「出世する名刺」の伝説 1910年創業 中村活字【銀座探訪】

2022年12月08日10時00分

歌舞伎座から徒歩数分のところに

 小遣いを使って、少しだけぜいたくをしてみようか。そんな気持ちになったとき、活版印刷で作る名刺はいい選択肢になるかもしれない。東京・銀座にある「中村活字」は、今では珍しくなった手作業の温もりが感じられる名刺を作り続けている。

 歌舞伎座を背に裏手の道を歩くこと数分。そこは目抜き通りのにぎわいから離れた静かなエリアだ。小さな食堂やマンションに交じって、太平洋戦争の戦火を免れた古い建物がぽつりぽつり。1910年(明治43年)に「中村活版製造所」として活字の製造・販売を始めた老舗も、昔懐かしいたたずまいを残している。

 ガラスの引き戸を開けて店内へ。まず目に入るのは、右側の壁に沿って奥へと続く木製の棚だ。厚さ数センチの木箱が整然と並び、その中に店の命ともいえる活字が収めてある。5代目店主の中村明久さん(73)によると、活字の数は20万本。「重みで床がしなっちゃってね」。よく見ると、床板が右方向に沈んでいるのが分かる。

 店は1923年(大正12年)の関東大震災で焼失後、昭和初期に再建された。太平洋戦争で銀座は空襲を受けたが、このあたりは幸運にも焼けなかった。店の床下にはかつて防空壕があったという。使い込まれた棚や床板の色を見れば、今が過去とつながっていることを改めて実感できる。

かつては銀座に数百軒

 活版印刷とは、鉛合金でできた活字を一文字ずつ並べて組版を作り、そこにインクを乗せ、圧力をかけて印刷する技術。刷り上がった文字が美しく、独特の手触りがあるのが特徴だ。

 店には注文客だけでなく、物珍しさに引かれて訪れる人も多い。しかし効率とコストダウンを追い求める時代に、手作業の仕事が生き残るのは容易ではない。中村さんはこの数十年の変化をこう振り返る。

 「昭和の時代、この辺は印刷屋が何百軒もあったんですよ。ほとんど活版屋さんで、それがどんどんなくなった。印刷の技術革新で活版からオフセットになって、そして突然、マックというのが出て。コンピューターを使って、素人でも一人でデザインして印刷できるようになっちゃいましたからね」

 中村さんによると、コピー機が普及する以前の活版業界は、官庁を中心に印刷物の注文が大量にあったという。そして印刷会社が注文を取るためのサービス品として作ったのが、名刺だった。しかし時代の流れで活版は衰退し、活字の需要も減っていった。

 「仕事、悩みましたよ。活版はもう駄目だと。うちも時代の流れで、オフセットの機械を入れてやったりしたんだけど」と中村さん。それがいつしか「振り子現象」のように流れが変わったという。「うちで名刺を作った女性デザイナーが、こんなことを言ってたんですよ。デジタルで大量消費の時代に広告とかチラシを作って、毎日消費されるでしょ。それが嫌になっちゃったと。だから活版で作った名刺を見ると、ホッとするって」

 何事もコンピューター任せの時代だけに、年月に磨かれた職人の手作業に魅力を感じる人はけっこう多いのかもしれない。

名刺の空白部には何がある?

 中村さんが「やってみましょうか」と言って、名刺づくりの工程を見せてくれた。まず文字の大きさを決め、活字を集める作業を開始。棚から細い木箱を引き出し、そこから素早く活字を見つけて指でつまみ出す。そして集めた活字を鉄の枠に収める。行間や空きスペースに「クワタ」や「インテル」と呼ばれる薄い板などの「込めもの」を入れる。「字の間隔によって、名刺の雰囲気は変わるんです」。空白部分にも細かくびっしりと詰まっている。「名刺は宇宙ですよ」

 こうして組み上がった版を印刷機にセット。チェーンが入った機械が音を立て、ローラーが回って紙に文字が移る。インクを美しく乗せるために、印刷圧を調整して刷り直す。コンピューターの作業とは違い、職人の勘と指先でモノができる過程がそこにある。

 中村活字を知る人の間では、「出世する名刺」などと呼ばれているようだ。中村さんによると、会社を立ち上げる人や写真家、文筆家などからの注文が多い。「うちで名刺を作った人同士が出会って仕事ができたとか、本の出版が決まったとか。名刺のおかげで仕事が増えました、なんて言ってまた注文してくれるんです。ほんと不思議ですね。本来ならとっくにこの会社はなかったんだから」

「パワースポット」との評判も

 確かにいくつもの危機を乗り越えてきた。すぐ近くの明石町にはキリスト教の宣教医師が設立した聖路加国際病院があり、そのため米軍はこの付近の爆撃を避けたといわれる。東日本大震災でも難を免れた。「印刷屋っていうのは、大地震があるたびに廃業するんですよ。棚が倒れると活字が落ちて傷むし、数が多過ぎて元に戻せないから。あの日は外を見たら自動車が地面で弾んでいて、どうなるかと思いましたね」

 近くにたくさんあった商店も、バブルの時代を経て姿を消した。マンション建設のために土地の売却を求められたときに、中村さんは悩んだ末に断って店を守ったという。「あの頃、みんな店を手放しちゃった。思えば、それを断ったから今があるんだよね」。時代の波にもまれながらも活字の文化を守ってきたせいか、ちまたでは「パワースポット」とも呼ばれているとか。「出世する名刺だとか、パワースポットだとか。理由は分からないけど、ほんと不思議」

 店には、これまで作った名刺を保存した分厚いファイルがある。その中に「結婚してください」というシンプルなメッセージを刷ったものを見つけた。1枚だけ印刷してほしい、という注文だったという。

 新しい仕事や人生に立ち向かう人が、実直で丁寧な手作業で作られた名刺に自身の思いを重ね、忍ばせる。相手に手渡すときに、それが静かに伝わるのかもしれない。

(時事ドットコム編集部・冨田政裕、カメラ・入江明廣 2022年12月8日掲載)

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