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「新しい資本主義」が暴く「アベノミクス」の実態

2022年11月22日

怒りなき社会が放置する経済の停滞(4)
日本テレビ政治部長 菊池正史

 凶弾に倒れた元首相・安倍晋三の国葬が9月27日に執り行われた。メディア各社の世論調査では、時がたつごとに国葬「反対」が「賛成」を圧倒した。安倍支持派からすれば、国葬で歴史的評価が定まったということだろうが、改めて国の分断と対立、混乱を浮き彫りにする結果となってしまったことは否定できない。

 この問題には少なくとも二つの論点がある。「安倍は国葬にふさわしい人物だったのか」という政治的な判断と、国葬にふさわしい人物を選ぶ「基準と手続きは何か」という法的な正当性だ。

国葬と政府の権限

 まず首相の岸田文雄は、安倍が国葬にふさわしい理由について「憲政史上最長の在任期間」など4点を挙げた。また国会で法的根拠を問われ、「国葬儀について具体的に定めた法律はない」と述べた一方で、「行政権の範囲内で内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定」したと説明した。さらに、国葬の実施は「その都度、政府が総合的に判断」するとした。

 この説明を聞き、納得する人が増えなかったのはなぜだろうか。安倍政権の実績を高く評価している元大阪府知事・元大阪市長の橋下徹ですら、「法治国家の国の運営とは思えない」「感情で国家を動かすのは最悪だ」(インターネットテレビ「ABEMA」の番組「NewsBAR橋下」〈9月10日〉)と批判していた。

 衆院法制局は野党のヒアリングで、次のように説明した。

 「国の儀式を行うこと」は「行政の作用」として、内閣に権限配分されている。しかし「国民の重大な関心に及ぶような事項」には法律の根拠が必要だというのが、現在の行政法に関する多数派の学説である。国葬にふさわしい人物かどうかの判断は、内閣の恣意(しい)的判断を排除するには限界がある。そうであるならば、国民合意を調達するために「手続き」として国会の関与が求められる。

 この衆院法制局の考え方は極めて重要だ。「国葬」に限らず、「重大な関心事項」を、時の政府が、法的手続きのないままに、恣意的・情緒的に決めることが許されるなら、かつて軍部という権力が国会を無視して戦線を拡大し、「決めてしまったことは仕方がない」と黙認してきた負の歴史との連続性を否定できない。

 権力の暴走に歯止めをかけ、政治に国民の声を反映させることが戦後民主主義の歩みだったはずだ。だからこそ、リーダーの「聞く力」は重要なのだ。つまり国民の代表である国会の意見を聞くことなく判断した岸田の「聞く力」の欠如が、多くの反対意見につながった理由の一つであろう。

「すごみ」か「甘さ」か

 岸田は、7月8日に安倍が凶弾に倒れた直後から国葬を考えていたという。多くの国民が衝撃を受け、動揺し、その非業の死を哀れんだことも事実である。世界中から哀悼の意が寄せられ、国内の関係各所で献花し、時に涙する人々の姿がテレビ画面に映し出された。世の中全体が哀れみと悲しみに包まれているかのようだった。そんな空気感が岸田の背中を押したことは間違いない。

 もちろん、情緒的な思いだけで決断したわけではあるまい。安倍を支持してきた右派勢力を引き寄せ、弔問外交で新たなリーダーとしての存在感をアピールするといった政治的な思惑もあったはずだ。

 しかしながら、そもそも「安倍政治」には批判の声が多かったことは周知の事実である。弔いムードに覆われ、事件直後は表立った批判はしにくい状況だったが、それでも「国葬」と聞いて「なぜ?」といぶかる声は、自民党内からも多数聞いた。

 決定的だったのが、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と安倍との関係だ。事件直後から実行犯の供述を通して、この関係が表面化し始めた。この教団は霊感商法や信者による多額の献金で家族らが苦しみ、最近も多くの相談が関係機関・団体に寄せられていたという点で、極めて反社会性が強い。「アダム国家である韓国に対し、堕落したエバの国家である日本が貢がなければならない」という趣旨の反日的教義を持ち、これが多額の献金などを正当化しているとの指摘もある。

 岸田が国葬実施を発表する2日前の7月12日までには、安倍が昨年、教団の関連団体にビデオメッセージを寄せていたことが明らかになっていた。安倍が教団に選挙支援を要請し、票を差配していたことを知る議員も多く、「反社会性」と「反日教義」を有する教団との関係が浮き彫りとなれば、強い批判にさらされることは確実だった。

 そうなることを見通し、自らの政権の支持率が下がることも覚悟で、安倍政権が抱えていた新たな「闇」を暴こうとしたならば、まさに肉を切らせて骨を断つ、すごみのあるリーダーだ。逆に、安倍の負の遺産に対する危機意識もなく、いつまでも国民が弔いムードに浸り、国葬に賛同してくれると思っていたとすれば、あまりにも甘いし、緩過ぎる。

 「すごみ」にせよ、「甘さ」にせよ、岸田のなした決断が「安倍の政治は国葬に値するものなのか」という問いを、改めて多くの人々に投げ掛けたことは間違いない。

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