カジュアル衣料大手「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング(ファストリ)が大胆な報酬改定を打ち出した。年収の最大4割アップと実力主義の徹底で、米グーグル、アップル、メタ(旧フェイスブック)、アマゾン・ドット・コムをはじめとした有力海外企業との人材獲得合戦に挑む。同社を一代でグローバル企業に育て上げた柳井正会長兼社長が打ち出したユニクロ流の「アメとムチ」は、「安いニッポン」で根付くのか。(解説委員・樋口卓也)
日本の給与はG7最低
「現行25万5000円となっている新入社員の初任給を30万円に(年収ベースで約18%アップ)」「入社1~2年目で就任する新人店長は月収29万円を39万円に(同約36%アップ)」。ファストリが1月11日に発表した報酬改定の一例だ。大企業の大卒初任給21万0200円(厚生労働省・2019年賃金構造基本統計調査)と比較すると、破格の扱いに見える。30年ぶりに引き上げを決めた国家公務員(総合職)の初任給より10万円以上高い。
同社は、グループの国内正社員約8400人を対象に、今年3月から能力や実績に応じて決まる「グレード」ごとの報酬水準を数%~約40%アップする。人材投資の第1弾として昨年9月にパートやアルバイトの時給を2割引き上げており、今回は第2弾となる。
売上収益の半分を海外ユニクロ事業が占めるファストリは、日本を代表するグローバル企業だ。海外に比べて低い日本の報酬水準を引き上げるとともに、「世界で通用する働き方ができる人材に対し、成長できる機会を提供すると同時に報酬でも報いる」(岡崎健取締役グループ上席執行役員CFO)という。GAFAと呼ばれる米IT大手も含めて、「幅広い分野から優秀な人材を採用したいと考えている」(コーポレート広報部)。
22年8月期の有価証券報告書によると、グループの経営戦略を担う持ち株会社ファーストリテイリング単体(従業員1698人)の年間平均給与は959万4000円。日本の上場企業の平均より350万円ほど高い。ユニクロ店舗とは異なり、パートやアルバイトがほぼいないためだ。
だが比較対象を世界に移すと、違う光景が見えてくる。米IT大手では、従業員年収の中央値が10万ドル(約1300万円)を超える企業が珍しくないとされる。ファストリは電子商取引(EC)にも力を入れており、「情報製造小売業」を標ぼうする。国境や業種を超えて優秀なデジタル人材を確保するためには、報酬のグローバル化が必要というわけだ。
経済協力開発機構(OECD)によると、2021年の日本の平均賃金は3万9711ドル(1ドル・130円換算で約516万円)だ。OECD平均の5万1607ドル(約670万円)を大きく下回っており、トップの米国(7万4738ドル=約971万円)から数えて24番目だ。韓国を下回り、先進7カ国(G7)では最低。日本はドルベースで見ると、2000年からほとんど増えていない。バブル崩壊後の「失われた30年」を象徴する日本の給料の安さに、若者たちがやる気をなくすのも無理はない。
新人もオジサンも「完全実力主義」
報酬改定のもう一つの注目点は、実力主義の徹底だろう。リーダーや部長など管理職に支給される役職手当を廃止し基本給に組み込む一方、「成長意欲と事業への貢献能力に基づいて個々の人材に報いる」(発表文)という。実績や成果、組織に貢献する能力、成長意欲・成長性などをこれまで以上に重視して、従業員一人ひとりの新たな報酬を決める。最大40%の報酬アップが「アメ」だとすれば、実力主義の徹底は「ムチ」と解釈することもできる。
報酬改定で新入社員や入社1~2年目の大幅アップ、成長性が強調されているところを見ると、やる気と実力のある若手を大事にする会社だとアピールして、優秀な新卒や外部人材の獲得につなげる狙いとみられる。「世界で通用する働き方ができる人材」には、本社や本部で各国・地域と連携して仕事を進めたり、店舗で世界に通用する水準の仕事に取り組んだりすることが求められている。グローバル企業なら、当然の期待だろう。
一つ気になるのは、実力主義についていけない従業員はどうなるのかということだ。優秀だった若手もいつか中高年になる。体力は落ち、成果は上がらず、モチベーションを維持することも難しくなる。実力主義をバネにして再び頑張る人もいるだろうが、そうでない人が一定数出るのは避けられない。
同社はこの点について、「報酬改定の前から、もともと年齢や勤務年数を問わない『完全実力主義』を実践しているフラットな組織であり、年功序列はない。若手でもベテランでも年齢を問わずチャンスを与え、仮に失敗しても、失敗から学び、再び挑戦してくれることを期待している」(コーポレート広報部)と話す。
日本企業全般に言えることだが、雇用安定が最優先される労働法制の下で、労働生産性が低下した従業員をどう処遇するのかは長年の課題だ。年功序列の色彩が強く、社員の高齢化が進む日本の大企業がユニクロ流を導入しようとすれば、従業員の反発は避けられない。従業員に自己啓発を求める一方で、会社側からもスキルやモチベーションの向上を働き掛ける丁寧な取り組みが必要になる。ただそれなりのコストが掛かる。
日本の労働法制の在り方も問われる。言うまでもなく、欧米企業が実力主義を徹底して高い報酬で優秀な人材を引き抜き、労働生産性を保てるのは、いつでもクビにできる雇用法制があるためだ。海外有力企業との厳しい競争に直面するグローバル企業が進めようとしている実力主義の人事・雇用体系と、昭和から続く日本の労働法制がマッチしているとは言い難い。このままでは優秀な人材が米IT大手など外資系企業に流れてしまいかねない。雇用安定を最優先する労働法制は、見直しを議論するタイミングに来ているだろう。
ユニクロ流の持続的・構造的賃上げ
本格スタートした今年の春闘の焦点は、物価上昇を上回る賃上げが実現するかどうか。労働組合の中央組織である連合はベースアップを含めて5%の賃上げを求めており、経団連も「大きなところでは相違はない」(十倉雅和会長)と前向き。こうした中で、政府はファストリの報酬改定について「前向きに評価したい」(松野博一官房長官)と歓迎している。
ファストリの報酬改定は、今春の春闘交渉がどうなるかという一過性のものではなく、「持続的、構造的な賃上げ」(十倉会長)の一つの姿を示したという見方もできよう。年功序列、横並び・一律賃上げという「ぬるま湯」的な日本独特の労働慣行が変わるきっかけになるのか。ファストリに続く日本のグローバル企業が出て来るのを期待したい。
(2023年1月31日)