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大阪・鶴橋のコリアンタウンで考えた【礒﨑敦仁のコリア・ウオッチング】

2022年08月02日

 今年に入ってから大阪・鶴橋のコリアンタウンを何度か訪れた。コロナ禍にもかかわらず、観光客でひしめきあっているのには心底驚いた。インバウンド需要に沸いていた頃と違って、聞こえてくるのはほとんどが日本語である。訪問客の年齢層は幅広く、K-POP人気の底力を感じざるを得ない。

 軒を連ねる屋台、雑貨店。鶴橋駅近くの店頭で、在日コリアン女性たちが魚のチヂミ(パジョン)を売っていた。その匂いに誘われて入った食堂は、店員さんが焼いてくれるお好み焼きと、大阪弁での軽やかなトークが絶品であった。

 ガード下には「楽人館」という古書店が、ひっそりとたたずんでいる。北朝鮮で出版された書籍の品ぞろえが豊富で、最近の大阪行きはもっぱらここで目当ての本を探すのが目的になっている。古書は値崩れしており、学生の頃からなけなしの金をはたいて買い集めていたことが、ばかばかしく思えるほどの廉価。北朝鮮を支持する朝鮮総聯系の在日コリアンが高齢となってから、大量の蔵書を手放すようになっているらしい。

 値崩れの理由はほかにもある。インターネットの普及による競争激化だ。一般書の流通では、クリックするだけで欲しい本が購入できる大手ネット書店にかなわない。しかも、専門書を扱う古書店の店主は往々にして高齢化しており、ネットが得意ではない。

 「楽人館」の店主に聞いてみたところ、コロナ禍もあって来客は減り、対面販売とネット販売の売上額が完全に逆転してしまったという。たしかにこの日、何時間も滞在している間に店内に入ってくるお客さんは片手で数えるほどであった。

 内容の書き換えや焚書(ふんしょ)を行う国の本を、原本で手に入れることは重要だ。良い買い物ができたと喜んで店を出た時、中年の男性がコリアンに対する聞くに堪えない差別用語を発しながら歩いているのに出くわした。ここまで露骨な表現で人を差別する光景を目の当たりにしたことはなく、大変ショックであった。

 何かが流行(はや)ればアンチも出てくるに決まっているし、人間関係では個人的に嫌な思いをすることもある。しかし、民族や国籍をひとくくりにして公然と差別を口にするのは間違っている。韓国の1人当たり所得が日本に追いつきつつある現在、われわれ日本人が余裕をなくしているのではないかと不安になる。

 日本人のパスポート所持率は2割を切っている。衝撃の数字ではないだろうか。多くの日本人が全く海外に行っていないという事実。コロナ禍より前、韓国に行く日本人が急増していたが、それは同じ人が何度も再訪問していたものと考えられる。

 必ずしも海外に行けば視野が広くなるとは言えないものの、パスポート所持率の低さはこの国の社会全体が「内向き」になっていることを示す象徴的な数値である。コリアンタウンの喧騒(けんそう)を抜け、駅へ向かう足取りが重く感じられた。

【筆者紹介】
礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)
慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)
1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。著書に「北朝鮮と観光」、共著に「新版北朝鮮入門」など。

(2022年8月2日掲載)

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