第20回中国共産党大会(10月16~22日)でスタートした新指導部は、習近平総書記(国家主席)が異例の3期目(1期5年)に入ったにもかかわらず、後継者が誰か全く見通しが立たない布陣となった。習氏の個人独裁を強めるためとみられるが、このような状態はいずれ、終身制復活への疑念を強めたり、権力継承をめぐる党内対立を招いたりして、政権の大きな不安定要素になる恐れがある。(時事通信解説委員・西村哲也)
「5年後も続投」示唆か
江沢民、胡錦濤、習近平の3総書記は就任時に60歳前後。習氏はその5年前、胡氏は10年前に最高幹部である党政治局常務委員となり、次期総書記に事実上内定していた。2人ともその間、党の幹事長に当たる中央書記局筆頭書記と国家副主席を務めた。
江氏は内定期間がなかったが、それは天安門事件(1989年)をきっかけとする政変で急きょ総書記に大抜てきされたからだ。江氏は当時、平の党政治局員で、常務委員ではなかった。
政治局常務委員は今回、7人のうち習氏ら3人が留任し、李克強首相ら4人が退任した。新人の4人はいずれも習派。もし新常務委員で最年少の丁薛祥氏(60)が中央書記局筆頭書記に就任すれば、少なくとも形式上は「ポスト習」の有力候補となっていた。
しかし、実際に筆頭書記に起用されたのは丁氏ではなく、新常務委員で最高齢の蔡奇氏(1955年12月生まれ)だった。蔡氏は第21回党大会が開かれる2027年には70歳を超えており、次期総書記としては年齢が高過ぎる。
丁氏は常務委員としての序列(6位)から見て、来春の全国人民代表大会(全人代=国会)で筆頭副首相に任命される可能性が大きい。そうなると、将来首相に昇格することはあっても、総書記就任は考えにくい。
党大会開催の時点で、丁氏は党中枢の事務を取り仕切って総書記を支える党中央弁公庁主任、蔡氏は首都・北京市のトップ(党委書記)だった。直近のキャリアを比べると、丁氏の方が筆頭書記にふさわしかったが、総書記コースから事実上外された。
丁氏について、香港親中派の消息筋は「地方トップも中央機関のトップもやったことがない。(総書記になるのは)難度が高い」と指摘した。確かに、江氏は上海市、胡氏はチベット自治区と貴州省、習氏は浙江省と上海市の党委書記を経験していた。胡氏はその前に共産主義青年団(共青団)という巨大組織を率いていた。党全体の頂点に立つには、こうした「お山の大将」のキャリアが求められるということだろう。
新常務委員の序列最上位(2位)で来春首相に選ばれるとみられる李強氏(前上海市党委書記)は5年後に68歳。新総書記としては高齢だが、胡耀邦と趙紫陽も党トップ(前者は党主席、後者は総書記代理)就任時に60代後半だったので、李氏が首相から総書記に転じることがないとは言い切れない。
ただ、党トップの死去・失脚といった緊急事態を除けば、過去に首相が党トップに昇格したことはなく、中国政局について詳しく報じる香港・台湾の主要メディアでも、李氏を次期総書記の有力候補とする説は出ていない。
以上のように、新常務委員の人選を考察すると、そもそも、習氏は第21回党大会でも引退するつもりがないのではないか、また、それを示唆するための人事ではないのかと思えてくる。そうだとすると、習氏の総書記退任は早くて10年後ということになる。
歴史的難題の権力継承
後継者問題は中国共産党政権のアキレスけんだ。党主席だった毛沢東から胡錦濤前総書記まで、最高実力者が自分の意中の人物を後継者に選んで、実際に権力が順調に継承されたケースは過去約70年で1度もない。
毛の後継者とされた劉少奇と林彪は文化大革命(文革、1966~76年)で失脚した。建国時、高崗も将来有望な若手だったが、劉との権力闘争に敗れて自殺。この事件を機に高と同世代の鄧小平が浮上したものの、文革で失脚した。
なお、高崗事件のとばっちりを受ける形で、高と共に西北地方の革命運動を率いた習仲勲氏(習近平氏の父)も後に失脚。習家は16年間も不遇の時期を過ごした。
毛は華国鋒と四人組に後事を託したが、華は毛の死後、党主席に就任すると、四人組を打倒。その華も、復活した鄧に引きずり降ろされた。
鄧が総書記に選んだ改革派の胡耀邦と趙紫陽も失脚。天安門事件の影響で鄧は保守派長老らが推した江沢民氏を総書記にせざるを得なかったが、ポスト江に胡錦濤氏を内定した。江氏は自分で後継者を決めることができなかった。
習氏が次期総書記に内定したのは胡錦濤総書記時代の第17回党大会(20 07年)。最有力候補だった李克強氏(現首相)を逆転した人事だった。エリート組織の共青団出身者が続けて総書記になることを嫌った江氏が最有力長老として、習氏を後押ししたといわれる。
「激烈な政治闘争」懸念も
習氏は絶対的なトップリーダーとして、いずれ総書記を辞めて鄧のように院政を敷くにせよ、毛に倣って終身制を志向するにせよ、この2人もできなかった完璧な権力継承を成し遂げたいと考えているのだろう。そうしなければ、左派色の強い自分の政策継承は保証されない。
ワンマンだった毛は後継者選びに失敗して、その死後、文革の極左路線は否定された。鄧は南巡(南部各地視察)で改革・開放路線を復活させて江氏らに引き継ぎ、政局は相対的に安定したものの、後継者人事は最高実力者が次の次を決める「隔世指名」という変則的な形になってしまった。
習氏は第19回党大会(17年)以後、胡錦濤氏が次の次に想定していたといわれる共青団出身の胡春華氏(現副首相)を総書記コースから外した上、政治局からも追っ払ったことで、隔世指名を完全に否定した。
ただ、同時に集団指導制、指導者の任期・年齢制限、派閥均衡といった鄧路線の人事ルールも廃したため、習氏が今後、いつ、どのようにして後継者問題に取り組むのかは予測が困難になった。
「将来、権力継承をめぐり(党内で)残酷で激烈な政治闘争が起き、政権が動揺する可能性もある」(台湾ニュースサイトの風伝媒)といった見方は時期尚早かもしれないが、人事面の安定装置を失った習政権に政治的リスクが増したのは間違いないだろう。
(2022年11月10日掲載)