日本銀行の総裁人事が決着した。
当初本命とされた雨宮正佳副総裁ではなく、元審議委員で東大名誉教授の植田和男氏が就任することになるサプライズだったが、この人事の決定過程をたどっていくと日本の「ガバナンス構造」をめぐる暗闘が隠れたテーマだったことが見えてくる。(帝京大学教授/ジャーナリスト、元時事通信解説委員長 軽部謙介)
「世界」の大勢は学者
植田氏は金融論やマクロ経済を専門とする学者だ。1998年4月に新日銀法が施行されたとき、6人の審議委員の一人として金融政策の決定に関与。早くから量的緩和の導入を提唱し、2000年のゼロ金利解除の時には反対票を投じた。今後は黒田東彦総裁が導入し、10年間という長期にわたり続けられてきた異次元緩和政策からの出口の摸索が大きなミッションとなる。
植田氏の就任は「戦後初の学者出身」として注目されたが、世界を見渡せば、学者出身の中央銀行総裁は多い。ノーベル経済学賞を受賞したベン・バーナンキは米連邦準備制度理事会(FRB)の議長を務めたし、その後任の前議長、ジャネット・イエレンも著名な経済学者。さらには、イングランド銀行のマービン・キング、イスラエル中銀のスタンレー・フィッシャー、インド中銀のラグラム・ラジャンら総裁経験者は学者としても名が通っている。中国や韓国の中銀トップは現職が学者だ。
日銀関係者によると、中央銀行総裁が集まる会議の出席者の90%程度は経済学の博士号を保持しており、最新の経済分析手法などを楽しそうに議論しているのだという。
雨宮氏の問題提起
日本ではこれまで、財務省が大蔵省と呼ばれている時代から、日銀・財務の出身者を交互に選出してきた。戦後の総裁を出身とともに並べてみるとそれはよくわかる。
▽第17代(第19代も)・新木栄吉=日銀
▽第18代・一万田尚登=日銀
▽第20代・山際正道=大蔵
▽第21代・宇佐美洵=三菱銀行
▽第22代・佐々木直=日銀
▽第23代・森永貞一郎=大蔵
▽第24代・前川春雄=日銀
▽第25代・澄田智=大蔵
▽第26代・三重野康=日銀
▽第27代・松下康雄=大蔵
▽第28代・速水優=日銀
▽第29代・福井俊彦=日銀
▽第30代・白川方明=日銀
▽第31代・黒田東彦=財務
一人を除き、全員日銀か財務省の出身。しかも大蔵省は黒田氏を除き全員事務次官経験者だ。以前「大蔵次官にとっての天下り先ナンバーワン」と言われたように、日銀総裁職はマクロ経済政策立案のヒエラルヒーで頂点に立つポスト。伝統的に続いてきた日銀と財務による統治の象徴的存在といえる。
「しかし」と日銀関係者は言う。「中央銀行の国際的な連携はリーマンショック以降様変わりした。事務当局同士が下で詰めて上に上げていくのではなく、トップ同士が電話で協議して即決していく。中銀総裁のネットワークが強固になった。そこに入っていけるかで勝負が決まる」
そんな時代、大物事務次官と言われた人物だというだけで、あるいは日銀副総裁を経験したというだけで、総裁ポストが務められるのか―。今回の人事の裏側には、このような問いかけが潜んでいた。
実は、この問題を提起したのは、本命候補だった雨宮氏本人だ。
ガバナンス構造への挑戦
関係者によると、同氏は副総裁就任後、中央銀行総裁が集まる会合に代理出席する機会も多くなった。そのような現場で、各国のトップたちが、部下の助けも借りずに難解なテーマを自分たちの言葉で議論している現場を目の当たりにする。中央銀行を取り巻く国際的な環境が大きく変化したことと合わせて、雨宮氏は「マクロ経済に精通した学者でないと中央銀行の総裁は務まらない」との感想を周辺に漏らすようになったという。そして、次第に「学者総裁誕生」への思いを深め、「優秀な学者が中央銀行トップになるという国際標準を日本でも実現するべきだ」とも語るようになっていった。
しかし、これは戦後ずっと続いてきたガバナンス構造への挑戦になる。下手をすれば財務省のみならず、自らの出身母体を敵に回しかねない。しかし、雨宮氏は「学者総裁」の重要性を首相官邸にも強調することを選択、自らは固辞する姿勢を示したという。話を聞いた岸田氏も同様の見解を有しており、人選作業は官邸がかねてより目をつけていた植田氏就任に向けて動き出していく。
関係者によると、財務省は「黒田の次は雨宮」という線で動いていた。それは財務省出身の黒田氏の次に日銀出身の雨宮氏を据えれば、その次は再び財務という順番が確保できるという読みがあったからだという。また財務省は「学者出身には麻生(太郎)さんが反対する」という理屈で植田氏に難色を示したといわれる。確かに自民党副総裁の麻生氏は財務大臣だった当時、日銀総裁選びに関連して「学者は大きな組織を動かしたことがないからダメだ」と持論を展開したことがある。
今月8日夜、岸田首相は麻生氏と茂木敏充幹事長の3人で3時間半にわたり会食をしている。首相にとっては異例の長さだ。この場で学者登用をめぐる議論があり、岸田氏が「実務、学識、国際性のすべてをもつ人でないと難局は乗り切れない」と麻生氏らを説得した可能性は大きい。
もちろん、首相が植田氏を指名したのは、そのような理念論だけではない。安倍元首相が進めてきたアベノミクスとどのように向き合うのかという問題にもからむため、安倍派という最大派閥をにらみながらの政治的な選択だったはずだ。
5年後はもとに?
しかし、これからが重要だと日銀関係者は指摘する。
「確かに今回は学者になったかもしれない。しかし、5年後に再び、英語が堪能で、金融理論に通じていて、政治を相手に立ち回ることができ、そして組織をまとめ上げることができる学者がいるのかどうか。ひょっとしたら学者総裁は植田さんで終わりとなり、5年後にはもとに戻るかもしれない」。植田氏が出口に失敗した場合も「だから学者はだめなんだ」と言われかねない。
新総裁の任務は日本経済をきちんとした軌道に戻すことだけではない。経済政策をめぐる「戦後レジーム」を崩せるか。5年後に植田氏に率いられた日銀のパフォーマンスが及第点をとれるかどうかは、経済政策のガバナンス構造をも左右することになりそうだ。