演説から覗く北朝鮮の本音
北朝鮮の思考を理解するうえで重要な手掛かりの一つは、最高指導者の肉声を伝える演説である。2011年12月に父の急死を受けて権力を継承して以降、金正恩氏は折に触れて党や国家の会議で発言してきたが、19年3月の最高人民会議代議員選挙で代議員(国会議員)職から外れた後は、不定期で同会議に出席し「施政演説」を行うことが慣例になった。最高人民会議の第14期第7回会議で行われた今年9月8日の施政演説は、19年4月、21年9月に続いて3回目である。
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今回の演説で最も注目されたのは、同じ日に採択された新たな核ドクトリンに言及した部分だ。「法令:朝鮮民主主義人民共和国核武力政策について」と題するその文書は核兵器の使用原則などを規定したもので、国務委員長、すなわち金正恩氏が核武力に関する全ての指揮・決定権を持つことを明記した。
北朝鮮が核政策を法令化したのは13年4月1日以来、9年ぶり。金正恩氏は演説でこの決定に触れ、「国家防衛手段としての戦争抑止力を法的に持つようになったことを内外に宣布する特記すべき事変」だと位置づけた。また、「悪の帝国」である米国から国家と人民の安全を保証する「政治的・制度的装置」として核保有を正当化しつつ、次のように述べた。
「もしわれわれの核政策が変わるとすれば、世界が変わらねばならず、朝鮮半島の政治軍事的環境が変わらなければならない。絶対に、先に核放棄という非核化ということはなく、そのためのいかなる交渉も、そのプロセスで互いに交換する駆け引きもあり得ません」
ここで注目されるのは、北朝鮮が自ら率先して核放棄をする意思はないと強調する一方で、米国との交渉自体を完全には否定していない点である。いわば「次に譲歩すべきは米国のほうだ」という一貫した姿勢なのであって、バイデン米政権が呼びかける「無条件対話」が北朝鮮側に譲歩を迫る前提である限り、平壌にはなんら魅力のない誘い文句であることを示している。
抑止力としての核開発の必要性を国内外に向けて再確認したこの演説は、米韓をけん制したいとの思惑があると同時に、経済的苦境に陥っている国民になおいっそうの団結を求める効果を狙ったものであろう。中国・習近平政権のにらみもあって、北朝鮮は核実験に踏み切れないでいるが、核ドクトリンや施政演説が発表されたタイミングを考えると、核実験に代わる象徴的意味合いを持たせたかったのかもしれない。
軍事優先に回帰?
演説からは、北朝鮮が軍事と経済の優先順位をどう考えているのかも推察できる。金正恩氏はこの中で「国家防衛力建設を最優先、再重大視」すると表明し、軍事力の強化を「第1革命課業」として掲げた。従来の言及順序が逆転し、経済よりも先に軍事について述べられた点が特徴的である。
北朝鮮は、シンガポールでの第1回米朝首脳会談を控えていた2018年4月に、それまで掲げていた、経済建設と核兵器開発を並行して進めるという「新たな並進路線」の看板を下ろし、「経済建設に総集中する路線」に舵(かじ)を切った。今回の演説は「並進」どころか、さらに軍事を重視する立場を鮮明にしたものであり、金正日時代の「先軍政治」路線への回帰を思わせるほど強硬な内容であった。
核ドクトリンが更新される9年の間に、北朝鮮は核実験を4回強行したほか、ICBM(大陸間弾道ミサイル)を含む各種ミサイル発射実験を繰り返してきた。兵器開発の進捗(しんちょく)に自信を深めたことが、強硬姿勢の主たる背景であろう。18年から19年に体制の命運を掛けて臨んだはずの対米交渉が頓挫してしまったことに対する不満が、過去の路線への反動となって表れたとも言える。
ただし、歴史的に見て「並進路線」を掲げていようがいまいが、北朝鮮は常に国防力強化と経済発展の双方を希求してきたことも事実である。朝鮮労働党創建77年に当たる10月10日、金正恩氏は「戦術核運用部隊らの軍事訓練を指導」した。翌11日付『労働新聞』の紙面はその様子を伝える一方で、同じ日に北朝鮮東部の連浦(リョンポ)で金正恩氏出席のもと、温室農場の竣工(しゅんこう)式が盛大に執り行われたことも報じている。内外の環境を見極めつつ、軍事と経済のどちらを、より前面に押し出すか。「労作」と呼ばれる金正恩氏の演説や談話からは、その時々の情勢を踏まえたバランス調整が働いているとみることもできる。
執権10年に自信深める
今後の北朝鮮情勢を展望するうえで注目しておきたいもう一つの演説は、金正恩氏が10月17日に朝鮮労働党中央幹部学校で行ったとされる「記念講義」である。施政演説が対外関係を強く意識した内容であるのに対し、記念講義は国内向けのものだ。前者ほどの派手さはないものの、金正恩氏が自らの執権10年をいかに総括しているかがよく分かる内容で、大変興味深い。
「社会主義政権党が、領導の代を継ぐ時期に現れうる混乱と陣痛を予防しながらも、必然的に提起される継承と発展の重要課題を革命的に解決することができた」
過去10年の実績を自画自賛したこのくだりが、演説の中核。すなわち、金正日時代に停滞した党の機能的役割を建て直し、発展させることができている、という自己評価を披露しているのだ。
この中で金正恩氏は、昨年1月の第8回党大会で党規約が改正され、「党事業全般を持続的に、革新的に深化発展させていくことができるようになった」と実績を強調。具体的には、党中央委員会全員会議や政治局会議に加えて、「細胞書記大会」や「初級党書記大会」などが定期的に開催されるようになったことを挙げた。
また、自身が党の首位に推戴された2012年4月の第4回党代表者会で掲げられた「金日成・金正日主義」こそが唯一の指導指針であり、金正恩自らのイデオロギーであることも確認された。金日成・金正日主義は党規約や憲法でも明文化されている。
韓国の情報機関は昨年、北朝鮮内部で「金正恩主義」なる新たなイデオロギーが登場したと分析していたが、今回の演説によってもそのようなものは存在せず、誤情報だったということが裏付けられた。
演説では、部下である党幹部への辛辣(しんらつ)な批判も展開された。金日成・金正日主義の中核である「人民大衆第一主義政治」で主たる障害となっているのが幹部たちの「誤った思想観点」であると指摘し、彼らの「無責任性、非積極性、形式主義、保身主義」「官僚主義、不正腐敗行為」を容赦なく断罪している。経済が思うように立ち行かないのは、最高指導者のせいでも人民のせいでもなく、担当幹部の問題だという論理である。
ちなみに、筆者の周りの北朝鮮ウオッチャーの間では、この演説で金正恩氏が述べた「税外負担行為を一掃する」という部分がちょっとした話題になった。北朝鮮は、1974年に世界で初めて税金制度が廃止された国だと自慢してきたが、いまさら「税」とは何を意味しているのか。
平壌に長年暮らした人物に聞いてみると、「税外負担」の「税」とは主に光熱費などを指すという。つまり、電気代のことを北朝鮮では「電気税」と呼んでいるとのこと。「人民大衆第一主義政治」を掲げる最高指導者としては、国家が規定する料金以外に、幹部が職権を利用して住民から金を徴収するような不正行為を一掃したがっているということだ。日本語と朝鮮語は、ともに漢字由来の単語が多く、だからこそ思い込みや理解しづらい部分があることを改めて実感したのであった。
2012年4月15日の金日成主席生誕100周年記念閲兵式で演説を行ったことが内外に初めて報じられて以来、金正恩氏による演説は、全文ないし一部要約が数多く公開され、テレビ放送されることも少なくない。父親の金正日国防委員長の肉声が朝鮮中央テレビに流れたのが「英雄的朝鮮人民軍将兵たちに栄光あれ!」と述べた4秒だけであったことを考えると、両者の統治スタイルの違いは際立っている。
筆者は、金正恩氏の名で公表される「労作」のなかでもとりわけ重要な演説に注目して逐一検証してきた。今回紹介した二つの演説からは、米国と没交渉状態に陥るなかでコロナ禍に突入して久しい金正恩政権が、国内でできることを着々と進めていることが読み取れる。兵器開発で抑止力を強化するとともに、党を中心とした国家運営、思想教育で民心掌握を図ろうとしているということだ。
【筆者紹介】
礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)
慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)
1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。著書に「北朝鮮と観光」、共著に「新版北朝鮮入門」など。
(2022年12月4日掲載)
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