今夏以降に表面化した東京五輪・パラリンピックを巡る汚職・談合事件は大会や五輪自体への信頼を傷つけ、札幌市が目指す2030年冬季五輪招致にも影を落としている。スポーツ庁は大規模スポーツ大会の組織運営の在り方を検討しようとプロジェクトチーム(PT)を11月に設置し、再発防止指針の策定へ動きだした。一連の出来事で浮き彫りになった課題や問題解決の方向性、札幌招致に対する捉え方などについて、五輪史やスポーツにおけるジェンダー問題を専門とする中京大の來田享子教授に聞いた。(時事通信運動部 山下昭人)
◇ ◇ ◇
―東京大会のスポンサー契約を巡る汚職事件とテスト大会に関する談合疑惑から、浮かび上がった問題点とは。
一つはスポーツイベントの開催を含めたスポーツ界の非常に閉鎖的な状況なのだろうと思います。その閉鎖性がスポーツ文化の発展にとっての脆弱(ぜいじゃく)さにもつながっていると思います。特定のスポーツの運営ができる専門性のある企業が非常に少なくなってしまった。大会を開催する時にメディアへの露出、競技の普及、広報宣伝、大会開催のノウハウといったものを特定の企業にだけ頼って、それでよしとしてきた結果、と思います。あれだけの大きなものをやろうとして、ひずみが見えてしまいました。
―PTの議論では閉鎖性をどう解決するかがポイントになりそうか。
担える専門性を持つ人たちが少な過ぎる、限られているということ。その閉鎖的かつ脆弱な構造を解決しないといけない。突然メダルの数を増やすことができないのと同じように、時間がかかること。土壌づくりには当然時間がかかります。
―PTを設置し協議する意味や意義は。
こういうものを開催する流れになったことは、遅かったにしても評価はできると思います。ただ、PTで議論するにあたって、何がいけなかったのかが見えないと、どうすればいいのか見えないはずです。そこが分からないままPTを立ち上げる状態になっているので、議論には限界が生じざるを得ないのかなとも思います。
意思決定の不透明さなど取っ払って
―再発防止策では少なくとも何を示す必要があるか。
今回のような意思決定の不透明さ、(民間契約の守秘義務を理由として)後から検証できないような法的対応、第三者機関の不存在。こうしたものは基本的には取っ払わないと、汚職の防止やそれが起きた時の解明、人権問題を解決するための方法論にはおそらくならないだろうと考えられます。
半年とはいえ自分も(東京大会組織委)理事だったので、自分の首を絞めるようですが、この問題に関して理事会及び組織委会長の責任はどうなっているのか。全然責任が問われていないわけです。普通の会社だったら責任を取ると思います。責任が取れる状態ではないような意思決定機関の在り方、会長の位置付けが問題なのだと思います。
―組織委で短期間理事を務められた立場を振り返ると、理事会で把握できることはかなり限られていた実感があるか。
それはあります。人権問題に関してはどういう対応なのか聞くことなどはできましたが、そもそも担当理事制を取っていないから理事が目配りをする仕組みにはなっていない。職員から上がってくる資料に対して議論するスタイルですので、上がってこないものが何でどれぐらいあるのか、正直把握できない状態だったと思います。
ビジョンをより確実なものに
―東京大会の問題が残る中で札幌市の五輪招致活動が継続されているが、率直に感じることは。
都市や国際社会のビジョンをより確実なものにする場として大会を位置付ける必要があります。「イベント」を成功させることに終始し、開幕直前にいまさら意義を問うことになった東京大会を反省し、それを生かすべきだと思います。それが今のところ見えてこない状況。SDGs(国連サミットで採択された30年までの持続可能な開発目標)とか街の発展とか言われていても、それがどのような都市ビジョンに基づいたものなのか。都市計画との整合性がはっきり示されていない状態のように見えます。
大会ありきじゃないんです。社会があっての大会なんです。あるいは社会があってのスポーツ。社会をより良くし世界の平和を目指すというオリンピックムーブメントは、スポーツを手掛かりにはしていますけど、基本的には社会改革や教育改革の文脈で行われるもの。枠組み的にはイベントじゃないんです。だから社会のビジョンがあって、そこにオリンピックをどう置いていくかという話か、あるいはオリンピックを使って社会をどう変えますかという話か、どちらかの方向性でビジョンが語られる必要があります。
SDGsの最終年(30年)は世界が目指している。インバウンド、経済政策は別にオリンピックが来なくてもやるはずなんですよ。何でオリンピックを呼ぶのか、まさに意義です。そこが全然見えないです。
―今の招致を続けることによる懸念やリスクについてどう考えるか。
大会の経費に関しては炎上しがちなテーマと言ってもいいかもしれないけれども、多くなれば多くなったで、ものすごくたたかれる。かといって人的資源をかけないと抜けが出る。ものすごく難しい部分です。私たちは物を買う時、自分にとって価値があれば大きなお金を支払うことをいとわないはず。つまり金額の妥当性をビジョンに沿って見せるということがないと、東京大会での議論の繰り返しになってしまいます。
進んでいきながら、状況によってはいつでも招致の中止や大会返上ができる状態をつくる。返上することが自分たちのビジョンの阻害要因にならない状態をつくる。そういう状態であれば、返上の時にも十分理解できるような根拠が示せるはずだし、国際社会の信頼は失わないと思います。何が何でも開催する、というようなことは社会にとって良いことではない場合の方が多いでしょう。
何がいけないのか、何が課題なのか、ということを見て、駄目だったことに対し「ごめんなさい」を言って課題を吸い上げて、次に生かしていくという循環がないと糧にはならないです。スポーツとはそれをすることで成長を目指す分野のはずなんです。
立ち止まって「五輪」を考えよう
―日本は夏冬合わせて五輪を4度開催し、それ以外にも幾度となく五輪招致に取り組んできた。
オリンピック研究者としては、オリンピックに希望を持ちたい。スポーツ界にいる人間だし、(中京大で)スキー競技部長でもあるので、札幌でオリンピックをやれたらいいなと思うわけです。スポーツ人としてそういう思いはあるんです。だけど、やっぱり何のためにということがはっきりしないまま、とにかく大会をやれば目の前の苦しさから逃れられるかのように大会を開こうとする現実がある。やっぱり立ち止まって、戦後の日本人はオリンピックに関して、オリンピックを通して何をしてきたのだろうと考えてみる時間が今は必要ではないでしょうか。
―行き過ぎた商業主義により、五輪自体がコントロールできなくなっている印象は。
商業主義によって1980年代以降、例えば女性の参加が増えるようになった。参加者(の人数)を絞らなくてよく、女性はようやく入ることができるようになったことを見れば、一定の貢献はしてきた。ただ今の商業主義の在り方と国際的なオリンピックの在り方の両方を考えると、本当に国旗を揚げて国歌を斉唱して、国同士の戦いであるかのようなしつらえでやることがオリンピックの意義なのか、という時代になってきていると思います。
◇ ◇ ◇
來田 享子(らいた・きょうこ) 1963年8月17日生まれ。大阪府出身。神戸大教育学部、同大学院教育学研究科修士課程修了、中京大大学院体育学研究科博士後期課程修了。オリンピック・ムーブメント史、スポーツとジェンダーを専門とする。日本体育・スポーツ・健康学会副会長、日本スポーツとジェンダー学会会長、体育史学会副会長、日本学術会議第25期連携会員、日本オリンピック・アカデミー理事、日本オリンピック委員会(JOC)オリンピック・ムーブメント事業専門部会員。2021年3月からは東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の理事も務めた。
(2022年12月22日掲載)