会員限定記事会員限定記事

コロナ禍で社会は「分断」から「寸断」へ 吉川徹

2023年01月20日07時30分

誰が何を考えているのか見えない時代

 社会調査のデータから今、ある確実なトレンドを読み取ることができる。日本社会のどの位置にいる人が、どんな価値観を持ち、いかなる心理状態にあるのかという関係性が年々はっきりしなくなっているのだ。

 私たちが進めている研究プロジェクト(SSPプロジェクト=総格差社会日本を読み解く調査科学)では、人々の社会意識(ものの見方や考え方)について同じ質問を繰り返している。階層帰属、満足度、格差や不公平についての意識、価値観の保守性、将来展望の不安、他者への信頼感、仕事や家庭生活についての価値観、NPOや市民活動の積極性、政治的な意識、消費の活発性などである。

 調査データから日本社会の仕組みを知る分析法として、性別、年齢、学歴、職業、収入などの基本的なプロフィルと、社会意識の関係性を見る重回帰分析という解析法がある。簡略に言うならば、一人ひとりに社会のどの位置にいるのかを尋ねて、その人のものの考え方を推測するクイズのような構図の分析モデルである。

 それぞれの時代のデータをこのモデルで分析してみると、一つの傾向が見て取れる。人々の社会意識というものは、職業や収入、年齢など基本的なプロフィルの多寡や優劣によって左右されてきたが、その影響力や度合いが総じて弱まっているのだ。

 平成の初めの頃はまだ、日本社会は年齢、性別、社会的地位と経済力が分かれば、その人のものの考え方や行動様式が今より確実に推測できる状態だった。ところが21世紀に入った頃から、社会意識の規定構造がはっきりしなくなり始め、分析モデルの予測力は現在はほぼ半減している。家族構成、居住地域、友人知人のネットワークなどに視野を広げても、今の日本人のものの考え方を左右している共通の要素は見つからない。

 帰属する社会階級ごとに社会意識が決まる、というのは19世紀の社会についてマルクスが論じたことである。しかし今は、社会意識の面では、階級社会とも、年功序列社会とも、ジェンダー社会とも言い難い。かつては確実で分かりやすい結び付きであった社会的地位と社会意識の対応関係が、現代の日本社会では見通しにくいものになっている。

「一億総中流」のような構図がないモザイク社会

 これは、個人と社会がつながっていないことを意味しているわけではない。人々がどんな心の状態にあるかということは、依然として社会的な力に左右されている。だが、「一億総中流」とか「伝統性と近代性の価値対立」などのように社会全体の動向を言い当てる大きな構図の命題が、すっかり当てはまらなくなったのだ。

 代わって「氷河期世代で初職が非正規である人は、格差是正を求める気持ちが強い」「未就学児を持つ既婚女性の仕事満足度が低い」「若年非大卒男性は政治参加に極めて消極的である」「40代前半の高学歴男性では、失業によって幸福感が大きく低下する」「近年の20代大卒層は高学歴を重視するようになった」といった具合に、対象となるケースを場合分けした分析や、複数の要因の重なりによって生じる交互作用効果に注目されることが増えている。どのような社会的セグメントにいる人々が、どんな心理状態にあるかということが、繊細なモザイク構造をなしているのだ。

 人々のアイデンティティの源泉は、もはや「女性」「高齢層」「ホワイトカラー」「大都市居住」「大卒」「高所得世帯」のような大きなくくりの社会的カテゴリーで共通してはおらず、極言すれば個人単位で細かく異なっている。人々が社会に対してどういう構えを持っているのか、ステレオタイプ的な理解が通用しなくなっていると言い換えてもいい。

 この状態は、社会学では「個人化」と呼ばれている。コロナ禍は、社会の姿をいっそう見通しにくくし、人々のつながりを寸断することで、この個人化をさらに進行させた。コロナ以前は「分断社会」が盛んに危惧されていたが、コロナ後の今は「寸断社会」と言うべき状況にあるのではないだろうか。

ラベル貼りのいたちごっこ

 この状態には特有の難しさがある。既存の社会的カテゴリーを用いたのでは、どの層が課題を抱えた弱者なのか特定できないのだ。弱者はモザイク構造の社会のどこかに潜在していて、そこにはまって落ち込んだ心は、事件などを契機に表面化する。

 思い起こしてみると、シングルマザー、氷河期世代、ヤングケアラーなど、私たちは脆弱(ぜいじゃく)なカテゴリーを見つけて名前を与え、社会的関心を喚起して問題を可視化してきた。かつてLGBTといわれた性的少数者は、今はLGBTQQIAAPPO2Sへと頭文字の数を増やしている。「セクハラ(セクシュアル・ハラスメント)」に始まり次々と新語が生み出される「〇〇ハラ」もそうである。

 ひとたびラベルが貼られれば、社会的関心が高まり、政策的対応や支援の手を差し伸べるNPOなどの組織が作られる。傷つきがちなアイデンティティーは守られ、心の落ち込みも修復される。だがこのプロセスは、新しく見つけ出された問題に社会の側が後追いで対応していく構図だ。細かく個人化された寸断社会にあっては、このいたちごっこを際限なく繰り返していかなければならない。

「名前のない不幸」という落とし穴

 昨年7月、安倍晋三元首相が、街頭演説中に手製の銃で襲撃され命を落とすという痛ましい事件があった。単独でこの凶行に及んだ山上徹也容疑者をめぐって、事件は思わぬ帰結に至った。容疑者の不幸な境遇を取り上げるメディアは、ロスジェネ世代、母子家庭、非大卒、非正規など、しばし論点について逡巡(しゅんじゅん)した後、旧統一教会という教団と、宗教二世という言葉に光を当てるに至ったのだ。名前のない落とし穴に一人落ちていた容疑者の心情は、宗教二世の不幸として可視化された。

 寸断社会には、不利な要因が重なって増幅している脆弱性のホットスポットがモザイク状に存在している。他者への関心が薄い中、名前のない不幸に陥っている人たちは数知れないだろう。山上容疑者の孤立、一人でのめり込んでいった凶器製作や犯行計画。そこには彼がはまってしまった不幸に名前がなく、それゆえに仲間も見つけられず、他者からの関心も向けられないということがあったのではないか。

 災害復興などでもそうだが、ひとたび可視化された不幸には、社会からの関心が向けられ、支援の手が差し伸べられる。そういうときに現代日本社会が発揮するホスピタリティーは称賛に値する。だが、名前のない不幸に陥っている単独の個人に目配りはなく、支援は届かず、そういう人たちが、今の社会にどれだけいるのかさえ私たちはつかめていない。

 問題の根源は社会が寸断されていることにある。次に何が起こるかは予想しえないが、名前のない不幸の落とし穴は至る所にあり、そこに陥る危険性は誰にでもある。そのリスク構造をしっかり知っておくことが、私たちにできる第一歩だろう。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

吉川徹(きっかわ・とおる)

大阪大学大学院人間科学研究科教授。大阪大大学院人間科学研究科博士課程修了。専門は 計量社会意識論、学歴社会論。SSPプロジェクト(総格差社会日本を読み解く調査科学)代表。著書に「学歴分断社会」「現代日本の社会の心」「日本の分断」など。

(2023年1月20日掲載)

話題のニュース

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ