中国の李克強首相が先の全国人民代表大会(全人代=国会)で2期10年の任期を終えて引退した。市場経済化による改革・開放推進に積極的だったが、保守的な習近平国家主席(共産党総書記)が権力を拡大する中で権限がどんどん縮小され、「史上最弱の首相」と呼ばれた。だが、そのような評価は正しいのだろうか。(時事通信解説委員・西村哲也)
引退時にも批判
「(権限を)放した後、管理は追い付いているのか。サービス(服務)は行き届いているのか。これらは一体なのだ」。習氏は3月6日、全人代と並行して開かれた人民政治協商会議(政協)の一部の委員との会合でこう指摘した。発言は党機関紙の人民日報などで報じられた。
習氏が問題視したのは、政府機関の権限移譲、その管理との両立、サービス改善を意味する「放管服」改革。李氏が首相として、繰り返し重要性を強調してきた。習氏は「『放』を語るのなら、『管』と『服』をきちんと備えておかねばならない」とも述べており、李氏の重要施策を公然と批判したのに等しい。
自分の政権で10年も国務院(中央政府)を率いてきた人物が退任する会議でこのような発言をしたことから、いかに李氏とそりが合わなかったかがよく分かる。
ただ、歴代の党トップ(党主席、総書記)と首相は、似たような組み合わせが多かった。周恩来初代首相は左派の毛沢東党主席とは思想も人脈も異なった。死ぬまで召し使いのように毛主席に仕えたが、彼の極左志向を抑えることはできなかった。
後任の華国鋒首相は党主席との兼任。鄧小平時代は、総書記も首相(趙紫陽、李鵬の両氏)も事実上、鄧氏ら長老グループの部下でしかなかった。
朱鎔基首相は剛腕政治家として知られたが、党中央財経指導小組(中央財経委員会の前身)の組長は一貫して江沢民総書記が務めた。朱首相は、党中央が決めた経済政策の実行において剛腕だったのであり、政策決定を主導したわけではない。朱氏の実質的な全盛期は鄧氏の後ろ盾があった副首相時代で、鄧氏の死後、首相になってからはあまりぱっとしなかった。
胡錦濤総書記と温家宝首相は、党・政府トップとしては珍しく盟友関係にあったものの、党中央財経指導小組はやはり総書記が担当した。また、温首相が熱心だった政治体制改革論に、胡総書記は見向きもしなかった。温首相の言うことがことごとく実現しないため、「自分を格好良く見せる芝居をしている」という意味で「映画スター」と香港メディアなどからやゆされた。
つまり、中国共産党政権に「強い首相」がいたことは1度もない。社会主義体制では、共産党と政府など国家機関は親会社と子会社のような関係にあるので、当たり前である。子会社の社長が親会社の社長と対立することはあっても、対抗はしないだろう。
政策調整・修正に尽力
しかし、李氏も10年間、ずっと転落し続けたわけではなく、近年でも「見せ場」はあった。
中国本土以外のメディアで最も大きく取り上げられたのは「月収1000元」発言だろう。李氏は2020年5月の記者会見で、全人口14億人のうち低所得層6億人の月収は1000元(現在のレートで約1万9000円)しかないと指摘した。
自画自賛が多い中国の政治家がこのような事実を公言するのは珍しく、脱貧困に関する習氏の楽観論に冷水を浴びせた形になった。各地方・各部門の関係当局者に対し、気を緩めることなく貧困対策に取り組むよう促す狙いがあったとみられる。
また、国家主席の任期制限が撤廃されるなど習氏の影響力が大幅に強まって、政権がより左傾化した18年、全人代での政府活動報告から「市場が資源配置において決定的役割を果たす」という経済改革に関する党中央の基本方針(13年決定)が消えたが、その後も李氏はこの方針を強調し続けた。「市場の決定的役割」は21年の政府活動報告で復活し、新しい5カ年計画綱要にも明記された。
習氏主導のゼロコロナ政策や民営企業たたきで打撃を受けた国内経済の立て直しでも、李氏は活躍した。昨年5月には「経済安定化」をテーマとする全国テレビ電話会議を開き、自ら危機打開の大演説を行った。推定10万人以上が参加した。総書記ではなく、首相がこれほど大きな規模の会議を主宰するのは異例なことだった。
この頃から国務院は民営企業政策を修正し、インターネットサービス企業などの発展を後押しする姿勢を示し始めた。市場の役割を拡大するため、「全国統一大市場」構築の政策文書も党中央・国務院から発表されたが、「全国統一大市場」という概念は15年に李氏主宰の会議で打ち出されたものだった。
李氏によるこれらの政策調整・修正はあくまで党中央の政策の枠内で行われたのだが、「党高政低」と習氏個人への権力集中が進む状況下で、難度はかなり高かったはずだ。李氏がかつては党幹部として習氏より格上で、総書記の最有力候補だったことや、首相就任時には最大勢力だった共産主義青年団(共青団)派の現役筆頭格だったことが、李氏の前述のような比較的自由な言動を可能にしたのではないだろうか。
総書記は政権の大方向を決め、首相はそれに従いつつも、経済・社会の安定を確保するため必要に応じて軌道修正を担う。時には摩擦や対立もあるだろうが、一種の分業なのだ。その意味で言えば、習近平総書記+李克強首相の組み合わせは意外に「名コンビ」だったのかもしれない。
新首相こそ「史上最弱」
これに対し、新首相の李強氏(前上海市党委書記、元浙江省長)は全く事情が異なる。習氏の浙江省人脈「之江新軍」の代表格で、直系の「子分」。昇進の主な理由は上海の徹底的ロックダウン(都市封鎖)で示した習氏への忠誠心だ。3月14日に開いた今期国務院最初の常務会議で早速「国務院はまず政治機関であり、必ず旗幟(きし)鮮明に政治を重んじるべきだ」との方針を打ち出した。
そもそも、歴代首相と違って、李強氏は副首相どころか、国務院勤務の経験すら全くない。習氏の決定を常にそのまま実行することしか期待されていないのだろう。
しかも、今回の党機構改革では金融、科学技術、社会政策といった重要分野で党中央に統括機関を新設することが決まっており、国務院の権限は一層縮小した。同氏はまさに「史上最弱の首相」であり、いざという時に習氏とやや距離を置いて、現実に即した政策調整・修正を断行するのは極めて難しいと思われる。
(2023年3月23日掲載)