強豪校の高校球児からゴルフ部へ
男女のゴルフツアーで脚光を浴びているトッププロたちを陰で支えるのが、バッグを担ぐプロキャディーだ。試合中は終始、一心同体となるべく選手に寄り添う。黒子役に徹しているキャディーの中でも、多くのゴルフファンにその名を知られているのが清水重憲さん(48)。1997年にプロキャディーとなり、田中秀道から古江彩佳まで男女計10人のプロと、合わせて39回の優勝で喜びを分かち合った名手だ。近年はイ・ボミ(韓国)の専属として2015、16年の2年連続賞金女王をバックアップした。昨年12月、内外情勢調査会武蔵野支部懇談会(東京都武蔵野市)で講演し、勝利を共にした10人の知られざる素顔などについて語った。(時事通信社 小松泰樹)
大阪府八尾市出身の清水さんは元高校球児。大阪の強豪、近大付高でプレーし、3年時にチームは夏の甲子園に出場。自身はアルプス席から応援した。ライバル校でもあった大阪・上宮高の同学年には、控えだった黒田博樹投手がいた。近大に進学した清水さんはゴルフ部に所属。卒業後、98年から田中秀道とコンビを組んだ。同年は日本オープン選手権など3勝。4年間で計6勝を支え、プロキャディーとしての礎を築いた。
今でも直立不動に 田中秀道
「田中さんは本当に厳しいプロでした。勝負の世界、その厳しさというものを教えていただきました。(トーナメント期間中は)毎晩、ミーティングです。というより、説教でしたね。『こういうアドバイスはできなかったのか』と、お叱りを受けました。それが毎晩、1時間も2時間も。自分にも厳しいお方でしたね」
「今の私があるのも、田中プロの説教があったからです。今日、(ゴルフ場で)解説などのために来られた田中さんにお会いすると、いまだに私は直立不動です」
朝の練習なしで優勝 井上真由美
次は近大ゴルフ部で一緒だった同い年の井上真由美。2002年4月、プロミス・レディースでのツアー初勝利をサポートした。最終ラウンド、井上は服部道子を1打差で振り切った。
「女子のゴルファーは初めてで、初優勝に立ち会えた数少ないプロです。おっとりとしていて、(ドライバーは)200ヤードほどしか飛ばない。それでも、現役バリバリの服部プロとの争いを制しました」
「井上プロは朝の練習を一切やりませんでした。なぜなのか。『(その練習で)調子が悪くなってしまうかもしれない。それが怖いから。変なショットが一つでもあると、不安になる』と言っていました。優勝した試合もそう。朝は食事を取るだけでしたね」
「飛ばないプロがパー5を制す」 谷口徹
04年から6年ほどは谷口徹。それまでに7勝していた谷口の専属となり、2度の日本オープン選手権制覇など8度の優勝を支えた。学びも多かったという。
「谷口さんは何かと難しそうなプロ、というイメージを持たれるかもしれませんが、まさにその通りですね(笑)。本当に真面目なプロ。間違っていることを『間違っている』と誰にでも言える。協会や機構のお偉い方に対しても、はっきりと物を言う。そういう方です。自ら率先して行動されていました。だから、後輩のプロからすごく慕われていました。毎晩のように若手を食事に誘っていましたね。われわれキャディーも、です」
「専属で6年やらせていただき、コースマネジメントの大切さを覚えました。今でこそポピュラーですが、当時はその言葉自体、あまり聞くことがなく、谷口プロに教わって理解しました。いわく、(ドライバーの)飛距離が出ない選手が、出る選手にどうやって勝つか。谷口さんは飛ばなかった。ドライビングディスタンスは100位くらい。飛ばし屋からは40~50ヤードも離されていました」
「でも、07年は賞金王になり、パー5(ロングホール)での平均スコアが良かった。『飛ばないプロがパー5を制す。それがコースマネジメント』と教えてもらいました。『バーディーを取るのが難しいホールでボギーを出さない。そうするためには、どうしたらいいかを考えてみなさい』とも。勉強になりました」
絵に描いたようなプロ 上田桃子
谷口が賞金王に輝いた07年は、上田桃子のキャディーも務めた。新進気鋭の上田は同年、当時史上最年少(21歳156日)で賞金女王。上田とは6年間のコンビで2勝をアシストした。
「上田プロは、まだ無名の頃から知っていました。『どんなことでも質問していいよ』と言うと、本当に事細かく、そんなことまで聞くのか、と思うほど積極的に質問してきました。上田さんのイメージを端的に示すなら、気が強く、どんな状況でも負けず嫌いの、絵に描いたようなプロです。最年少で賞金女王になった時、その記録はもう更新されないだろうと思いました。でも、それを(21歳103日で22年シーズンの年間女王に決まった)山下美夢有プロが抜きました。15年ぶりに。新たな時代の到来ですね」
「上田さんは今も第一線で活躍しています。当時最年少の女王になってから15年もの間、トッププロとしてやっていること自体がすごい。今、36歳。10代の若いプロから見たら、自分の親にも近いような世代ですね。それがゴルフのいいところでもあります。上田さんにはまだまだ、40代になってもバリバリとやり続けてほしいと期待しています」
国内メジャーに強かった 諸見里しのぶ
そして、上田と同学年、同期プロの諸見里しのぶ。19年シーズンを最後に第一線を退いた諸見里はツアー通算9勝で、うち6勝を09年に挙げた。結果的に最後の勝利となった同年の国内メジャー大会、日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯優勝の際にバッグを担いだ。
「諸見里さんは非常に性格が良いプロで、良過ぎるがゆえに…という印象もあります。09年は賞金女王争いで、最後の最後に横峯さくらプロに逆転されました」
(ツアー最終戦、LPGAツアー選手権リコー杯の前まで賞金トップで、2位は横峯。リコー杯の第3ラウンドを終えて諸見里が3位、横峯が5位。最終ラウンドで横峯が逆転優勝し、諸見里は1打及ばず2位タイだった)
「それでも、国内メジャーには強かった。07年に日本女子オープン、09年にはワールドレディース・サロンパス杯と日本女子プロ選手権で優勝。勝っていないのはツアー選手権リコー杯だけで、そこは(横峯に負けた)2位が最高。それに勝てば国内メジャー全制覇でしたね」
「勝者とコースセッティング担当者」のドラマ
上田と諸見里は、生年月日が1カ月ほど違うだけで、プロテスト合格も同じ。ともに江連忠コーチの門下生だったこともあり、ライバルとして火花を散らした。
「2人は、表向きは仲が良かったと思います。でも実は…。互いにあまり言葉も交わさず、バチバチと。そんな感じでしたね。もちろん今は、そんなことはありません」
賞金女王を逃してから10年後。諸見里は19年11月の大王製紙エリエール・レディースオープンの開幕前、この大会で競技生活に区切りをつけると表明した。第2日。予選落ち確定で最終ホールを終え、アテスト(スコア確認作業)に向かう途中、花束を手に待っていてくれた上田を見て号泣した。「ゴルフ場でこんなに泣いたことはなかった」。その後、ツアーのコースセッティングに携わるようになった。
22年4月の富士フイルム・スタジオアリス女子オープン。上田が逆転優勝し、ツアー通算17勝目をつかみ取った。大会のコースセッティング担当は諸見里。上田は「しのぶの意図が見える。そこをどう攻略していくか、考えながらプレーするのは楽しかった」。その大会で、21位だった臼井麗香のキャディーを務めた清水さんも、感慨を覚えたという。
「なかなか感動的でしたね。上田さんはまだ国内メジャーに勝っていない。でも、賞金女王になっている。諸見里さんはメジャーで3勝もしている。けれども、女王にはなれなかった。そういう2人の『身内』としては、(優勝者とコースセッティング担当というドラマに)ウルッときました」
「昭和のプロ」、酒の力も拝借 平塚哲二
次なる優勝コンビは平塚哲二。11年9月、滋賀・琵琶湖CCで行われたパナソニック・オープンで通算6勝目を挙げた。首位に4打差の6位から出た最終ラウンド。スコアを四つ伸ばして逆転した。
「平塚さんは『昭和のプロ』。とにかく、お酒が大好きでした。練習もたくさんします。朝の練習、ラウンド後。終われば食事、そしてお酒。毎晩飲んでいましたね。第3ラウンドを終えた日も、そうでした。私も付き合いますが、日付が変わっても帰ろうとしない。『お前、帰りたかったら帰っていいぞ』と言われても、プロを放っておくわけにはいきません。結局、午前2時ごろまで…。大丈夫かな、と心配しますよね。でも朝になったら、大丈夫でした(笑)。優勝しましたから」
「平塚プロによれば、優勝を争う位置にいると、緊張で夜になかなか寝付けない。だから、お酒の力を借りるのだそうです。しかも『朝、少し残っているくらいがいい』とか。優勝争いの最終日、1~3番ホールあたりはかなり緊張するそうで、『少し二日酔いくらいがいいんだ。ちょっとしんどいな、くらいが(余分な力が入らずに)ちょうどいい』と。どこか納得してしまいます。仲間が多く、お酒の席に一般の方がいることもありました。私が運転して移動する際には、車中で爆睡でしたね」
時間配分のルーティン徹底 藤田寛之
14年4月、つるやオープンで藤田寛之のキャディーを初めて務めた。藤田は当時44歳で、それまでにツアー15勝の実績を持つベテラン。この試合を制し、通算16勝とした。
「初めてのコンビだったので、すごく緊張しました。まず、藤田プロのルーティンが分からない。クラブハウスに何時ごろ姿を見せるのか。打ち合わせをして、所定の場所での待ち合わせを『(スタートの)1時間前』とすると、ぴったりその時間に来られました。2日目もそう。ショット、パットと同じ練習をする。3日目はスタート時間が予定より遅くなりましたが、それでもやはり、ぴったりと1時間前に。最終日も1時間前でした」
「次に一緒だった試合の時、1時間前の待ち合わせに関する話をしました。藤田さんは『もちろん、時間調整はしている。時間が余ったら、ロッカーでスイングの映像を見るなどする。自分が決めた時間は守る』と。プロにとって時間配分、ルーティンは大事だなと、改めて実感しました。早めに来て、たくさん練習をすればいい、という考え方はいかがなものか、と。藤田さんは筋力トレーニングもすごくやっていて、50代(現在53歳)には見えないくらいです」
ミスして泣いて「すみません」 イ・ボミ
イ・ボミとの名タッグは広く知られ、専属6年で17回もの優勝を経験した。15年は7勝、16年は5勝。2年続けて賞金女王に導いた。日本のファンも多い人気プロのイ・ボミは、19年12月に韓国の俳優と結婚。清水さんは、日本ツアーの出場機会が少なくなった元相棒を温かく見守っている。
「彼女ほど素晴らしい人はいないかも、と思います。印象深いのは絶頂期だった16年。開幕戦からずっとトップ10入り(出場12試合連続。15年からは15試合連続)をしていて、迎えた大東建託・いい部屋ネット・レディースの2日目です。最終18番(パー5)で第3打をダフって池に入れてしまい、打ち直しもダフって池へ。7打目でやっとグリーンに乗せて、このホール9(+4)の大たたきでした。ショックを受けた彼女は、泣きながら帰りました」
「その後、携帯に『すみませんでした』とメッセージが届いたのです。一番つらい本人がキャディーの私に謝るなんて、考えられません。長くキャディーをやってきて、プロからお叱りを受けることはあっても、プレーでミスして私に謝るとは。そんな経験はなかったし、どう返信したらいいのかと戸惑いつつ、『あと1日あるのだから、頑張りましょうね』と伝えました。最終日は18位。そのシーズン初めてトップ10から外れた反響は大きく、『どうしたの?』との声に『いやいや、まあ、そういうこともありますよ』と応じました」
「トップ10入りしなかったくらいでプレッシャーがかかる。後年、彼女はそういうプレッシャーに耐えられず、逃れたかったのかもしれない。そんなふうに私は思います。今は結婚して、幸せでしょう。先般、話をしました。23年も日本で5、6試合は出る意向のようです」
ポジティブな性格に感心 堀川未来夢
17年には日本ツアー選手権森ビル杯で、当時24歳の堀川未来夢と初めて組んだ。シード選手でありながら、プレーの未熟さが目についたという。
「こんなに下手くそなシード選手がいるのか、と正直思いましたね。シード選手にしてはレベルが低いと、本人にも伝えました。すると、彼はこう言うんです。『でも、そんなこともできないでシード選手なんですから、そういう自分もすごいですよね』。すごくポジティブな性格なんだな、と感心しました」
「2年後、19年の同じ日本ツアー選手権森ビル杯で初勝利を挙げ、その試合でもコンビを組ませてもらいました。彼は『サウナ博士』ですよね。よくサウナで話をします。弟のような、かわいい後輩という感じです。若い頃の上田桃子プロもそうでしたが、堀川プロはどんどんと、いろんな質問をしてきますね。そういう選手が伸びていくのかな、とも思います」
米ツアーで腕を上げたタフなプロ 古江彩佳
プロキャディー「39勝目」は、古江彩佳とのタッグだった。21年10月、延田マスターズGCレディースでの優勝。古江は同年12月、渋野日向子とともに米ツアー最終予選会を突破し、22年から米ツアーを主戦場としている。
「22年も国内で1試合(延田マスターズGCレディース)組ませてもらいましたが、レベルアップを感じました。彼女はとにかく、よく練習します。朝一番で練習し、ラウンド後の最後まで。(米国から一時帰国して臨んだ)富士通レディースでも、空港に着いて、そのまま練習ラウンド。そして優勝しました。本当にタフなプロです」
「40勝目」は誰と
22年の女子ツアーでは菅沼菜々とのコンビが9試合で最も多く、2位、3位、4位が1度ずつ。安田祐香とも4試合組んだ。菅沼、安田ともにツアー初勝利の期待がかかる若手プロ。清水さんにとって節目の「40勝目」は、誰の優勝シーンと重なるか。
(2023年1月16日掲載)