中国共産党政権ではかつて、党指導下の青年組織・共産主義青年団(共青団)出身者や「太子党」「紅二代」などと呼ばれる親の七光り幹部が若い頃から要職に就き、ハイペースで出世していくケースが多かった。しかし、習近平政権下で人事ルールが大幅に変わり、これらのエリートコースは事実上消滅した。(時事通信解説委員 西村哲也)
かつては30代で閣僚級
共青団のトップ(第1書記)が5月末に交代した。新しい第1書記は吉林省党委員会の阿東宣伝部長(52)。同氏は回族で、少数民族が共青団を率いるのは初めて。また、1970年代生まれで2人目の閣僚級幹部となった。
団の第1書記はかつて、40歳前後の幹部が起用されていた。李克強前首相のように30代後半という例もあった。中国の官僚は通常、出世組でも40歳前後で局長、50歳前後で次官なので、超特急の昇進だった。
団出身の有力者たちは「団派」と呼ばれ、党内の大勢力となった。その典型が前国家主席・党総書記の胡錦濤氏や李前首相である。
だが、政権トップが胡氏から習氏に代わると、団は「貴族化した」などと批判されて衰退。第1書記は40代後半の幹部が務めるようになり、今回は50歳を超えた。これでも、かなり速い出世だが、もはや以前のような特別待遇は全くなくなった。
第1書記経験者が中央指導部入りのコースに乗ることもなくなり、前第1書記の賀軍科氏も異動先は党・政府の要職ではなく、中国科学技術協会の党組書記という閑職だった。最近まで人事を管轄する党中央組織部長だった陳希氏が務めたポストだが、同氏は習氏側近なので、例外だろう。
団出身の李前首相や人民政治協商会議(政協)の汪洋主席は、中央指導者としてはそれほど高齢ではなかった(いずれも55年生まれ)のにもかかわらず、昨年の第20回党大会で引退。第1書記経験者で現役の胡春華前副首相らは、全員が第一線のポストから外された。
今後は、習氏と個人的なつながりでもない限り、団出身者が政権中枢の大幹部になることはないと思われる。
元国家主席の親族も断罪
団派と並んで、かつて権勢を振るった太子党もほぼ全滅状態だ。太子党は一つの派閥ではないが、共産党政権を樹立した革命家の親族として、貴族のように扱われていた。習氏も若い頃、元副首相の習仲勲氏の息子として優遇され、抜てきされたにもかかわらず、自分が最高権力を握ると、太子党の重用をやめた。
習政権で党中央規律検査委書記や国家副主席を歴任し、習氏の盟友といわれた王岐山氏(姚依林元副首相の女婿)が今年3月に引退した後、中央指導部で太子党と言えるのは中央軍事委副主席で軍制服組トップの張又侠上将ぐらいしかいなくなった。
張上将は父も上将だったが、太子党だからというよりも、父が習仲勲氏の戦友だったことから習氏に信用されているとみられる。
象徴的な事件が劉亜洲上将(元国防大学政治委員)の失脚だ。劉上将は開明派の作家として、また、李先念元国家主席(92年死去)の女婿として知られていたが、今春になって香港メディアで軍内の党規律検査委による調査の対象になったと報じられた。既に拘束された可能性が大きい。
李氏は鄧小平時代の有力長老の1人として、89年の天安門事件後の指導体制構築で大きな役割を果たした。このような超大物の親族が「反腐敗」で粛清されるのは極めて異例。保守派の習氏としては、開明派のイデオローグをたたくとともに、自分以外の太子党が大きな顔をすることは許さない姿勢を強調する狙いがあるのだろう。
団派や太子党の極端な重用は、文化大革命(66~76年)で若くて有能な人材が減り、天安門事件の影響で党への忠誠心がより重視されるようになったためと思われ、いずれ是正されるべき慣行だった。習氏はその流れをうまく利用して権力基盤を固めたが、自分だけは例外で、しかも皇帝のような終身制を志向するという姿勢が党内でどれほど共感を得ているのかは、大いに疑問のあるところだ。
(2023年6月19日掲載)