日本で成功をつかんだ韓国人演歌歌手たち【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】

2022年12月26日15時00分

「国民的歌手」を母に持つチェウニ

 チェウニ(1964年生)は、99年に日本でデビューした韓国人女性歌手だ。日本レコード大賞新人賞を受賞した「トーキョー・トワイライト」(2000年)や、「アリベデルチ・ヨコハマ」(14年)などのヒット曲を持つ。何度かライブに足を運んだことがあるが、ステージから観客の顔が見えるくらいの小さな会場で表現力豊かな歌声に聞き入っていると、常連ではない私に気さくに話しかけてくれた。そんな気取らない人柄に惹かれ、一度ライブに行けばトリコになってしまうファンが多いようだ。今年のクリスマスコンサートでは、オリジナルのバラード曲以外にも、難易度の高いベトナムの名曲「美しい昔」(Diễm xưa)などを、情感たっぷりに歌い上げて観客を魅了していた。

 彼女は、「韓国の美空ひばり」とも呼ばれ国民的歌手であった李美子(イ・ミジャ)の娘であるが、主な活躍の舞台として日本を選んだ。チェウニのほかにも、韓国から日本に進出した女性歌手は数多い。その元祖は、李成愛(イ・ソンエ)だろう。「カスマプゲ」(77年)は「8トラ」と呼ばれた8トラックカラオケ(カートリッジ式磁気テープのカラオケ装置)の定番曲であった。

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 ソウル五輪が開催された88年のNHK紅白歌合戦には、チョー・ヨンピル、パティ・キム、桂銀淑(ケー・ウンスク)、キム・ヨンジャ(金蓮子)と、4人もの韓国人歌手が出場していた。韓流、K-POPブームが押し寄せるよりも四半世紀以上前の話である。その後、ポップスを得意とする若手歌手たちも日本進出を図るようになった。

 80年代、90年代にヒット曲を連発して一時期ソウル市議会議員にもなったイ・ソニは、イー・ソンヒの名で、わが国の旅番組でテーマソングを歌い、ヤン・スギョンとカン・スージーは民放ドラマの主題歌を歌った。チョン・スラも、にしきのあきらとデュエット曲のレコードを出している。いずれも、韓国歌謡界のトップクラスが日本に進出したパターンである。

職場に届いたコチョウラン

 韓国ではヒット曲に恵まれなかった歌手が、日本に来て大成功を収めたケースもある。桂銀淑とキム・ヨンジャの二人は、そんな代表例だろう。

 作曲家の浜圭介に才能を見出された桂銀淑は、88年に「夢おんな」で日本有線大賞グランプリを受賞する快挙を成し遂げた。NHK紅白歌合戦にも7年連続で出場する常連だったが、覚醒剤事件で日本に入国できなくなってしまったのは残念だった。

 一方のキム・ヨンジャは、ソウル五輪テーマソング「朝の国から」の日本語版でデビューし、都はるみプロデュースの「暗夜行路」などでファンを獲得した。東日本大震災の被災者に義援金を送るなどチャリティー活動に熱心で、紅白にも何度か出演したが、在日韓国人の夫と離婚し、韓国に帰ってしまった。

 しかし、人生とは分からないもので、2013年にリリースした「アモール・ファティ」なる曲が韓国で大ヒット。若者も口ずさめるほどの浸透ぶりだ。

 キム・ヨンジャといえば、ほろ苦い思い出がある。学生時代、アルバイト先の紹介で何度かお目にかかる機会があり、中学時代からのファンだと伝えたところ、私が大学に就職したときに「就職祝 キム・ヨンジャ」という立て札の添えられた大きなコチョウランが職場に届いた。ところが、当時の私はその立て札がどうにも気恥ずかしく、結局コチョウランだけを研究室棟の入り口に置いてもらったのだが、今から思えば随分と失礼なことをしてしまったと後悔するばかりである。

 台湾人、中国人、ベトナム人の女性歌手も日本の演歌界に挑戦してきたが、人数では韓国人が圧倒している。情感をストレートに伝える歌い方は、わが国の演歌愛好者の嗜好にマッチしたのではないだろうか。日本語と韓国語が似ているため、彼女たちにとって日本語習得が容易であったことも背景にあろう。

 演歌人気は日本だけにとどまらない。親日的な台湾では日本の演歌を愛してくれる人たちがいるのは言うまでもなく、韓国では「トロット」と呼ばれる軽やかな演歌に根強い人気がある。ベトナムにも同じようなメロディーと発声をする、いわば「V演歌」が存在しており、最近の私は歌姫レ・クエン(Lệ Quyên)の美声にぞっこんだ。日越国交正常化50周年となる来年は、半世紀前に日本でもデビューしたカーン・リー(Khánh Ly)にも注目が集まるのではないか。ちなみに、タイなどにも演歌に類する音楽文化があるのに、中国や北朝鮮では演歌が歌われないのは不思議なところ。

 アイドルグループの「BTS」(防弾少年団)を例に挙げるまでもなく、昨今は韓国出身の歌手が国境を越えて活躍することはめずらしくなくなったが、その基礎を築いた女性演歌歌手たちの功績にも、改めて注目したい。(文中、敬称略)

【筆者紹介】
礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)
慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)
1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。著書に「北朝鮮と観光」、共著に「新版北朝鮮入門」など。

(2022年12月26日掲載)

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