女子ソフトボール米国代表でニトリJDリーグ・トヨタのエース、モニカ・アボット。五輪で金メダルを争う相手の国で14年間もプレーし、ライバルのレベルアップに貢献しながら、自らも成長して最大のライバルであり続けた。今季を最後に日本を離れることを決意した功労者が今、思うことは―。
「私のキャリアはこの形」
秋晴れの10月23日、トヨタの地元・愛知県の豊橋市民球場。シオノギとの試合後、日本引退セレモニーと記者会見に臨んだアボットは、14年間の思い出や今の心境を語った。観客席には感謝の横断幕も。
日本でプレーを始めたのは2009年、北京五輪の翌年だった。「23歳で五輪に出た後、プロのソフトボール選手としてプレーする場所がないことに気づいた時、トヨタが声をかけてくれた」
言葉や生活、文化の違いへの不安。「何より日本はUSAのライバル」。北京で金を奪われた相手。迷いはしたが、「これはチャンスなんだと自分に言い聞かせた」。
189センチの長身左腕。剛球とライズボールを武器に1年目は13勝1敗、防御率0.88。「1年やってみて」のつもりが、グラウンド外の生活も日本が気に入った。「私なりのプロとしてのキャリアは、この形なんだ」
「チームの転換期に立ち会えた」
1968年の第1回日本リーグから参加しながら、84年を最後に優勝から遠ざかっていたトヨタは、この年2位。10年には26年ぶりの優勝を果たす。アボットは14勝負けなしで最高殊勲選手など4タイトルを獲得した。
12年まで3連覇を果たし、その後も常に優勝を争うトヨタ。「強いチームに変わる転換期に立ち会えて、見届けられた。思い出があり過ぎて、何か一つとは言えないけれど、チームと一緒に自分も成長したことが一番」と振り返る。日本流の長い練習時間にデメリットも感じつつ、「みんなが楽しむことを教えてくれた」とも。
今季も13試合8勝1敗、94奪三振、防御率0.13。投球回数は55回3分の1で、最多だった19年の半分以下ながら、投球内容にはまだ十分やれる力があった。
だが、「神のお告げが聞こえたのと、体とも相談して、もういいかなと。それにトヨタは次の世代が育っていて、バトンを渡してもいいかなと思って」決断したという。37歳。家族との時間をより大切にしたい年齢でもある。米国でも16年間プレーしており「現役を来年も続けるかどうかは、これから考える」という。
「相棒」の花束に涙
トヨタの投手陣は、東京五輪で後藤希友が飛躍し、三輪さくらも今年、日本代表に選ばれた。「後藤はまだちょっと若いけど、エースとしてやっていけるようサポートしてきた。これからも成長していくのが楽しみ」。この日は六回1死まで投げ、マウンドを降りる時にリリーフの後藤を抱き締めた。
三輪については「自分がどういうタイプの投手か分かっている。変化球もよく使って、球が動いている」と評したことがある。
捕手は峰幸代が引退した今季、切石結女と組み、23歳の自信になる結果を出した。来日以来「言葉が違うから、特に捕手とのコミュニケーションは大きなチャレンジだった」という。
以前「バッテリー間には、英語でも日本語でもない特別な言語があるわ。トヨタ・イングリッシュね」と言っていたアボット。来日当初から組んだOGの渡邉華月さんが、セレモニーにサプライズで花束を持って現れると、涙して抱き合った。
「イエス、私のライズボール」
14年間で138勝19敗、1663奪三振、防御率0.61。上野由岐子(ビックカメラ高崎)の240勝、ミッシェル・スミス(豊田自動織機、引退)の172勝に次ぐ歴代3位の勝利を挙げ、昨季までMVP4度、最多勝4度、最優秀防御率2度、ベストナイン6度。
今季限りで引退する山田恵里(デンソー)は「アボットから打たないと勝てないし、自分も成長できないと思っていた。ライトへ本塁打を打ったことがあって、まさかアボットから本塁打を打てるとは思わなかったので、うれしかった」という。
一方でこの間、アボットにも「球種を増やすとか打者への攻め方とか、いろんなチャレンジがあった」。マシンや動画解析などの技術が打者優位に進化し、「癖やボールの握り方を打者に見せない努力もした」。けがとも闘った。
その中で変えなかったものを聞くと、拳を握って「イエス、私のライズボールね。私という投手の象徴」と即答した。「投げるべき時は、相手が待っていると分かっても投げた。持っているものを全て出す気持ちでやって来た」
北京、東京五輪の決勝でも投げ合った上野を「ソフトボールの神様みたい。いつも勝っている(笑)。あまり調子が良くなくても、チームを勝たせられる投手」と表現したが、勝つために必要な球を投げる上野との違いが、そこにあるのかもしれない。
アボットは点差や走者などの状況以上に、目の前の打者との勝負に集中するタイプでもある。後藤が立ち上がりやイニングの先頭で走者を出して失点しがちだった時期に、「自分を信じなさい。打者に集中しなさい」と言い続けた。その後藤は東京五輪で再三、試合終盤のピンチで日本を救う。
コロナなんか乗り越えられる
アボットは世界選手権で3度米国代表となり、いずれも優勝しているが、北京五輪は銀だった。東京五輪が新型コロナウイルスの影響で延期になった20年の秋、心境を吐露している。
「すごい重圧の中でやって来て、さあという時に(20年は)キャンセルになり、(延期でなく)中止の可能性さえあった時の気持ちは、きっと分からないと思う。毎朝毎晩、そればかり考え、いても立ってもいられなかった。でも、ソフトボールは五輪から外れて長いこと我慢して来たから、たぶん他の競技の選手よりも私たちは忍耐強い。こんなこと乗り越えられるはずよ」
そうして臨んだ五輪は再び銀。決勝でも後藤が好リリーフをした。米国のチャンスで「奇跡の併殺」を完成させた遊撃手・渥美万奈も、トヨタのチームメイト。峰は、決勝前の1次リーグ最終戦でマスクをかぶり、熟練のリードで米国打者のデータを採取した。
それでも五輪後はまたトヨタの一員として、日本リーグ決勝トーナメントで決勝まで進んだ。今季も新生JDリーグで力投を続け、トヨタは西地区優勝チームとなった。
選手たちへ、そして選手たちから
日本引退セレモニーでは、この日の出場4チームが整列。スピーチに立ったアボットは思い出や感謝の言葉を述べた後、「ここにいる全てのアスリート、将来のアスリートに伝えたい」と語りかけた。
「現状に満足しないこと。何かが起こるのを待つのではなく、自分が何かを起こすアスリートになってください。皆さんが思うより皆さんの力はすごくて、扉を開ける力を秘めているのです」
そして最後に日本語で観客席へ。「あなたの熱い応援が私にやる気を起こさせてくれました。あなたの心が私に勇気をくれました。あなたの応援がチームを一つにしてくれました。いつも自分のベストを出して、皆様に感動を与えるために私がピッチャーズマウンドに向かう姿を、どうか覚えていてください。本当にありがとうございました。Loving Softball!」
「生涯の友」と呼ぶ馬場幸子監督らトヨタの仲間とカメラに収まると、続いてシオノギ、伊予銀行、東海理化の3チームと記念撮影。選手たちが全員でシャッターに合わせて叫んだ。「ありがとう!モニカ!」
■ポストシーズン日程
JDリーグは11月5日からポストシーズンに入り、トヨタは12日のダイヤモンドシリーズ準決勝進出が決まっている。ポストシーズンの日程は次の通り。
【プレーオフ=愛知・岡崎レッドダイヤモンドスタジアム】▽5日 SGホールディングス(西3位)―ホンダ(ワイルドカード、東4位)▽6日 日立(東2位)―デンソー(同3位)、豊田自動織機(西2位)―5日の勝者
【ダイヤモンドシリーズ=千葉・ZOZOマリンスタジアム】▽12日 トヨタ(西優勝)―6日第1試合勝者、ビックカメラ高崎(東優勝)―6日第2試合勝者▽13日 決勝
(時事通信社 若林哲治)