会員限定記事会員限定記事

佐々木朗希、飛躍の2022年から「WBC」「タイトル」の2023年へ

2023年01月23日13時30分

侍ジャパンメンバー入り

 プロ野球ロッテの佐々木朗希投手(21)が、さらなる成長と飛躍を期して2023年を迎えた。周囲の想像を超えた22年シーズン。4月10日のオリックス戦で、1994年の槙原寛己(巨人)以来28年ぶり16人目の完全試合を達成した。史上最年少で成し遂げ、13者連続奪三振のブロ野球新記録も樹立。翌週、同17日の日本ハム戦でも八回までパーフェクト投球を続け、底知れぬ可能性に誰もが酔いしれた。

 シーズンを全うするという目標をクリア。開幕前に自ら期待を超えたいとの思いから掲げた漢字「超」を実現した。明けた23年1月6日、先行発表された3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に臨む日本代表「侍ジャパン」のメンバー入り。有言実行の言葉と一緒に、ロッテ担当の記者がプロ3年目の佐々木朗をまとめた。(時事通信運動部 福永智隆)

 「開幕前の目標に近いシーズンを過ごせた」。佐々木朗は22年を、そう振り返った。岩手・大船渡高時代から常に注目を集め、プロ初登板、そして初勝利を挙げた21年を受け、期待値は上がっていた。結果は20試合に登板し、9勝4敗、防御率2.02。ローテーション投手としての第一歩を踏み出した。「球団の方針の下、1年目は体づくり。2年目は少し試合で投げて、3年目。こういった形である程度投げることができて、すごくよかった」。あくまで通過点。「まだまだできる。現状に満足せず、もっと高みを目指していきたい」

侍の栗山監督、「スケール感が違う」

 22年2月、沖縄県石垣市で行われた春季キャンプ。同7日に、日本代表の栗山英樹監督がチームの視察に訪れた。栗山監督が見守る中、佐々木朗はブルペンでなく、球場のマウンドから30球を投げた。世界で戦える選手を探す同監督は、20歳の投球を見て言った。「ドラフトの前から日本一の投手になると思っていた。スケール感が違う。日本のエース格の投手であることは間違いない」

 実戦初登板となった同19日の日本ハムとの練習試合(沖縄県名護市)では163キロをマーク。佐々木朗は「ここまで着実に調整できた。あとは、開幕に入ることだけでなく1年間投げること」。仕上がりは上々だった。

初の開幕ローテ、いきなり「164キロ」

 本人が繰り返してきた言葉がある。「1年間、しっかりローテーションで投げ続ける」。高卒2年目の21年は、5月16日のプロ初登板から間隔を空けながら登板した。3年目は、初めての開幕ローテーション入り。中6日でマウンドに立つという先発の務めがある。自分のやるべきことに集中。そんな思いが見て取れた。

 シーズン初登板は3月27日、開幕カードの楽天戦。6回3失点、10奪三振で勝敗は付かなかった。一回、3番の浅村栄斗に対する初球で自己最速の164キロをマーク。2年目の公式戦最速は159キロだったが、この日は直球48球のうち10球が160キロを超えた。翌週4月3日の西武戦で8回1失点と好投し、今季初勝利。本拠地ZOZOマリンスタジアムでのプロ入り初白星で、お立ち台では「最高です」と声援に応えた。

重ねた大記録、寝付けなかった夜

 そして4月10日のオリックス戦。歴史に名を刻んだ。晴天の下、一回から直球が走った。一回2死後、吉田正尚の空振り三振から五回2死で西村凌から奪った見逃し三振まで13人。1957年の梶本隆夫(阪急)と58年の土橋正幸(東映)によるプロ野球記録の9者連続を大きく上回り、64年ぶりの記録更新となる13者連続奪三振をマークした。佐々木朗自身は打者一人ひとりに集中し、記録の意識はなかったという。その後も走者すら許さず、九回2死から代打杉本裕太郎を空振り三振に。史上最年少の20歳5カ月で完全試合を達成した。

 奪三振は、95年4月に同じ球場で野田浩司(オリックス)がつくった1試合のプロ野球最多記録に並ぶ19個。佐々木朗は「抑えることだけを考えて、特に何も意識はなかった。普通に終わった」と淡々と振り返り、「実感はないが、おめでとうと言ってもらえて、うれしかった」。熱気に包まれた球場。さすがに試合後は、普段以上に寝付けず、同じ日に重ねた大記録を興奮気味にかみしめながら夜を過ごしたという。

またも完全試合か、しかし…

 20歳の右腕が与えたインパクトは大きい。1週間後の4月17日、本拠地でそのシーズン最多となる2万9426人の観衆が見守った日本ハム戦で先発。序盤でも一球一球に満員のファンが反応した。試合後に制球、球質は良くなかったと話したが、またも一回の先頭からアウトを重ねていく。八回まで無安打に抑え、一人も走者を許さない。前々回登板の西武戦の八回途中から、打者52人を連続アウトに取った。しかし、0ー0のまま九回のマウンドには立たず、102球で降板。「自分の仕事はできた」と納得した。

 長いプロ野球の歴史で誰一人成し遂げていない「2度目の完全試合」はお預けとなった。それでも、走者を出さないイニングは継続。4月24日、今度は敵地京セラドームでのオリックス戦で、一回に福田周平に159キロを右前にはじき返された。連続アウトは打者52人でストップ。世間の視線を独り占めしたような2週間だった。

柳田にズバリと163キロ

 ロッテの先発陣は疲労の考慮やリフレッシュの目的で一時的にローテーションを外れた。佐々木朗も4月25日に登録抹消。5月6日に本拠地でのソフトバンク戦で復帰した。この試合、前年の初対戦でいきなり本塁打を打たれた柳田悠岐から2三振を奪った。五回は163キロを外角低めにズバリ。柳田は反応できず、苦笑いを浮かべた。

 佐々木朗は試合後、「昨年打たれた時より、(直球は)10キロくらい速いと思う。その中でフォークボールも生きる」。言葉通り、2022年シーズンは直球の平均球速が158キロを超えた。交流戦に入った5月27日には、ちょうど1年前にプロ初勝利を挙げた阪神戦を本拠地で迎え、「ボールの質はすごく低かった」と言いながらも6回無失点。「悪いなりにも点を与えないようになった」。先発の役割を自覚し、見事に実践した。

快投中に、まめの出血で降板

 6月3日、東京ドームでの巨人戦に先発。10試合目で初黒星を喫した。岡本和真にシーズン初被弾となる一発を浴びるなど、5回を投げて8安打5失点。7月1日の楽天戦では、快投を予感させる立ち上がりだった。フォークの落差が抜群で、西川遥輝らがホームベース付近でワンバウンドするフォークを空振りするなど、一回に振り逃げを含む4奪三振。1イニング最多奪三振のプロ野球記録に並んだ。

 四回までに10奪三振。完全試合の日に記録した19奪三振を超えるようなペースだった。どこまで記録を伸ばすかと思われたが、四回に右手中指のまめがつぶれて出血。マウンドを降りた。まめの影響で翌日に出場選手登録を外れた。それでも、ファン投票1位で初選出されたマイナビオールスターゲームで実戦に復帰し、松山市の坊っちゃんスタジアムでの第2戦に先発した。1回を3安打1失点で最速162キロ。野球熱の高い土地柄のファンを楽しませた。

2桁に届かずも、淡々と

 後半戦は2連敗したが、8月19日に敵地での楽天戦で、6回5失点と苦しみながらも約2カ月ぶりの白星。同26日の楽天戦、9月14日の日本ハム戦では、ともに本拠地で勝ち星を重ねて9勝とした。同26日、敵地のソフトバンク戦が自身のシーズン最終登板に。6回を投げて暴投での1失点に抑えたものの、打線の援護に恵まれず、初の2桁勝利には届かなかった。

 「もちろん、良い時も悪い時もあったが、そこまで波は大きくなかった。初めて1年間(ローテーションを)回るので、最初から全部がうまくいくとは思っていない。ある程度良い投球が多かった」「(10勝)できたらよかったが、そこを大事にしているわけではない。自分の中でいろいろ目標がある」。冷静に淡々と、先発ローテーションを経験したシーズンを振り返った。

「タイトルを取りたい」

 プロ野球の年間表彰式が行われた11月25日、完全試合の際にマークした13者連続奪三振のプロ野球新記録と1試合19奪三振のプロ野球タイ記録がたたえられ、特別賞を受賞。佐々木朗は「(次は)タイトルを取って、このステージに上がりたい」と誓った。パ・リーグではオリックスの山本由伸が投手部門のタイトルをほぼ総なめにし、2年連続で最優秀選手(MVP)に。山本は10月24日には、沢村賞も2年連続で受賞。沢村賞選考委員会では、山本の対抗馬がいない現状が議論された中、堀内恒夫委員長が「佐々木朗希君は素晴らしい投手。日本のプロ野球を背負って立つ投手になってほしい」と期待を寄せた。

 23年の目標を示す漢字には、「冠」を掲げた。「チームの優勝に貢献するためにタイトルを取りたい」と意欲を示し、「チームの中心として投げる。自分が投げる日は絶対に勝つ」と頼もしい。特に取りたいタイトルについては「もちろん勝ち星(最多勝)、勝率も大事。でも、個人としては防御率、奪三振。それを狙いたい」。言葉に力がこもった。

平均1イニング多く投げる

 12月24日、推定年俸8000万円で契約を更改。「春先はいいスタートが切れた。中盤に離脱があり、後半は成績が落ちてしまった。結果的に悔しい一年だった」と、ここでは辛口の自己評価でシーズンを総括した。「一番大事にしていたことは、登板数とイニング」。22年は20試合登板で129回3分の1。以前に「いきなり200イニング投げられるとは思っていなかった。でも、140イニング近くは投げたかった」と語ったことがある。契約更改後も「最低限のことはできたが、もう少し投げていれば規定投球回(143回)もクリアできた」と話し、「離脱しないように投げ続けることがチームのためになる。そこを目標にしたい」と23年に目を向けた。

 具体的には「途中から、なかなか七、八回まで投げることができなかった。(1試合あたり)平均で1イニング多く投げたい」。20試合登板の内訳は、完投(完全試合の完封を含む)が2度、八回までが3度、七回までも3度、六回までは7度、五回までは3度、四回までが1度(まめがつぶれた7月1日の楽天戦)。イニングの途中降板は、雨中で六回途中8安打5失点だった8月3日の楽天戦。規定投球回には13回と3分の2足りなかった。単純計算すれば、14度あった四~七回での降板試合で、それぞれ1イニングずつ加えれば規定投球回に達する。

完投の重要性を意識

 22年で印象に残った登板として、9月2日のオリックス戦を挙げた。シーズン序盤の快投ではない。その試合は9回1失点。4月の完全試合以来となった完投をしながら、黒星を喫した。

 「平均投球数(のペース)が落ちてきて苦しい時期に、完投できたことはうれしかった。そういう試合を増やしたい」。完投は大事にしているのか、との問いには「先発投手としてすごく大事。後半になればなるほど、負けられない試合がある。その中で長い回を最少失点で投げることは、みんなが多分求めていること」。主戦投手の自覚と責任感をにじませた。

まずは「日の丸」を背負って

 プロ4年目の23年。まずは日本代表としてWBCに挑む。昨年11月には強化試合でオーストラリア戦に先発。慣れないWBC公式球を扱いながら、4回無失点と試合をつくる能力の高さを見せた。日本代表の吉井理人投手コーチ(ロッテ監督)も「やっぱり投げている球はすごい」と感心。代表メンバーの先行発表記者会見で栗山監督は、中心になる12人を選んだと説明した。

 大谷翔平(エンゼルス)やダルビッシュ有(パドレス)ら現役大リーガーが名を連ねる中、一角に食い込んだ佐々木朗は「日本の優勝のために、自分ができる精いっぱいの投球をしたい」。昨年は、漢字一字で表す目標(「超」)を実現させた。今年、輝く「冠」をどれだけ手にするか。

(2023年1月23日掲載)

◆スポーツストーリーズ 記事一覧

話題のニュース

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ