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南田裕介の「鉄印帳」片手に ホリプロ・マネジャーが薦める第三セクター鉄道の旅【第14回・甘木鉄道】

2022年07月08日12時00分

 ここに1985年6月の時刻表があります。佐賀県の基山駅(基山町)から福岡県の甘木駅(朝倉市)まで全長約14キロの国鉄時代の甘木線。駅数は全部で七つで、およそ25分で結んでいました。当時、列車は全部で7往復だけで、絵に描いたようなローカル線の時刻表です。特に昼間の時間は列車が1本も走っていなく、最終列車も21時台で終了していました。

 そして、2022年5月の時刻表。甘木線を受け継いだ甘木鉄道の時刻表が掲載されていて、37年前とは全く様相が違います。

 まず駅が11駅に増えました。86年に甘木鉄道が開業して以来、駅が四つ増え、駅の移転が一つありました。そして列車の本数が爆発的に増えました。平日はなんと42往復。上り、下りとも1時間4本も列車が発着する時間帯もあります。列車はコンスタントに走り、最終は驚きの0時14分甘木着。国鉄時代よりも3時間も繰り下がっています。ずいぶん変わりましたね。

 今回はこの甘木鉄道をご紹介したいと思います。

 甘木鉄道はJR鹿児島線基山駅と西鉄甘木線甘木駅をつなぐ路線です。小郡駅(福岡県小郡市)では西鉄天神大牟田線と接続しています。今回、鹿児島線基山駅からご紹介することにします。

乗降口のステップに優しさ

 甘木鉄道のホームは鹿児島線の長大な駅の片隅にあります。6両編成の快速列車から乗り継ぐのは1両編成のレールバス(ディーゼルカー)。

 甘木鉄道には現在、全部で8両のレールバスがあって、全てカラーリングが異なっています。ロングシート車両とセミクロスシート車両があり、ほほ笑ましいのが乗降口のステップ。ステップは2段が一般的ですが、甘木鉄道の車両には小さなステップが取り付けられていて、少しでも乗り降りが負担にならないよう配慮されています。

 今回乗車するのは「AR306」形。カラーリングは公募で選ばれた高校生によるデザインで、桜をイメージした車両とのこと。甘木方面からやってきた列車が折り返し甘木行きになるのですが、たくさんのお客さんが降りてきました。みんな表情が明るいです。出発時刻になりドアが閉まり列車が出発します。ちょうど真横を鹿児島線の特急列車が通り過ぎて行きました。

 一つ目の立野駅。九州自動車道の高架下にある駅で、甘木鉄道になってからできた駅です。私が乗った時は、一人お客さんが乗ってきました。ここに駅がなかったらこのお客さんは甘木線を利用していなかったということでしょうか。

 そしてその次の小郡駅に向かう途中で行き違いのための大原信号場(小郡市)があります。この信号場があるおかげで、列車が増発できました。単線のローカル線において、列車を増発させるとなるとネックになるのが行き違いの設備。普通は駅で行き違いをするのですが、このように駅ではない場所にこのような設備を作るケースはまれにあります。当然ですが時刻表には掲載されていないので、初めて来た際には、突如として視界に行き違い設備が現れたので驚いたものです。時刻表をみっちり読み込めば信号場の存在も気づくのですが、私が甘かったようです。

鉄印帳の旅、もう一つの楽しみ

 小郡駅に到着です。西鉄天神大牟田線をまたぐために高架になっています。単線の駅なのでホームは一つしかないですが、たくさんのお客さんが降りたくさんのお客さんが乗ってきます。

 この小郡駅、国鉄時代はもう少し基山寄りにありましたが、西鉄小郡駅と乗り換えをしやすくするため500メートル移設され、ものすごく便利になりました。階段を降りるとすぐ西鉄電車が駆け抜けていきます。少し街を散策してみたのですが、活気がありますね。

 私が旅に出る時に積極的に寄るお店があります。まずは、パン屋さん。街の方々がパンを買いに来る姿を見ていると幸せな気持ちになります。また、時折思いがけず個性的なパンに出会います。小郡では西鉄電車のすぐ脇にある「焼きたてパン工房クリーブラッツ小郡店」を訪ね、「ド根性メロンパン」「牛肉ゴロゴロカレーパン」を見つけました。トレーに自分の好きなパンをトングで載せていくのは子どものころからワクワク感が止まりません。メロンパンはカリっとふわふわで、カレーパンはお肉満載。他にも塩パンがお薦めということでしたが、まだ出来上がり前だったので、次回行くときはぜひ買いたいです。

 そして、青果店(スーパーマーケットの青果コーナー、鮮魚コーナーを含む)を探すのもお決まり。青果店では、その時々の季節が感じられ、その土地土地の名産品に出会えます。小郡の青果店では名産のいちご「あまおう」が普段使いの金額で店頭に並んでいました。特売のキャベツもほしくなりましたが、これから旅が続くことを考えて踏みとどまりました。

 最後にスイーツショップ。私は甘党なのです。和洋問わず甘党です。小郡では「パティスリーミニョン」というケーキ屋さんに立ち寄りました。ショーケースではいろんなケーキが輝いていました。そして「あまおうタルト」を購入。お店の軒先の椅子をお借りしていただきました。甘いイチゴがたくさん載っていてとてもぜいたくです。クリームはものすごく滑らかで深みのある味でした。すぐ食べてしまうのももったいない上品な味で、ゆっくりいただきました。その間も家族連れで訪れるお客さんがたくさんいて、子どものころ母が買ってきてくれた誕生日ケーキを思いだし、涙が出そうになりました。

次々風景変わる魅力

 そして甘木線に戻り、次は大板井駅(同)です。この駅は非常に珍しく、高速バスの停留所と接続しています。確かに駅の真横を大分自動車道が通っており、車やトラック、観光バスなどが往来していまして、とても珍しい環境ですね。

 次の松崎駅(同)では列車が行き違いができる駅で、部活帰りの学生さんがたくさん乗ってきました。国鉄時代は昼間に列車がなかったことを考えると、当時の学生さんはどうしていたのかと考えてしまいます。

 続く今隈駅(いまぐま、同)は2002年開業の最も新しい駅です。この駅の近くに天忍穂耳(あめのおしほみみ)神社があります。境内にあるオオクスは8.7メートルの幹回りを誇る小郡市指定天然記念物です。神社の鳥居から本社までの参道を横切る形で線路が通っているという点がとても珍しく、CS日テレで放送中の「鉄道発見伝」のロケに来た時にこの神社にお参りしました。

 西太刀洗駅(大刀洗町)の駅前には大きく「ボンタンアメ」と書かれた建物がありました。スーパーで見かける「ボンタンアメ」を製造しているセイカ食品の福岡営業所・大刀洗センターがここにあります。ちょっと懐かしくて胸が熱くなりますね。

 そのお隣の山隈駅(筑前町)の駅前にはニュータウンが広がっていて、戸建て住宅がたくさん並んでいました。新しい駅舎、新しい街、これから歴史が築かれることでしょう。

戦争の記憶たどる博物館も

 太刀洗駅(同)ではたくさんお客さんが降りました。もともと甘木線は1939年に陸軍大刀洗飛行場の軍需物資輸送用に建設されました。その飛行場の最寄り駅が太刀洗駅です。駅前に筑前町立大刀洗平和記念館があり見学に行ってみました。展示されているゼロ戦などは本物。館内を説明してくださる方がいて、ポイントを教えてくださいました。鉄道の歴史にも触れられていて、国鉄よりも前には朝倉軌道、中央軌道という会社がここで貨物線を展開していたとのこと。最盛期には太刀洗駅を1-2万人が利用していたということでした。

 当時の航空技術を説明したパネルや、ゴーグルなどの道具、空襲を受けた際の資料なども展示されていました。また、命を懸けて戦地に向かった若い方々の写真と共に、遺書や家族に宛てた手紙、戦死を告げる電報などが展示されています。母親や兄弟に宛てた言葉はとてもきれいな文字で、どんな気持ちでこの手紙を書いたのだろうか、この方々も甘木線でこの飛行場に来たのだろうか―平和について改めて考えました。

考えさせられる鉄印のコメント

 高田駅(たかた、同)を出ると西鉄甘木線の線路が近づいてきて交差するかどうかという所で交差せず、やがて終点の甘木駅に到着します。徐行して駅に到着し30分に満たない列車の旅は終了です。

 甘木駅はとても大きな駅です。さすが国鉄時代に開業した駅です。駅前にはロータリーもあり、駅舎の中にはあさくら観光協会の観光案内所「ほとめく館」があります。この甘木駅は、筑前の小京都といわれる城下町秋月への最寄り駅。今度時間がある時にたっぷり行きたいですね。葛が名産ということで葛あめが売ってましたので購入しました。

 鉄印もこの甘木駅でいただくことができます。

 書き置き印で甘木鉄道の赤いロゴマークがアクセントになっています。自然豊かな環境の中でゆっくり走る「甘木鉄道」を強い力感ある毛筆体で表現し、甘木鉄道のロゴマークをバランスよく配置しています。

 またそこに書かれているコメントがグッときます。「ゆっくり走るから見える景色がある」。

 確かに甘木鉄道は、ものすごくゆっくり走ります。駅が増えて駅間が短くなったこともその理由の一つですが、沿線の畑には珍しく麦が植えられているのに気づいたり、川で水浴びをするカモがいたり、東京で暮らしているとなかなかお目にかかれない景色にここかしこで気づくことができました。

 老若男女、幅広い年齢層の方が乗っていました。鉄道ファン以外は、ほとんどが地元の方のようです。休日には、どこかに遊びに行くであろう若者が笑顔で会話し、またスマホに目を通し、青春だなと思いました。ご夫婦や、カップルのお客さんもたくさんいて、それぞれの時間を甘木鉄道の列車や駅で過ごしていたのが印象的でした。時代の流れや人口分布、鉄道のあり方も時代により変わり、国鉄時代の甘木線と現在の甘木鉄道甘木線とはまるで変わったのでしょう。鉄道が持つ可能性と意義をしっかりと表しているなと思いました。

(2022年7月8日掲載)

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