくしかないのかな、とも思う」と付け加えた。
サングラスに黒い服…ためらいの源流
声掛けがためらわれる風潮は、いつごろ生まれたのだろう。NPO法人「日本こどもの安全教育総合研究所」(東京)の宮田美恵子理事長によると、きっかけは2000年代にあった。01年、大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)で児童殺傷事件が発生。04~05年には、奈良・広島・栃木で下校途中の女児が殺害される事件が相次ぎ、「学校や登下校における国内の防犯意識が大きく塗り変わった」と語る。
災害や交通事故なら子どもたちに説明できる。では、目の前の人が不審者かどうかは、どう教えたらいいのか。悩んだ大人たちは、黒い服にサングラスとマスク姿の男のイラストを見せたり、「知らない人に声を掛けられたら逃げなさい」と呼び掛けたりするようになり、こうした教えが「地域の思いやりと不審者の境目を分かりにくくした」という。
「子どもに声掛けをしたら、無視された。ショックだ。もう見守り活動はできない」「最近の親は子どもに何を教えているのか」。講演活動では、高齢者から世代間の亀裂を感じさせるような声も上がり、危機感を抱いた宮田理事長は、あえて子どもたちが対応に迷うような状況を設定、子どもたち同士でどうすればいいか話し合ってもらう「防犯モラルジレンマ教育」を始めた。
「例えば、親切そうなおばあさんに『家まで車で送っていく』と声を掛けられたり、男性に『足をけがした。病院まで連れていってほしい』と頼まれたりしたとします。子どもたちは『絶対に乗ったらだめ』とか、『女の人だから断ったら悪い』などと議論していくうちに、見た目ではなく、相手の行為に着目して対処する心構えができていきます」(宮田理事長)。子どもたちに「無視して逃げる」「相手の話に従う」以外の方法、丁寧に受け答えをしながら安全を確保する道もあると気付いてもらうことが狙いだ。
不審者扱い「恐れないで」
大人がひと言声を掛けていれば、救えたはずの命もある。子供たちが知らない人にあいさつをしなくなり、大人も親切をためらってしまえば、悲しい事件が今後も繰り返されてしまうー。そう危惧する宮田理事長は「不審者情報に書かれているのは、あくまで『子供たちがどう感じたか』。大人はそれを傾聴し、本当に不審者だったかどうかは別の問題として考えればいい」と呼び掛け、こう続けた。
「不審者扱いされたっていいじゃないですか。距離を保ってひと言声を掛けるだけなら、誤解から不審者メールが回ったとしても大ごとになったりしません。必要なときには勇気を出して、子どもたちを助けてあげてほしいと思います」
この記事は時事通信社とYahoo!ニュースの共同連携企画です。Yahoo!ニュースでは、「#こどもをまもる」として、子どもの安全に関する情報や、大人ができる対策などの記事を発信しています。