2022年、ロシアによるウクライナ侵攻は世界に大きな衝撃を与えた。激震に見舞われた欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)加盟国だけでなく、その影響は戦場から遠く離れた日本にも及んだ。しかし、火種はすぐ近くでくすぶっている。もしも中国が台湾に侵攻すれば、その影響はウクライナの比ではない。ウクライナの次は台湾なのか、そしてその時日本は―。元内閣官房副長官補、国家安全保障局次長で「自衛隊最高幹部が語る台湾有事」(新潮選書、共著)などの著書がある兼原信克氏が語る。
【目次】
◇問題は「いつやるか」
◇自衛隊は長期戦を考慮していない
◇国民の命を守れるか
問題は「いつやるか」
中国で習近平政権が第3期に突入した。文化大革命を生き抜いた習氏は、力しか信用しない。極貧の中で、毛沢東語録を愛読して、善良な百姓に成りきることで少年期を生き延びた。筋金入りの権力闘争の猛者である。しかし、習氏には現代経済の運営も、国際政治も、ましてや愛や自由といった西側の価値観は理解できないであろう。
今や、習氏の周りは昔の地元の子分ばかりだ。極端な権力集中が実現した。長期政権は必ず腐敗する。諫言(かんげん)する者は去り、お追従を言う者ばかりが群れる。そうしていつしか情報が遮断され、歴史に名を残すという妄想が膨れ上がる。ロシアのプーチン大統領は、そうしてウクライナ侵攻という歴史的愚行を犯した。
習氏は、これから10年、あるいは老い果てるまで、独裁者を演じるつもりなのだろう。しかし、彼にはカリスマ性も業績もない。彼が思いつくのは、香港弾圧と台湾併合しかない。既に、香港の自由の灯は吹き消された。次は台湾の自由を蹂躙(じゅうりん)する。やるかやらないかではない。いつやるかというだけである。口実は何とでもつく。台湾が独立を目指しているとか、日米が台湾独立を支援していると言えば、それで十分である。
既に、中国軍は、クビライ(フビライ、元寇時のモンゴル帝国皇帝)のモンゴル帝国の再来を思わせるほど、域内最強の軍勢に育っている。核兵器は2035年には1500発を数えると言われ、中国海軍の350隻の大艦隊は米国海軍をも凌駕(りょうが)する。米軍介入を阻む目的のA2AD戦略(Anti-Access/Area Denial=接近阻止・領域拒否戦略)は、米海軍の虎の子である空母機動部隊を太平洋の彼方に追い払う。米軍は、遠方からの戦力投射に集中せざるを得ず、勝ち目は、台湾戦争の最終局面である中国陸軍の台湾への着上陸侵攻の阻止である。
中国側にとっては、台湾へのサイバー攻撃や世論誘導などの認知戦、特殊軍投入、総統暗殺、傀儡(かいらい)政府樹立という奇手もないわけではないが、ロシアのウクライナ侵攻の大失敗を見れば分かるように、そのような奇襲がいつも有効とは限らない。だとすれば、台湾全土を制圧せねばならない。そのためには陸軍の投入が不可欠である。逆に言えば、中国陸軍の渡海を防げば、少なくとも台湾は負けることはない。
しかし、それは前線国家となる日本や台湾にとって非常に過酷な戦いになる。全面核戦争を何としても忌避したい米国は、通常戦力による局地戦をもって中国の台湾進攻を迎え撃つ。中国が台湾進攻を断念するまで、台湾と日本は、米国による航空優勢、海上優勢がおぼつかない中で、自力で中国軍の猛攻を耐え抜かなくてはならない。万全の抑止が必要になるゆえんである。
自衛隊は長期戦を考慮していない
岸田文雄首相は、向こう5年間の防衛費を総額で43兆円とすると発表した。NATO水準のGDP比2パーセントである。これが実現すれば、岸田首相は戦後史に残る大首相になる。そのお金で日本がやるべきことは山ほどある。反撃力など当たり前のこと。「撃たれたら撃ち返す」のは個別的自衛権の範囲内だ。本来であれば国産の極超音速中距離ミサイルの大量導入が望ましいが、そんな時間はない。まずは米国のトマホークの導入から進めるべきだ。
今、自衛隊に最も足りないのは、悲しいことに弾薬、弾薬庫、部品である。冷戦中、自衛隊は「小規模限定対処」「基盤的防衛力」というおよそ軍事的に意味のない理屈で縛られてきたから、長期戦を考えたことがない。弾薬の製造ラインも少ないから有事になっても増産できない。精密誘導兵器などすぐに無くなる。また、航空機等の部品も無い。だから自慢の戦闘機の半分が飛べない。その戦闘機は、敵弾から守る掩体(えんたい)もなく青空の下に甲羅干しだ。神経中枢である指揮通信施設も多くが地下化されていない。まるで撃ってくれと言わんばかりである。
冷戦中、北海道で対ソ決戦を考えてきた自衛隊である。南方の基地は脆弱(ぜいじゃく)だ。奄美、宮古、石垣、与那国の基地は開けたばかり。核シェルターを含む堅牢(けんろう)化が必要である。中国軍が本気になれば、さらに本土の主要な自衛隊基地、在日米軍基地もことごとく破壊される。そうなれば、直ちに、特定公共施設等と言われる民間空港・港湾・道路・電波を使用する必要がある。しかし、その準備は何もできていない。
医者も足りない。台湾戦争では数千人、数万人の将兵が死傷する。防衛医大の医師だけで足りるはずもない。どうするつもりなのか。戦死したり、あるいは負傷したりして退職した後の自衛官たちの家族の生活を万全にする予算もない。そもそも、どうして命を懸けて国を守る自衛官の給料が警官や消防士より低いのか。肉片となって帰ってくる将兵のDNA鑑定能力も極めて低いままだ。これでは士気も下がるだろう。
国民の命を守れるか
国民を保護する仕組みも不十分だ。2004年に成立・施行された国民保護法は北海道侵攻のような日本有事用であり、台湾有事では使えない。逃げ遅れた先島諸島の人たちを守るシェルターもない。政治家が「国民の命を守る」と言うのは簡単だが、具体的施策がなければ国民の信頼を裏切ることになる。
特に無能なのがサイバー防衛だ。中国軍の総力を挙げたサイバー攻撃の前に日本はブラックアウトして戦う前に屈服するのではないか。日本全体のサイバー防衛能力増強は待ったなしである。日本ではサイバー空間での状況監視の話をすると、すぐに憲法21条(集会、結社、言論、出版、表現の自由の保障)を持ち出して反対が出る。時代錯誤も甚だしい。ダムの洪水のように流れるデータの中から敵の軍や情報機関が放つウィルスを捉え、データベース化し、必要があれば積極的に防護してサイバー空間の安全を守る。それが世界の常識である。古式ゆかしい検閲や盗聴とは全く関係がない。国民のプライバシーを守ることは憲法上当然のことだ。
宇宙での能力も低い。衛星は、通信、測位、偵察、時間同期を担い、情報が死命を制する今日の戦場で不可欠な装備となっている。戦争が始まれば、日本の衛星は、ジャミング(電波妨害)され、サイバー攻撃され、あるいは地上受信施設もろとも物理的に破壊される。イーロン・マスク氏のスペースX社による衛星インターネット通信サービス「スターリンク」がウクライナ軍の通信を救ったように、民間の衛星能力の活用が不可欠である。
ドローンの登場も戦場を変えた。世界最強のF35戦闘機による航空優勢も、ドローンには無用の長物である。レーダーに映らないからだ。敵ドローンの集団によるスワーム攻撃に対処するために、強力な電磁波戦の能力の獲得も外せない。逆に、自衛隊も攻撃型ドローンの導入が不可欠である。どの国も少子高齢化に悩む。ますます兵士の命は貴重になる。戦場に出ていくのはドローンばかりになる。
エネルギー安全保障も不安だらけだ。台湾有事には東シナ海、南シナ海は戦闘区域になる。マラッカ海峡、バシー海峡は使えない。とすればシーレーン(海上交通路)はロンボク海峡辺りから小笠原諸島を大回りする迂回(うかい)路が必要だ。その護衛をどうするのか。政府には備えがない。頼みの綱の原油備蓄は半年分だが、青空タンクだ。爆撃されればひとたまりもない。1日に20万トンタンカーが15隻入ってこないと日本経済は倒れる。どうやってシーレーンの安全を確保するのか。
このようにやるべきことは山ほどある。いざ台湾有事となれば、政府は存立危機事態を認定して、自衛隊に防衛出動を下令することになる。その時、一緒に各省庁の仕事を取りまとめて「対処基本方針」を閣議決定しなくてはならない。しかし、そんなものは書いたこともないし、練習したこともない。まずは、有事に及んで、首相、官房長官が、配下の内閣官房副長官補、国家安全保障局、事態対処・危機管理担当のスタッフ等を駆使して、全閣僚、全省庁の総力を結集させる危機管理体制を整えるところから始めねばならない。
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兼原 信克(かねはら・のぶかつ)元内閣官房副長官補、同志社大学法学部・法学研究科特別客員教授。東大法学部卒業後、外務省入省。条約局国際法課長、北米局日米安全保障条約課長、総合外交政策局総務課長、欧州局参事官、国際法局長などを歴任。国外では欧州連合、国際連合、米国、韓国の大使館や政府代表部に勤務。2012年発足の第二次安倍政権で内閣官房副長官補(外政担当)、国家安全保障局次長を務める。2019年退官後、2020年より同志社大学特別客員教授。2015年仏政府よりレジオンドヌール勲章を受勲。
(2023年1月6日掲載)