「『検討』も『決断』も『議論』も全て重要で必要だ」。先月23日に岸田文雄首相が行った施政方針演説での一節だ。最近、首相は決断力をアピールする場面が目立つが、その指導力に疑問符を付ける国民の声は少なくない。首相のリーダーシップや日本政治の課題について、歴史や思想に詳しい日本大危機管理学部の先崎彰容(せんざき・あきなか)教授に話を聞いた。(時事通信政治部 御舩亮史)
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【目次】
◇広がり欠く「新しい資本主義」
◇首相は人事に失敗
◇「政権監視の野党」では負け
◇未来のリーダーは森保監督型?
◇22年は時代の転換点
◇「平時」に「有事」の議論を
広がり欠く「新しい資本主義」
―この半年ほどで岸田政権の内閣支持率は急落した。政権のこれまでの対応は。
首相は「新しい資本主義」をもっと前面に押し出してほしい。一国のトップの恐ろしさは、ビジョンを示し、その大きな物語に人々を乗せて導き、社会を動かす巨大な権力を持つことだ。安倍晋三元首相の「アベノミクス」や田中角栄氏の「列島改造計画」、池田勇人氏の「所得倍増計画」、大平正芳氏の「田園都市構想」。菅義偉前首相は個別政策は魅力的でも、理念を掲げられなかった。
今は大きな物語を紡ぐのが難しい。昔はテレビや新聞にのみ情報源があったが、今はユーチューブやツイッターなどで誰でもプロデューサーや記者になれる。社会を統べる発信源を持ちにくい。
首相は2021年自民党総裁選で新しい資本主義を打ち出した。その後の衆院選でも、日本維新の会以外の全政党が、この理念の是非を論じた。私は当初期待したが、首相は何も発信せず、安全運転が高支持率を生み出した結果、聞く力に徹した。だが、安倍氏銃撃事件を機に、聞く力は決断力のなさにイメージが反転した。
―首相は最近、「聞く力」より「決断」の言葉をよく使う。首相のリーダーシップをどう見るか。
リーダーシップと強引さはコインの裏表だが、どちらに見えるかは政権のイメージを決する。アベノミクスの異次元の金融緩和のように、「防衛増税や少子化対策、原発再稼働は、新しい資本主義の個別政策」という感覚を国民に持たせなければならない。それが人をけん引するリーダーシップ、言葉の丁寧さになる。大きな物語がないのに「決断」「絶対に増税だ」と言うから強引で唐突に見える。国民やマスコミはそこに驚き、困惑し、まずは否定する。
大きな物語は掲げ続けるべきだ。今、新しい資本主義が紙面に踊らないのは問題だ。もしくは、それに代わる看板を掲げ直せばいい。
―発信の仕方が課題か。
「マスコミは都合の良いことだけ切り取る」ではなく、政権が理念と目玉政策で主導権を握り、マスコミを飽きさせないようにする。同じものも見せ方次第で変わる。例えば、首相が着席して机に手を置き、国民に語り掛けるアメリカ型の発信をするだけで、国民に訴える力は格段に増す。野球のイチローさんやラグビーの五郎丸歩さんが試合中にポーズを取ってゾーンに入り、相手や観客を引き込むのと同じ。これは政治家のトップに必要な感覚で、小泉純一郎元首相がうまかった。
「アベノミクスは買いだ」とのフレーズを時に言えるポピュリズムも胆力。優秀な人材を持つのが大事だ。個人でできないなら、チームで取り組む。チーム岸田は何をしているのか。イメージ戦略も含めたマネジメント能力に問題がある。
首相は人事に失敗
《昨年の参院選で、「黄金の3年間」を手にしたかと思われた岸田政権は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題や安倍氏国葬、相次ぐ閣僚辞任などで苦境に陥った。》
―この半年、政権の危機対応をどう評価するか。
安倍・菅政権の新型コロナウイルス対応と比較するといい。あの時は、コロナ対策分科会の尾身茂会長、東京都医師会、コロナ対策担当相、厚生労働相など発信源が分裂したのが失敗だった。危機管理で発信源が分裂すると、どこにも信用がおけず、政権として機能しなくなる。この究極が旧民主党政権だった。
首相の発信力が拙いなら、客寄せパンダとして別に強い発信源を作る。河野太郎氏や小林鷹之氏でもいい。急進性や若さ、フレッシュさなどのメッセージが出せる。竹下登政権も「言語明瞭、意味不明」だった。車のボディーは発色の良いカラーで、実際のエンジンは岸田。そうした組み立てをチームでできるかだ。
―人事が問題か。
究極の懐刀がいない。菅氏は官房長官としてすごかったが、国の差配は全く別物だった。岸田氏は良いことを言ったのに、最初からパワーとエネルギーが失速している。松野博一官房長官や木原誠二官房副長官が人脈形成や会食の設定、頭を下げることまで全て差配し、接着剤として躍動すべきだ。木原氏は「ポケットに手を入れてはいけない」と周囲に目を光らせる立場なのに、自分で突っ込んでいては心もとない。
―首相の派閥は政策集団を自負するが、政治力が弱いと言われる。
岸田派は経済重視の派閥で、安倍派に比べると強烈なイデオロギーがない。官僚が作るペーパーは事実の要約で、極めて優秀だが無色透明で味がない。そこで政治家が歴史を勉強し、過去の日本人の声を背負い、政治的決断と政策への解釈を下す。首相であれ人生は数十年に過ぎないからだ。そこを理解している政治家が少ないし、岸田さんも残念ながら、その1人になっている。政策は官僚からいくらでも出てくる。政治家は人を引きつけることが大事で、学者になってもいけない。
「政権監視の野党」では負け
―政権の苦境にもかかわらず、立憲民主党など野党は支持を得られていない。何が問題か。
立民の福山哲郎元幹事長が「野党の役割は政権のチェック」と言っていたが、その時点で負けだ。新たな物語を作り、世の中の軸を自民党中心から逆回転させられない限り、野党は絶対に立ち上がれない。
同党の枝野幸男前代表は選挙で、性的少数者(LGBTなど)対策を前面に掲げたが、政権を取る気がないと感じた。主張は正しいが、少数派にだけつながる個別政策では、過半数を取れない。何事もそうだが、運動が末期になると、コアゾーンに響きの良い言葉と論客だけを使う。すると、周辺のふわっとした人たちがこぼれ、運動が急進化する。
―大きな野党は求められるか。
保守寄りの国民民主党、改革派の維新、リベラル寄りの立民で、一つの党になるぐらいの気構えが必要だ。ただ、立民は社会党のような旧来勢力が力を持つ党になっていて、実際には無理だろう。
未来のリーダーは森保監督型?
《長期政権を築き、退陣後も絶大な影響力を持った安倍氏が死去し、大物政治家も次々と引退。与党内に衆目一致する「ポスト岸田」は見当たらず、野党でも「次の党首候補」不在を嘆く声は多い》
―次のリーダー像をどうみるか。
ウクライナのゼレンスキー大統領がSNSで庶民派をアピールして共感を呼んだように、政治家然とした人ではなく、優しい時代の伴走型のリーダーが出るかもしれない。
サッカー日本代表の森保一監督、選手とともに走る駅伝・立教大の上野裕一郎監督がそれだ。今の日本代表は選手全員が優秀で、野球の大谷翔平選手もスーパーエリートで嫉妬がない。これまでのコンプレックスをばねにした個性派の天才とは違う。
―指導スタイル変更で話題になった駅伝の駒沢大監督も当てはまるか。
そう。今は叱られたことがない人が大人になっている。天才を上からつぶさず、のびのび実力を発揮するよう、横からつなぐ。良い意味の「お友達内閣」が政治でも出るかもしれない。政治や官僚、学問はいまだに嫉妬の世界で、秀才をつぶそうとするから、優秀な人材が出にくい。スポーツの世界は日本の悪しき伝統からいち早く抜け、世界と戦えるようになった。
政治家は、ある政策だけを突き詰めるスペシャリストにならないでほしい。人は政策では動かすことはできない。今後の政治を動かすのは、人間的な魅力で引きつける昭和型か、森保監督のようにうまくタクトを振れる人になるのではと最近感じている。
22年は時代の転換点
―昨年は衝撃的な年となったが、社会情勢の変化をどう感じるか。
100年前を振り返ると、1918年に第1次世界大戦が終結し、20年にスペイン風邪が収束する。21年に原敬首相の暗殺、23年に関東大震災、29年に世界大恐慌と危機が続く。1次大戦以降は、米国が決定的な国際秩序の中心軸を作った。それがまだ100年。日本は戦前、「大東亜共栄圏」を掲げて挑戦し、敗戦した。
ロシアも昨年、欧米の秩序に挑戦し、中国も戦争ではない形で挑むことが決定的となった。中国からすれば、米国の秩序は150年程度。歴史の大半は自分が中心だと思っている。
資本主義の危機も起きている。米国では、トランプ大統領とコロナで資本主義と民主主義の危機を見せつけた。その中で中国が台頭している。欧米を中心とした外交、政治、経済のシステムが機能不全となっている。
―安倍元首相の銃撃事件もあった。
あの時、「100年前のように、時代が暗くなる転換点になるのでは」と直感的に身震いした。原首相が東京駅で暗殺されたように、白昼堂々首相が殺される。時代は朗らかに見えて変わるという年として明記されるかもしれない。
戦後日本が危機・限界を迎えていることを事件は図らずも見せつけた。戦前の反省から、この国は安全保障を不問にし、個人の内面にタッチしないできた。つまり、宗教の無視だ。それが図らずも旧統一教会問題となった。戦後日本が触れたくないものを考えざるを得ない時が来た。「戦後レジーム脱却」を主張した安倍氏殺害でそれが露呈した。
「平時」に「有事」の議論を
―今後の政治の課題は。
今の日本で最も必要なことは、平時と有事の境界線を切り替えて決断することだ。この国は緊急事態に、自治体が手足として動かない組織になっている。最も分かりやすいのはコロナ危機。首長がすさまじい力を持ち、国がグリップできなかった。緊急時には国家権力に権限を集中すべき時があると認めなければいけない。
―防衛増税の議論については。
防衛で考えるべきことは、金の話よりこの国が緊急時に適切な力を行使できるシステムになっているかどうかだ。難民の輸送、避難・誘導、自治体の連携、警察・消防の対応…。首都機能が全滅した時のシミュレーションなど、平時の今だからこそ考える必要がある。
原発の危機管理では「日本は技術最先端で事故が起きないように注力するから、逆に事故が起きたらどうするか言えない雰囲気がある」という話を聞いた。自治体でも同じことが起きていて、「子どもが亡くなる前に信号機を」と求めても実現せず、事故後に信号機ができる。日本はペリー上陸や敗戦など「外患」がないと変われないことを繰り返してきた。この「日本病」を変えないといけない。
今の防衛の議論は、増税や反撃能力の良い悪いに終始している。ウクライナ危機はある意味チャンス。国民全体が防衛を自分ごととして考える時代に入った。
【先崎氏略歴】 1975年生まれ。東大文卒、東北大院博士課程修了。フランス社会科学高等研究院留学などを経て、2016年から日大危機管理学部教授。専門は近代日本思想史。著書に「国家の尊厳」など。
(2023年2月10日掲載)