政治ジャーナリスト・泉 宏
10月25日午後の衆院本会議で行われた故安倍晋三元首相に対する野田佳彦元首相の追悼演説は、与野党を超えて称賛の嵐となった。演説後も議場の拍手は鳴りやまず、テレビ中継がなかったにもかかわらず、インターネット上には「魂がこもっていた」「涙が出た」など、感動の書き込みがあふれた。まさに「首相経験者の矜持(きょうじ)あふれる名演説」(閣僚経験者)で、傍聴席で見守った昭恵夫人も涙ぐんで頭を下げ、演説後には「野田先生にお願いしてよかった。主人も喜んでいるでしょう。原稿を仏壇に供えたい」と、野田氏に感謝の念を伝えたという。
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追悼演説で、野田氏は傍聴席で安倍氏の遺影を抱いて見守る昭恵夫人を見上げて深々と一礼し、用意した演説文を思い入れたっぷりに読み始めた。まず、安倍氏の7月8日の銃撃による非業の死について「あまりにも突然の悲劇でした。政治家としてやり残した仕事、そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずだった穏やかな日々。すべては一瞬にして奪われました」と静かに夫人や議場に語り掛けた。そして、今も語り草となっている10年前の11月14日の「野田VS安倍」の党首討論について、「私は解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません」「あなたはいつのときも手ごわい論敵でした。いや、私にとっては仇(かたき)のような政敵でした」と声を張り上げた後、すぐトーンを落として「残念ながら再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません」と花束が置かれた安倍氏の座席に視線を送りつつ、しんみりと「闘い続けた心優しき政治家」をしのんだ。
先にやっておけば「国葬での分断」なかった?
その後は、2017年1月の通常国会召集日の夜、秘かに首相公邸に呼ばれ、当時の天皇陛下(現・上皇さま)の生前退位の是非について話し合って意見が一致した、などと2人だけの秘話を披露。その上で、憲政の神様と呼ばれる尾崎咢堂の言葉「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」を引用し、「再びこの議場で、あなたと火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう」と苦笑も交えて故人に呼び掛けた。その一方で「あなたは歴史の法廷に永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も・・・」と、抑制的な表現ながら安倍氏の業績への賛否にも言及してみせた。
安倍、野田両氏には他の首相経験者以上のさまざまな因縁がある。安倍氏は、54歳で宰相の座を射止めた故田中角栄氏の戦後最年少記録を更新し、52歳で政権を担った。野田氏も安倍氏の再登板に先立ち、故田中氏と同じ54歳で首相となっている。もちろん首相在任日数では、最長記録保持者の安倍氏が3188日、野田氏が482日と全く比較にならない。しかし「若くしてトップリーダーとなった重圧の共有」が追悼演説に深みを与えたのは間違いない。
国会の慣例もあり、野田氏の演説はテレビ中継はなかったものの、ネット上では中継され、視聴者が「ダメだ。涙でました」「言葉に魂が入っていた」「すごくすごくよかった」などと書き込んだ。さらに「先に追悼演説やっとけばここまで国葬、割れなくて済んだのでは・・・」との率直な感想が、「今回の追悼演説の価値」(自民党長老)を物語った。首相経験者に対する国会での追悼演説は、22年ぶりで戦後9回目。現在、岸田文雄首相を含めて現職議員の首相経験者は5人にとどまる。議場では「今回のような歴史的評価も得る追悼演説は、安倍氏のような突発事件でもない限り、もう実現しない」(同)と感慨にふける向きも多かった。
(2022年11月14日掲載)
【次回】補正規模巡る〝仁義なき戦い〟は2022年11月20日掲載予定
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