12月は東京で凱旋試合も
11月12日にドイツのボンで行われたフェンシングのワールドカップ(W杯)男子フルーレ個人で、東京五輪代表の松山恭助(JTB)が初優勝を果たした。この種目で日本勢は過去に太田雄貴、福田佑輔が優勝。松山が3人目の頂点に立った。10代の頃から大きな期待を受けながら、シニアの国際大会で好成績を残せず、もがいていた25歳。「いろんな人が『やっとこの日が来たね』と喜んでくれた。それがすごくうれしかった」と勝利の余韻をかみしめた。12月には、国内で3年ぶりの開催となる高円宮杯W杯(9~11日、東京・駒沢体育館)を控える。「凱旋(がいせん)試合」に向けても、大きな弾みをつけた。 (時事通信運動部 山下昭人)
◇ ◇ ◇
国際大会の新シーズン初戦で最高の滑り出しを見せた松山。「やってきたことが実を結んだ」と実感した。フランス代表として実績があり、東京五輪後に日本代表ヘッドコーチに就任したエルワン・ルペシュー氏の指導を受け、堅守が特長だったプレースタイルに攻撃の多彩さや力強さが加わった。
「コーチが(現役時代に)大事にしてきたステップ、リズム、スピードの緩急をプラスして組み合わせた。今大会はそれが要所で発揮できた」と自己分析。7月の世界選手権で2度目の優勝を遂げたエンゾ・ルフォール(フランス)との準決勝、2018年世界選手権覇者でW杯4勝のアレシオ・フォコーニ(イタリア)との決勝は、どちらも序盤の劣勢から逆転勝ちした。「自分のやること、相手が何をしてくるかということ、試合の流れ。この三つに極限的に集中していた」。会心の戦いぶりを、そう振り返った。
遠回りしながら、ようやく真価
東京・東亜学園高在学時には、08年北京五輪で日本フェンシング界初のメダル(銀)に輝いた太田以来となる高校総体3連覇を達成。正確な技術や競技に取り組む姿勢は一目置かれ、19歳で男子フルーレチームの主将を任された。「ポスト太田」世代のリーダーとして期待を集めたが、国際大会の表彰台にはなかなか絡めなかった。一方で、1歳下の西藤俊哉(セプテーニ・ホールディングス)や敷根崇裕(ネクサス)が世界選手権でメダルを獲得し、18歳の飯村一輝(慶大)がW杯で3位と躍進。後輩たちが自分を上回る成績を挙げる状況に焦り、「夜に寝られないくらい、うなされることもあった。自分はもう駄目なんじゃないかと」。苦しかった胸の内を吐露する。
これまでは「早く勝ちたい、メダルを取りたい」と気持ちが先走って空回りした。剣を扱う技術には人一倍の自信を持つが、「決めごとをつくり過ぎ、頭で理解しようとして体が動かなかった」とマイナスに作用した面を反省した。練習では細部まで突き詰め、試合になれば得点や勝敗ではなく、自然体で決断を早くし、一つ一つのプレーに集中するよう意識。ついに壁を乗り越えた。「諦めずに頑張ってよかった。(銀や銅の)メダルではなく優勝というのは、何より大きなリターン」と感慨を込める。
エペとサーブルの追随に負けない
フェンシング3種目のうち、フルーレは国内で集中強化されてきた歴史があり、現在も競技人口が最も多い。松山は「男子フルーレは一番の花形」と胸を張る。とはいえ、エペは見延和靖(ネクサス)、山田優(山一商事)、加納虹輝(JAL)らが東京五輪で男子団体金メダルの快挙を成し遂げ、サーブルも女子の江村美咲(立飛ホールディングス)が今年の世界選手権で初優勝。近年は他種目の躍進に押され気味だっただけに、フルーレを引っ張る立場として存在感を示せたことに安堵(あんど)感も抱いている。「自分のことも男子フルーレのことも信じていた。今回はいいところを見せられてよかった」
初めての大舞台だった東京五輪は個人が3回戦敗退、団体は4位。「何も失うものがないただのチャレンジャーだった」という地元大会からステップアップし、次の24年パリ五輪ではメダル獲得への思いをより強くしている。「同じエネルギー、情熱を持って練習に取り組んでいきたい。試合では自然体の自分を発揮することにフォーカスしてやっていけば、結果は絶対ついてくる」。自信を深め、来春に始まる五輪予選期間に目を向けた。
◇ ◇ ◇
松山 恭助(まつやま・きょうすけ) 1996年12月19日生まれの25歳。東京都出身。4歳でフェンシングに取り組み、東京・東亜学園高在学時に太田雄貴以来の高校総体3連覇を果たして注目を集める。早大在学時の19歳から男子フルーレ日本代表の主将を務め、2017年のユニバーシアードで銀メダル、19年のアジア選手権団体金メダル。昨夏の東京五輪では個人が3回戦敗退、団体が4位だった。全日本選手権は2度優勝。正確で多彩な技術と堅い守備を持ち味とし、飛び上がりながらしならせた剣で相手の背後を突く「ジャンピング振り込み」も見せる。JTB所属。身長180センチ。
(2022年12月1日掲載)