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昭和の象徴、脱「オワコン」へ

2023年01月27日08時00分

百貨店・ビール・雑誌、Z世代に照準

 戦後の高度経済成長期に発展を遂げ、昭和の「豊かで文化的な暮らし」を象徴した「百貨店」、「ビール」、「雑誌」。バブル景気が崩壊し、インターネットの普及で人々の生活様式が変わったにもかかわらず過去の栄光にすがり続けた結果、「オワコン(終わったコンテンツ)」化の危機に瀕している。このままでいいのか。平成生まれの「Z世代」を振り向かせようと、かつての象徴たちが新たなレゾンデートル(存在意義)を獲得すべく立ち上がっている。(時事通信社経済部 栗原ゆり)

「おいしい生活」、売却

 2022年11月、そごう・西武が米投資ファンドに売却されることが決まった。コンビニ最大手「セブン―イレブン」を運営するセブン&アイ・ホールディングスがグループ力を強化するため06年に傘下に入れたが、経営不振から脱却できなかった。売却後は、家電量販大手「ヨドバシカメラ」が売り場の中心を占める見通しだ。

 そごう・西武が運営する西武百貨店が、「おいしい生活。」のキャッチコピーで一世を風靡(ふうび)したのは1982年。当時のセゾングループの中核企業として、モノだけではなく文化の発信拠点として若者を引きつけた時代だ。それから40年、客足は遠のいた。

 「小売りの王様」と呼ばれる百貨店の歴史は古い。三越(現・三越伊勢丹ホールディングス)は1673年、高島屋は1831年創業の、元はいずれも呉服店だ。

 戦前の昭和初期には、呉服店を起源とした百貨店に加え、阪急百貨店(現・エイチ・ツー・オーリテイリング)など電鉄系の店が続々と誕生した。輸入雑貨や衣料品など生活にまつわるあらゆるものを扱い、食堂では「お子様ランチ」を提供。休日に家族で訪れる「憧れの場所」という地位を確立した。

 戦中の停滞を挟みつつ、戦後は右肩上がりに成長を続けた。ピークの1991年に、業界全体の売上高は9兆7130億円と10兆円に迫った。しかし、昭和の終焉(しゅうえん)とともに没落が始まる。98年以降は減少傾向が続き、22年は4兆9812億円でピークの半分に。店舗数も91年の268に対し、22年は185まで減った。18年には名古屋市の丸栄が403年の歴史に幕を下ろし、20年には大沼(山形市)、中合(福島市)といった老舗も相次ぎ閉店した。

 東京都心も例外ではない。22年は新宿西口の「顔」とも言える小田急百貨店新宿店本館(東京都新宿区)が営業を終了。23年1月末には東急百貨店本店(同渋谷区)が閉店する。

 不振の要因のひとつは、「ユニクロ」に代表される専門店や、インターネット通販(EC)の台頭だ。特に衣料品のEC市場は拡大が目覚ましい。「サイズ感や肌触りが分からないものを買うわけがない」と高をくくり、丁寧な接客や独自の品揃えにこだわった百貨店の売り場に、若者はそっぽを向いた。訪れるのは今や、多くが高齢者だ。

アバターがスイーツ販売

 自分のアバター(分身)が「大丸松坂屋百貨店」の売り場を訪れると、パンダの着ぐるみ帽子を身に着けたスーツ姿の男性アバターが、デパ地下食品のおすすめを紹介している。「博多あまおうのティラミス」に手を伸ばして持ち上げ、形を360度から確認。質感は分からないが、おいしそうだ―。

 大丸松坂屋はここ数年、世界最大級の仮想現実(VR)イベント「バーチャルマーケット」に定期的に出店している。パンダ帽子の男性の正体は、同社でインターネット上の仮想空間「メタバース」事業を担当する田中直毅さん。「お客さまもアバター姿のため、リアル店舗とは違って、はっちゃけたコミュニケーションを取れる面白さがある」と話す。

 22年12月の開催時は、食品のほか、アートや寝具も販売。スイーツなど食品の売れ行きは好調で、3万3000円の枕も10点程度売れた。アートは売れなかったものの、田中さんは「売り上げは度外視。若い世代に百貨店への興味を持ってもらうことが大事だ」と語る。

 大丸松坂屋の親会社、J・フロントリテイリングは22年11月、オンラインゲーム競技「eスポーツ」のイベントを運営するXENOZ(ゼノス、川崎市)を買収した。eスポーツはZ世代を含む10~30代の関心が高い。店舗での大会開催や、人気選手のグッズ販売を目論んでいる。

 既存の売り場を若者向けにつくり直す動きも目立ち始めた。松屋銀座(東京都中央区)は1階にあったスカーフや傘といった婦人雑貨を3階に移し、Z世代がほとんど唯一関心を持つとされる百貨店のアイテム「デパコス(百貨店の化粧品)」を1階に大展開した。色鮮やかなリップなどカラーメークブランドを前面に、男女兼用商品も拡充。広報担当者は「20~30代の新規顧客を獲得できている。フレグランス(香水)を求めて来店される方も多い」と明かす。香水は、ブランドによっては男性客が4割を占めるという。

 伊勢丹新宿店(同新宿区)は人気ユーチューバーがプロデュースする洋服や、インフルエンサーが手掛けた商品など、Z世代に「ささる」ものを一堂に集めたイベントを開催。5日間で約1億1000万円を売り上げた。

 各社が立ち上がったのは、新型コロナウイルス禍がひとつのきっかけだ。20年春、人出が途絶え、インバウンド(訪日客)が消え、「不要不急」とみなされた百貨店は休業に追い込まれる。結果、大手各社は赤字に陥った。J・フロントリテイリングの好本達也社長は当時、こう語っている。「(売上高が91年のピーク以降)少しずつ落ちてきたので危機感が生まれない『ゆでがえる』だった。さすがに環境がこれだけ変わり、今のままで生きていけると思っている百貨店はいない」

「酔いたくない」若者たち

 「味が苦手」(24歳男性)、「太りそう」(25歳女性)―。いずれも、ビールに対する印象だ。宴会で「とりあえずビール」はもはや死語。無理強いされることもなくなったから、ビール特有の「苦み」を克服する機会も減った。大手メーカー担当者は「Z世代は多様な選択肢を求める。缶酎ハイやノンアルコールなど、ビール以外に興味が広がりやすい」と分析する。

 作家の落合信彦氏が「飲むほどにドライ。辛口、生」とつぶやく、やたらハードボイルドなテレビCMとともにアサヒビールの「スーパードライ」が誕生したのは87年。まさにバブル景気真っただ中、汗水たらして働く団塊の世代に愛され、爆発的なヒットとなった。販売数量は2000年に1億9170万ケース(1ケース=大瓶20本換算)を達成。「作れば売れる」時代だった。

 しかし、22年はわずか6888万ケース。90年代後半に相次ぎ登場した発泡酒や第三のビールにシェアを奪われた面もあるが、コロナ禍の打撃も加わってその凋落ぶりは激しい。アサヒ以外のメーカーも同様で、勝者はいない。業界関係者は「大量生産・大量消費の時代は終わった」と話す。

 メーカー各社は、移り気な若者をとらえようと必死だ。サントリーは22年、自分好みにカスタマイズできるビール「ビアボール」を発売した。ハイボールのように炭酸水で割る飲み方で、アルコール度数16%のビールを好みの濃さに調節できる。もちろん、氷を入れてもいい。

 担当者は「『ビールは早く飲まないとぬるくなって味が落ち、ゆっくり楽しめない』と敬遠する若者の声を受け、氷を入れることで冷たさを持続させ、自分のペースで飲めるようにした」と説明する。昭和世代には考えられない飲み方だが、「若い方から非常にいい評価を得ている」(新浪剛史サントリーホールディングス社長)という。

 キリンビールは、個性的な味わいが楽しめる手作り風のクラフトビールブランド「スプリングバレー」を前面に押し出す。大量生産・大量消費の従来ブランドとは真逆の路線だが、支持層はじわりと増加。東京・代官山にある醸造所併設のレストラン「スプリングバレーブルワリー東京」は、若い女性客らで賑わっている。アサヒは開栓すると生ビールのように泡立つスーパードライ「生ジョッキ缶」を開発し、若者の動画投稿意欲に火をつけた。

 一方で、酔うと趣味に割く時間がなくなる、健康に悪いといった理由で、ビールどころかアルコール飲料そのものを避ける「ソバーキュリアス」という生き方も注目され始めている。こうなるともう打ち手がないのか。

 「かんぱーい」。22年12月の夜、サラリーマンの聖地、東京・新橋で、忘年会に興じる男女がノンアルコールのビールや酎ハイ風飲料を手にしていた。ここはサントリーが期間限定で開いた店。同社は「生きることの喜びを提供するため、お酒を造ってきた。その魅力をノンアルでも実現したい。飲む人も、飲まない人も、みんながともに楽しめる新しい文化が生まれる」と説明する。ノンアル派を否定するのではなく、巻き込むことでアルコール文化の再興を目指したい考えだ。

「エビちゃん」はもういない

 「アンノン族」に代表されるように、昭和の若者は多くが、雑誌の提案する新しいライフスタイルに心酔した。70年創刊の「an・an」、71年創刊の「nоn-nо」。女性たちはこれらの雑誌を小脇に抱え、ひとりで旅に出た。

 バブル期には、「JJ」、「CanCam」、「Ray」といった、女子大学生をターゲットにした、いわゆる赤文字系雑誌(表紙の題字がいずれも赤色)が隆盛を誇る。皆がこぞって、これらのコンサバ系ファッションを真似した。男性向けでは、「POPEYE」や「ホットドッグ・プレス」がおしゃれの教科書だった。

 だがビールと同様、バブル崩壊で右肩下がりの時代が到来する。出版科学研究所(東京)によると、雑誌は97年の1兆5644億円をピークに販売額が減少し続けている。

 同研究所研究員の水野敦史さんは、雑誌が売れない理由について「スマートフォンの普及により、情報の即時性や無料化が求められるようになったことが大きい」と話す。雑誌は膨大な労力や時間、コストを費やされてつくられるが、書店で定期的に販売されるのみ。これに対し、ネット上では、膨大な情報がリアルタイムで、しかも無料でいつでも入手できる。フェイクニュースも少なくないが、若者は後者を選ぶ。

 赤文字系雑誌もデジタル対応を急ぐが、ネットに載せる情報に課金するハードルは高く、相次ぎ休刊や不定期刊に追い込まれている。水野さんは「SNSの発達により若い人たちの趣味嗜好(しこう)が多様化し、複数のインフルエンサーの『いいとこ取り』をするようになった。雑誌でアイコンを見いだす文化は廃れ、『エビちゃん(蛯原友里さん)』のようなカリスマモデルはもはや成り立ちにくい」と指摘する。

究極の「読者目線」

 そんな中、独走状態となっている月刊誌がある。シニア女性をターゲットにした「ハルメク」だ。編集長の山岡朝子さんは17年に就任後、14万5000部だった販売部数を5年で3倍に伸ばした。書店には並ばず、自宅に配送される定期購読誌にもかかわらず、22年12月に50万部を突破した。

 ハルメクが扱うテーマは、「入院・介護の備え方」や「一生歩き続けるための体作り」など、珍しいものではない。なぜヒットしたのか。それは究極の「読者目線」だ。

 通常の月刊誌は、1つの号の制作期間が3カ月程度なのに対し、ハルメクは倍の半年を費やす。最初の3カ月は調査に充て、毎月届く2000~3000枚のはがきを1枚残らず読み込むほか、座談会形式で読者の意見を直接聞いたり、アンケート結果から傾向を分析したりする。そこから導き出されるニーズにとことん寄り添う。

 例えば、「スマホのアプリをうまく使えない」という悩み。通常であれば、アプリのダウンロードの仕方を丁寧に説明したくなるが、読者の悩みはそこにはない。よくよく聞けば、「うまくタップができない」ということに行きつく。ハルメクは専門家のアドバイスを元に、「人差し指でゴマを取るぐらいの力加減で」と、タップの方法を写真入りで解説するのだ。

 山岡さんは「どんなに必要だと言われても60、70代は毎日筋トレをしないし、おいしくないものは食べない」と指摘。制作の基本姿勢は、「われわれが伝えたいことではなく、読者が知りたいことを届ける」ことだと力説する。

 一方で、「5年後、10年後を見ている。紙媒体そのものが求められなくなる時代が来る」と指摘し、「雑誌」という形態だけにこだわらない。22年にはウェブ媒体「ハルメク365」を立ち上げた。雑誌と同様、広告収入だけに頼らず、読者の購読料でまかなうビジネスモデル。真に価値のある内容であれば、紙であろうがウェブであろうが情報にお金を支払ってもらえるとの考えだ。

 Z世代向けにもそうしたコンテンツはつくれますか、との問いに対し、山岡さんは「できると思います」と笑って答えた。脱・オワコンのヒントがここにあるのかもしれない。(了)

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