ゆっくりと確実に海面が上がる理由
年末年始の休みに、映画「天気の子」を見た。全国で長雨が続き、東京では夏に雪が降る。そんな不穏な気象現象が物語の背景をつくる。明らかに異常な気象を、映画の中の社会は諦めて受け入れているかのように見えた。現実社会でも、豪雨と洪水が頻繁に伝えられ、つい先日の2022年12月にも大雪による被害が出た。温暖化に代表される気候変動が、目に見える形で私たちの日常生活に影響を与えつつある。
しばらく前までは、「何でもかんでも温暖化のせいにするのは非科学的」との声もあった。しかし近年の気候シミュレーションは、極端な気象現象と温暖化との関係を数字で示すことができる。たとえば気象庁を中心とした研究によれば、2022年夏に日本各地を襲った熱波の発生頻度は、温暖化によって200倍以上高まったとされている(注1)。
温暖化によって進行する地球規模の環境変化として、海水準(海面の陸に対する高さ)の上昇が挙げられる。突発的に起きる気象現象とは対照的に、海の高さがゆっくりと確実に上がっている。すでに島国や沿岸域では高潮や洪水のリスクが高まり、社会への影響が明らかになっている。「天気の子」では、3年間にわたって雨が続き、東京の主要部が海に沈む様子が描かれた。実際には、雨が増えても海水準は変わらない。それでは何が原因で海水準が上がっているのだろうか。
鍵を握る氷河と氷床
1900年から現在にかけて、海水準が約20センチメートル上がった。その原因の半分は海水の熱膨張、残りのほとんどは氷河氷床の融解である。大気と同様に海も温暖化しており、海水が温まれば体積が大きくなる。一方の氷河氷床は、融け水が海に入って海水の量が増える。特に近年は氷の融解が著しく、海水準に最も重要な役割を果たすようになった。
そもそも氷河氷床とは何だろうか。寒冷な地域では、冬に降った雪が夏に融け残り、その上にまた雪が積もる。少しずつたまった雪は、次第に圧縮されて氷へと変化する。やがて成長した氷のかたまりが、自重でゆっくりと流れ出したものが「氷河」である。氷河は極地や山岳域に分布しており、スイス、アラスカ、ヒマラヤなど海外の山岳地域で、谷を埋める氷を目にした方もあるだろう(図1)。
その数20万といわれる地球上の氷河にあって、南極とグリーンランドの氷河は圧倒的な大きさを誇る(図2)。大陸規模の陸地を覆う氷は「河」というよりは「床」、すなわち「氷床」と呼ばれるようになった。南極氷床だけで地球の氷総量の90%、グリーランド氷床を合わせると99%を占めるから、その他の氷河と較べて桁違いの大きさである。
氷河氷床の融解は20世紀から進行しており、最近では海水熱膨張をしのいで、海水準に最大の影響を与えるようになった(図3)。興味深いことに、最も融けているのは南極氷床でもグリーンランド氷床でもない。大きさとしては1%にも満たない「その他」の氷河が、大量の淡水を海に流し込んでいるのだ。これら小規模な氷河をまとめて「山岳氷河」と呼ぶ。山岳域や北極では温暖化の影響が大きく、その結果として山岳氷河の融解が止まらない。例えばスイスでは、雪が少なく高温に見舞われた2021~22年、たった1年で氷河全体積の6.2%が失われた(注2)。
次いで変化が激しいのがグリーンランド氷床である。北極域は世界で最も急速な気温上昇にさらされており、グリーンランドでも2000年頃から急速な融解が始まった。カナダやアラスカに分布する山岳氷河も激しく融けており、北極域は氷河変動のホットスポットといえる。
巨大な南極氷床の不気味な変化
そして予断を許さないのが南極氷床である。その面積は日本国土の36倍、氷の厚さは平均2000メートル。全てが融ければ海水準は約60メートル上昇する。この巨大な氷が増えているのか減っているのか、その正確な測定が可能になったのはここ10~20年のことである。人工衛星を使った最新の観測技術によって、南極の氷が減少傾向にあることが明らかになった。それまでは、温暖化で雪が増えて氷床が拡大するとの予想があり、それが覆されたといえる。
南極で明瞭な温暖化は観測されていない。そもそも南極は寒過ぎるので、少し気温が上がっても融ける氷の量は少ない。それではなぜ氷が減りつつあるのか。その鍵は海にある。南極氷床は大陸を覆いつくして、氷が海に張り出して「棚氷(たなごおり)」をつくっている(図4)。この棚氷の底面は広く海に面しており、大気と較べれば温かいともいえる海水によって融かされている。従来よりも温度が上がった海水によって、棚氷底面の融解量が増えているのである。さらに悪いことに、棚氷が融けて脆弱になったことで、支えを失った内陸の氷が加速して海に流れ込み始めた。
南極氷床は、降雪によって氷を蓄え、棚氷から切り離される氷山と底面融解で氷を失う(図4)。つまり、これらが釣り合っていれば氷の量は変わらない。近年の研究は、底面融解の増加と合わせて、氷の加速で氷山の流出が増えたことを示している。降雪に対して失われる氷が多過ぎて、氷床が小さくなっているのだ。沿岸で増加し始めた氷の融解と流出が、この先どのように推移するか理解は不十分である。氷の下にある南極大陸は、その40%が海水面より低くなっている。すなわち、水没した陸地が氷で埋め立てられたようなものであり、海に浸かった氷が今後一気に崩壊する可能性も指摘されている。
示された五つの未来
国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)では、気候と地球環境の将来予測について最新の知見を報告している。将来の気候変動は、私たちが排出する温室効果ガスの量はもちろん、人口の増加や、土地の利用方法、環境志向の技術開発など、様々な要素に左右される。IPCCはそのような不確定性を見込んで、社会と経済の先行きにSSP(Shared Socioeconomic Pathways)と呼ばれる五つのシナリオを定めている。2050年までに二酸化炭素の排出と除去のバランス達成を見込んだSSP1-1.9(楽観的なシナリオ)から、2050年に二酸化炭素の排出が倍増して2100年には気温が4.4℃上昇するSSP5―8.5(悲観的なシナリオ)まで、私たちの選択と行動によって決まる五つの未来である。そんな未来における海水準は、どのように予測されているのだろうか。
2021年に公表されたIPCCの第6次評価報告書によれば、1900年と比較した2100年の海水準は、どんなに頑張っても(SSP1-1.9シナリオ)0.5メートル、場合によっては(SSP5-8.5シナリオ)1メートル上がる(図5)。さらに、「SSP5-8.5シナリオの下で南極氷床の崩壊が進めば」1.5メートル上昇の可能性、その先2300年までに「最大15メートルの海水準上昇も否定しきれない」とされた。
今年生まれた子が老いる頃に
海水準の上昇によって、私たちの生活はどのような影響を受けるだろうか。まず極端な話として、世界中の氷河氷床があらかた融けて、海水準が50メートル上がったとしよう。そんな時には、日本国土の17%が海に沈む(図6)。面積以上に重要なのは、この地域に人口の70%が暮らしている事実である。山地が多い日本において、標高の低い沿岸域がいかに重要かを痛感する。2100年までに「ありうる」とされた1.5メートル。この上昇幅でも社会へのインパクトは十分に大きい。東京23区のうち五つの区は広い範囲にわたって水没する。中部地方では名古屋駅が、関西地方では大阪駅まで水につかるといえば、その影響の大きさを想像できるだろう。
気温上昇と同様に、進行する海水準上昇をすぐに止めることはできない。私たちにできるのはそれを遅らせること。そのために、二酸化炭素の排出を抑えてそれを全て吸収する、いわゆる「カーボンニュートラル」の社会を目指すことである。2100年までの海水準上昇には、0.5から1メートルという大きな予測幅がある。私たちはそのどちらかを選べと言われているわけではない。下限に近づける努力が求められているのである。
国土水没に伴う大きなコストを考えれば、積極的かつ戦略的な気候変動対策は十分に理にかなったものと思う。2100年といえば、今年生まれる子が人生を振り返る頃であろうか。彼らの目に何が映るかは、現在を任された私たちの判断と行動次第である。
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杉山 慎(すぎやま しん)
北海道大学低温科学研究所教授。南極、グリーンランド、パタゴニア等の地域で、氷河氷床の研究に従事。北大の大学院プログラム「南極学カリキュラム」にて、次世代の極域科学研究者を育成中。近著に「南極の氷に何が起きているかー気候変動と氷床の科学(中公新書)」。
(2023年1月23日掲載)
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注1.文部科学省プレスリリース https://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/mext_01104.html
注2.スイス科学アカデミープレスリリース https://scnat.ch/en/uuid/i/2e076759-0234-567e-9bfb-2cdfebd6ff34-Worse_than_2003_Swiss_glaciers_are_melting_more_than_ever_before
注3.北極評議会(AC)・北極圏監視評価プログラム作業部会(AMAP)・2017年報告書 https://www.amap.no/documents/doc/snow-water-ice-and-permafrost-in-the-arctic-swipa-2017/1610
注4.IPCC第6次評価報告書・第1作業部会報告書 https://www.ipcc.ch/report/sixth-assessment-report-working-group-i/