歌舞伎座のすぐ裏手に昔ながらの路地裏の風情を残す一角がある。にぎやかな表通りからは想像できないほど静かで落ち着いた、生活空間としての銀座だ。ここで生まれ育った斉藤大地さん(37)は、創業100年の和菓子店「木挽町よしや」の3代目。コロナ禍で人の姿が消えた街を元気づけようと2020年に1人で始めた「銀座もの繋ぎプロジェクト」は、ユニークな街づくりの取り組みとして注目され、地域を越えて広がっている。
銀座の路地裏の小さな和菓子店
1922年創業の「木挽町よしや」は、白とピンクのタイル貼りの壁が目を引くマガジンハウス横の路地を入った所にある。木挽町は現在の歌舞伎座周辺の旧町名。江戸時代の初め、江戸城の改修工事に携わった木挽き(こびき)職人(木材から材木を切り出す職人)が住んだことに由来する。
「この辺はお祭りになるとにぎやかになるんです。鉄砲洲(稲荷神社)のおみこしを見るのに一番いいポジションが歌舞伎座の前。お祭りや町内会の集まりで出る木挽町辨松(2020年に閉店)のお弁当も好きでした」と斉藤さん。
よしやの看板商品は、薄く焼いた丸い皮を二つ折りにして粒あんをくるんだ半月形のどら焼きだ。斉藤さんの伯父で2代目店主の中村良章さん(73)が早朝から皮を手焼きし、焼き印を押して、自家製の粒あんを一つひとつ包んでいく。それを斉藤さんと伯母の中村良子さん、恵子さんが手分けして袋に入れ、箱詰めする。家族経営の「銀座で一番小さな和菓子屋」には、ニャーシャという名のキジトラの看板猫もいる。
蜂蜜入りのしっとりした皮と甘さ控えめのあんこのあんばいがちょうど良く、小ぶりながら食べ応えがあるどら焼きは、税込みで1個162円。予約注文が多く、昼前に完売することも。ふらりと訪れたお客さんに、斉藤さんは「きょうはもう終わっちゃったんですよ…」とすまなそうに謝っていた。
オリジナルの焼き印を作って“マイどら焼き”を注文できるのも人気の理由で、記念品や手土産などに重宝される。企業や著名人から預かっている焼き印は6000本以上。タカラジェンヌが焼き印を作ると「トップスターになるというジンクス」があるとか。「だから若手は作ってはいけないという暗黙の了解があるようですよ」と宝塚ファンの恵子さん。
良章さんは大学の機械科で歯車工学を学んだが、別の店で和菓子の修業をした後、家業を継いだ。今はどら焼きが9割を占めるが、調理の専門学校で和菓子の指導も行っている。「練り切りでもなんでも作れるよ」。ちょっとぶっきらぼうな口調が職人らしい。
生粋の銀座っ子
「ginzaboy」のアカウント名で「よしや」や銀座の情報をツイッターなどで発信している斉藤さんは、中央区立泰明小学校、銀座中学を卒業した生粋の銀座っ子。銀座5丁目にある泰明小は2018年、アルマーニの制服を採用したことが話題を集めた。小学生の頃、斉藤さんも放課後は松屋銀座や三越の屋上でよく遊んだという。
「知らない人にどこで生まれたのか聞かれて『銀座』と言うと、『お金持ちなんでしょう?』とか『家は大きいの?』と誤解されるので、言わないようにしていた時期もありました。でも生まれ育った場所だし、隠しても仕方ない。この辺は銀座の下町エリアなので、庶民派です」
店に来る芸能関係者と接するうちに役者を志し、ジャニーズジュニアとしてコンサートに出たこともある。「楽しかったですね。でも、向き不向きがあるんだなと実感しました」と笑う斉藤さん。昨今、和菓子離れが進み、業界の現状は楽ではないが、コロナ禍をきっかけに、店だけでなく銀座の街のことを考えるようになった。「街が活気づけば、うちのお店にも人が戻ってきてくれるから」
「物々交換」でつないだ人の輪
銀座の店の商品を物々交換のようにしてつないでいく「銀座もの繋ぎプロジェクト」を始めたきっかけの一つが、コロナの影響で1000個のどら焼きの予約注文が前日になって突然キャンセルされたこと。それをツイッターにアップすると、銀座5丁目の三笠会館から「全部買います」と連絡が来た。「『恩返しするなら銀座の街に』と社長に言われ、何かしたいと思いました」
その頃、銀座3丁目の老舗洋食店「煉瓦亭」からカツサンドの差し入れがあった。「『作り過ぎちゃったから、よかったら食べて』ということだったので、お礼にどら焼きを差し上げました。その後、カツサンドをSNSに上げたら、『そのカツサンド、どこの?』といったコメントや『いいね』がいっぱい付きました。これをどんどん続けていけば、いろんなお店の宣伝になって、コロナが収束した時に足を運んでもらえるのではないかと思いました」
こうして2020年4月、「もの繋ぎプロジェクト」が始まった。手始めに銀座5丁目の和菓子店「菊廼舎(きくのや)」によしやのどら焼きを届け、お返しに小さな焼き菓子や干菓子を詰め合わせた看板商品の「冨貴寄(ふきよせ)」を預かった。冨貴寄は近所のイタリア料理店「ヴォメロ」でワインと交換。それを向かいに住むワイン好きの落語家の金原亭馬生師匠に届けると、師匠から手拭いを10本託された。手拭いは「馬」つながりで銀座2丁目の「JRAウィンズ銀座」へ…。当初は飛び込み営業のように店をつないでいった。
「もの」から「ひと」へ
同年5月、振り出しの「よしや」から数えて19軒目の松竹がプロジェクトに加わり、次に託す歌舞伎揚げとキャラクターグッズの「かぶきにゃんたろう」のぬいぐるみを歌舞伎座前で紹介した。その様子をメディアが取り上げると、取り組みが広く知られるようになった。シャッターの下りた街のあちこちで物々交換が進み、8月には100軒目の「ユニクロTOKYO」にたどり着いた。同店はデザイナーの高橋信雅さんから託された銀座の街のイラストと参加店のロゴのオリジナルTシャツを注文できるサービスを開始。1枚売れるごとに100円が銀座の町会組織である「全銀座会」に寄付される仕組みができた。
ユニクロTOKYOの売り場担当者の堀江彩さんは「皆さまに銀座の一員として認めていただいて光栄でした。地域や企業とのつながりができ、お客さまもすごく喜んでくださいました」と話す。
2021年からは、「もの」の代わりに銀座にゆかりの人々のメッセージ動画をインスタグラムで発信する「銀座もの・ひと繋ぎプロジェクト」へと進化。銀座生まれの演出家、宮本亞門さんからスタートした人の輪がゆっくり広がり続けている。
他地域へ“のれん分け”も
「もの繋ぎプロジェクト」の参加店による独自の活動も始まった。例えば、2022年4月から無印良品銀座店で開催されている「銀座・ひと繋ぎBar」。ひと月に1回、金曜日の夜にゲストを招き、お客さんと交流してもらう。これまで博品館の伊藤義文会長、老舗靴メーカー、マドラス取締役本部長の岩田敏臣さんらが銀座の魅力や老舗の新たな挑戦について語った。無印良品の栁俊輔さんは「MUJIで人が出会い、新しいことが生まれるのを見るとワクワクする」と手応えを語る。

「無印良品 銀座」の「銀座・ひと繋ぎBar」に「日本橋もの繋ぎプロジェクト」の代表者も招かれた(左から樋口純一さん、山本貴大さん、斉藤大地さん、栁俊輔さん)=東京・銀座(撮影・中村正子)【時事通信社】
「もの繋ぎ」の“のれん分け”も進んでいる。神奈川県鎌倉市では建長寺から青年会議所まで100軒がつながり、東京・浅草ではカレー店「SPICE SPACE UGAYA」を経営する宇賀村敏久さんを中心に展開中。東京・日本橋では山本海苔店の山本貴大社長、弁松総本店の樋口純一社長らが2021年11月に「日本橋もの繋ぎプロジェクト」を発足させ、店主らのインタビュー動画をユーチューブで公開している。樋口さんは「『動画を見たよ』と言ってくれる老舗の人が確実に増えている」と身近な反響を喜び、「日本橋に面白いキャラの人たちがいることを一般の人にも知ってもらいたい」と願う。
斉藤さんは2022年秋、地元住民の目線で銀座を紹介するウェブサイト「ギンザプロデュース24」を新たに始めた。「こんなに頑張れるのはお世話になった街だから」。そんな思いを胸に、フットワーク軽く銀座の街を駆けめぐる。
<記事中に登場する関連サイト>「銀座もの・ひと繋ぎプロジェクト」https://monotsunagi.jp/index.html▽「日本橋もの繋ぎプロジェクト」https://www.youtube.com/channel/UCmp7ajUkvgBPXC1YhoFaHUg▽「ギンザプロデュース24」https://www.ginzaboy.com/
(時事通信編集委員・中村正子、カメラ・入江明廣 2023年1月19日掲載)