毎年11月10~16日は「アルコール関連問題啓発週間」。飲み過ぎや依存症など、お酒をめぐる問題への関心と理解を深めてもらうのが目的だ。今年も全国でさまざまな活動が繰り広げられる予定だが、今から3年前、こうした啓発事業から生まれ、現在もなお大きな反響を呼んでいる漫画があるのをご存じだろうか。
三森みさ著『だらしない夫じゃなくて依存症でした』。厚生労働省の依存症啓発事業の一環として2019年にウェブ連載され、20年に書籍として発売された。アルコール依存症の夫とその妻を主人公に、病気をめぐる苦悩と葛藤、回復への道のりを描いた作品は、多くの依存症当事者や家族から共感を集め、編集部には今でも読者から多くの声が届く。
作品に込めた思いについて、三森さんに話を聞いた。
目に見えない病気だから分かりづらい
―ネット連載が始まってから現在に至るまで、依存症当事者の方や、家族の依存症で悩んでいる方から「この漫画を読んで救われた」「自分の話を描いてくれてありがとう」という多くの反響が寄せられました。
喜びよりも、驚きの方が大きいです。当初、そこまで反響を呼ぶとは想像もしなかったものですから…。このお仕事に関われてとてもうれしく思いますし、時間がたってもなお反響をいただけることをありがたく思います。
―依存症の当事者や家族は、自分たちで問題を抱え込んでしまうことが多いからこそ、彼らのリアルな姿を描いたこの作品に多くの声が届いたのだと思います。依存症に関する悩みは、なぜ周囲に相談しにくいのでしょう。
依存症につきまとう「だらしない」「自業自得」「自己責任」などのキーワードが、本人や周りを苦しめているんだと思います。依存症は目に見えない病気だから、どこまでが趣味や嗜好(しこう)で、どこからが病気なのか、周囲の人には非常に分かりづらい。依存症が病気だと知らなければ、「何かがやめられないなんて、単にだらしないだけだ」となるのもうなずけますから。私自身も過去にゲームや買い物、カフェイン錠剤などに依存した経験を本書の番外編「心の穴を埋める旅」に描きましたが、何かがやめられない自分は恥ずかしい存在だと、ずっと思っていました。周りにできることが私にはできない。だから知られたくない。実際、そうやって誰にも相談しなかったから、悪化させてたんですけどね。
―「相談しづらい」と感じることの根底に、依存症という病気への誤解や偏見があります。この漫画を描かれてから、依存症を取り巻く世の中の状況は変わったと思いますか。
ほーんの少しずつなのですが、ネットで「最近は依存症っていう病気もあるし…」「著名人で依存症に悩んでる方を応援しよう」という書き込みを見掛けるようになりました。漫画や小説の展開でも、一昔前ならアルコールやギャンブルで登場人物が破滅に向かっていったであろうお話が、治療につながる展開になっていたりして、見掛けるたびに感動しています(笑)。
でも現実世界で会う人に話すと、やっぱり「依存症になるのは甘えなんじゃないか」という話になることが多いので、まだまだ先は長いですね。
「自分が変わる」ことを選んだ人は幸せになれる
―本作では、家族という閉ざされた空間の中で問題を解決することの難しさを描いていると思います。特にラストシーンで夫婦間で交わされる言葉は、家族間の愛憎相半ばする気持ちを見事に描いていて、とても印象的でした。
当初は「面白くて読みやすく、人に勧めやすく、希望が持てる啓発漫画」を目指していたので、読後感の良いエンディングにするという使命感があり、あのラストシーンを選びました。連載中あまりにも納期がきつすぎてそれ以外の選択肢を考えられなかった、というのもありますが(笑)。
ただ、周りから「ああうまくはいかない」と言われたり、自分がもっと依存症のことを知るにつれ、実際にはそもそも「謝る」という選択肢が取れなかったり、(家族が)お互いの距離感を保つのが難しい…などの話を聞いて、漫画で描いたラストシーンのようにうまくいくのは奇跡なんじゃないか、と思っていた時期もありました。
そこからまた時間がたって、今は「やっぱりあの終わり方で良かったんだな」と思うようになりました。どれだけ絶望的な状況でも、痛みを伴っても、「自分が変わる」という選択をした人は、何やかんや自分なりに幸せをつかんでますから。漫画の中の二人も、自分の人生の課題に向き合った結果、幸せになったんだと思います。
のめり込めば「自分や他人とのバランスを崩す」のは宗教も同じ
―本作の番外編では、三森さんが子どもの頃に親から宗教の強要を受けたことが描かれています。最近では政党の勉強会に出席され、宗教2世としても発信されています。宗教2世問題については、どのように捉えていますか。
私は親から宗教を押し付けられて嫌な思いをしましたし、信仰心はありませんが、宗教自体は否定しません。人は信仰なくして生きることができない生き物だとも思っています。その対象が宗教か、自己啓発本か、哲学書か、どこぞのお偉い先生か、インフルエンサーか、カウンセラーか、アイドルか、くらいの違いではないのでしょうか。人間は一人で自分の生きる方向性を確立できるほど強くないのです。
何を信じるかは個人の好きにしたらいいけれど、とにもかくにも、人に押し付けるな、子どもなんてなおさらだ、おもちゃにするな、とだけは言いたいですね(笑)。
のめり込み過ぎた結果、自分や他人との関係のバランスを崩すところは依存症の問題と同じだと思います。「カフェイン錠剤さえ飲めば元気になれる」と信じ込んでいた私は、「神様に祈れば問題が解決する」と言ってた父とそっくりそのまま何も変わらなかったなあと。何事もほどほどに、ですね。
悲しい話だけじゃなくて、希望になるような話を描きたい
―現在は新しい作品の制作に取り組まれているようですね。
2020年度の厚生労働省の依存症啓発漫画として描いた『母のお酒をやめさせたい』の書籍化準備をしています。描き下ろしを加えて全300ページを超えたので編集者の方が頭を抱えています(笑)。ウェブ版よりコマ数をたくさん増やしました。ぜひお読みいただけるとうれしいです。
―これからどんな作品を描いてみたいですか。
自分自身の病気と回復のエッセイをちゃんと描きたいですね。最近そこそこ元気になってから、昔の記憶がどんどん遠くにいっちゃって、もったいないなと…。悲しい話だけじゃなく、そこからちゃんと回復しましたよ、と希望になるようなお話が描ければと思います。あとは、虐待関係や依存症関係、コミュニケーション系も漫画にして、読みやすさからこうした問題への認知が広まればいいなと考えています。
三森みさ(みもり・みさ) イラストレーター、デザイナー、漫画家。1992年大阪生まれ。高校で美術・デザインを、大学で染色を学ぶ。『だらしない夫じゃなくて依存症でした』(時事通信社)が初の著書となる。
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