会員限定記事会員限定記事

道場六三郎さん「鉄人」から「ユーチューバー」に ひらめきの家庭料理を提案【銀座探訪】

2022年12月15日12時00分

「Allez cuisine!(アレ、キュイジーヌ=料理を始めよ)」の掛け声とともに、キッチンスタジオでシェフたちが腕を競った人気テレビ番組「料理の鉄人」(フジテレビ系など)で、斬新な料理を次々と生みだした道場六三郎さん。日本料理の伝統にとらわれない自由な発想力は91歳の今も健在だ。銀座に店を開いて50年余り。百戦錬磨の「和の鉄人」は2年前、ユーチューブチャンネル「鉄人の台所」を開設し、自身の老いの実感も込めながら、手軽に作ることができて食べやすい家庭料理を発信している。

【銀座探訪】「出世する名刺」の伝説 1910年創業 中村活字

料理人も働き方改革

「さぁて、きょうは何をやるかな」。2022年11月半ば、およそ50年前に開店した日本料理店「銀座ろくさん亭」で、この日の動画撮影の打ち合わせが始まった。撮影チームを率いる映像ディレクターの田中経一さん、料理長の山本賢治さんと共に「鶏ももコロ煮」「つまめる鮭納豆」「和製ローストビーフ」「新型肉うどん」「バナナ黒船焼」「これは便利蒸し野菜」などをリストアップし、紙に書き出していく。「料理の鉄人」でもその日の献立を「お品書き」としてしたためる場面が印象的だった。「献立を書いて、あれが終わった、これが終わったと、頭の整理をした。だから今でもうちの若い衆たちは献立を書いています」

「これは便利蒸し野菜」は、1時間ほど蒸した大根やれんこん、にんじんなどで、具材や付け合わせに大活躍する。「蒸しておくと仕事が早いのよ。野菜そのものの味が残っているし、2、3日なら冷蔵庫に入れておけば平気。これからは働き方改革。料理人も昔の職人の考え方を変えていかないと」と道場さん。鶏もも肉の皮目を焼き付けてひと口大に切り、蒸しておいたれんこんと共に鍋に入れて調味料を加えると、あっという間に「鶏ももコロ煮」が完成した。

 午前10時すぎから午後3時ごろまで、撮影中はほぼ立ちっぱなし。後半は道場さんのマネジャーを務める孫の鮫島なつきさんに調理の手ほどきしながら進んだ。田中さんは「先生だけだとグイグイ進んでいくけど、なつきさんがいるとちょっとゆっくりになって視聴者が見やすい。簡単に見える技がいかに難しいかもよく分かる」と言う。道場さんは、カレイの五枚下ろしにてこずる孫娘に「何枚も下ろさないと感じがつかめないよ」と優しく声を掛ける一方、厨房(ちゅうぼう)を手伝う弟子たちにも「見ておいて全部自分のものにしなきゃだめだよ。3年で一人前になるくらいの気持ちで」とハッパを掛けた。

約16万人がチャンネル登録

「鉄人の台所」は「料理の鉄人」の演出で知られる田中さんに提案され、2020年12月に始めた。「ユーチューブなんて知らなかったけれど、『家庭の皆さんに料理を』と言われて。女房が亡くなってから、家でも残り物でも何でも使って料理を作っていたからね」

 これまで、箸で食べられる棒状のハンバーグ、少量の油で焼く「ヘルシーとんかつ」、魚のさばき方の極意を伝授するメバルの煮付けなど60本以上を配信した。「年を取ると口が大きく開かないから、ドーンと出てくるハンバーグは食べづらい。自分が食事する時に思ったことを考えて作ります」

 今どきの家庭で敬遠される揚げ物は「油が大変なの。ちょっと油を敷いて、揚げ焼き、煎り焼きにすればいい。アジも食べやすく切ってフライパンで焼けば簡単」。チャンネル登録者は約16万人に上る。

銀座で磨かれた料理

 石川県の山中温泉の漆器職人の家に生まれた。6人兄弟の末っ子で三男だから「六三郎」。17歳の時に、近所の魚屋で働き始めたのが料理人としての原点だ。19歳で上京。銀座のかっぽうを皮切りに、神戸のホテルや東京・赤坂の料亭などで腕を磨き、1971年、銀座に「ろくさん亭」をオープンした。

「出だしが銀座だったから、やっぱり銀座。すべての雰囲気が好きなんですよ。始めた頃は接待のお客さんばかりで、女性はクラブにお勤めの方たち。当時は外食するご婦人はほとんどいなかった。今、うちのお客さんは6割が女性です」

 舌の肥えたお客さんによって道場さんの料理も磨かれた。「おいしくて、すっきりとした料理を今も心掛けています。僕は高級料理の板前でもなく大衆(料理)でもない、ちょうど中間点なんです。値頃もだいたい1万円ぐらいでできるように、自分で新しく考えた料理がほとんど。伝統的な料理をやるのはあまり好きじゃない。僕の料理は僕の料理。そうでないと生き生きとした感じがしない。それをひいきにしていただいたから今まで持ったんだと思います」

 大事にしているのは、「料理の前味(まえあじ)、中味(なかあじ)、後味(あとあじ)」だという。「前味はお客さんをお迎えするときの態度。中味はおいしい料理そのもの。最後に『思ったより安かった、また来よう』と思ってもらえるのが後味。100人のお客さんが入ったら100人に喜んでもらいたいから」

転機となった「料理の鉄人」

 1993年に放送が始まった「料理の鉄人」は、テーマ食材の魅力を制限時間内に引き出す料理対決が受けて、多くのスター料理人を生みだした。最高視聴率は23%に達し、道場さんの店にも多くの客が来て、借金も返済できたという。「僕の一番のターニングポイントだったんじゃないですかね。あれがなかったら、今こうしてやっていられない」

 食材を素早く大胆にアレンジして華やかに見せる技は、首相官邸や明治記念館などにも出向いて腕を振るった赤坂の料亭時代に培った。「外国の要人が来てガーデンパーティーをやると、真ん中に氷の彫刻を立てて、オードブルや天ぷら、すし、焼き鳥を並べて。そういった仕事も結構上手にやりました」

 番組では8割台の勝率を誇り、「日本料理では1回も負けていないんですよ」と胸を張るが、勝負に臨む時は「緊張した。やっぱり負けたくないから」と明かす。

 思い起こしたのは、昭和の名横綱、双葉山が69連勝で敗れた時に中国の故事から引いた「いまだ木鶏たり得ず」という言葉だ。木彫りの鶏のように動じない心。「僕も無心になろうと気を静めて。うちの料理でも、今感じたものを作るようにしています」。短時間で、きれいに、おいしく。「料理の鉄人」で磨かれた即興料理は今も身上だ。

「料理の海を泳ぐ」

 プロの料理人だが、「料理の原点は家庭料理にある」と言う。「見せようとか、格好いいとかではなく、要するに食べておいしいものが作れたらいい」。そんな思いも「鉄人の台所」に込めている。

「昔のように時間をかけて煮込むような仕事は大変。でも、おいしい自分のふりかけやソースを五つぐらい持っておけば大概の料理ができる。なすびや芋やにんじんでも蒸し焼きにして、魚の切り身も塩を当てて焼く、蒸す、揚げるだけで、あとは自分のソースを付ければいい」

「鉄人の台所」でも、大根おろしとマヨネーズを合わせた「マヨおろし」や、かつお節にしょうゆを混ぜて電子レンジで水分を飛ばし、七味唐辛子といりごまを混ぜた「ふりかけ醤油(じょうゆ)」などを紹介した。

 厨房に立つ姿は背筋がピンと伸びて若々しい。秘訣(ひけつ)は毎日のウオーキングと週2、3回のゴルフだという。「ゴルフに行くと1万歩。普段と合わせて1日平均4000歩は歩こうと。(年齢以下の打数で18ホールを回る)エージシュートも83歳の時に1回、84歳の時に7回やった。またできればと思っています」

「僕ハ魚 料理ハ海」。動画撮影の日に道場さんの調理着の背中に刺しゅうされていた言葉だ。「魚は海がないと生きていけない。僕は料理がないと生きていけない。料理の海の中で泳いでいる」。料理で人を喜ばせ、自分自身も楽しむ気持ちが一番の元気の源なのかもしれない。

(時事通信編集委員 中村正子、カメラ・舛本暖菜、安藤秀隆 2022年12月15日掲載)

【銀座探訪】銀座から発信する幽玄の世界 能楽観世流二十六世宗家の観世清和さん

銀座探訪 バックナンバー

新着

会員限定

ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ