金澤美冬・おじさん専門ライフキャリアコンサルタント
先日、60代のイメージについて考えさせられる出来事がありました。ある媒体の方からインタビューを受けた際に、私が「今の60代はめちゃくちゃ元気で」と言ったところが、原稿になって返ってきたときには、「今の60代はまだまだお元気で」という文言に変わっていたのです。
きっと記者の方は気を使い、優しく丁寧な言葉に直してくださったのだと思いますが、ちょっとした違和感を覚えました。つまり、「まだまだお元気で」の「まだまだ」という言葉からは、もう元気じゃないはずなのになんとかだましだまし元気さを装っているように感じてしまったのと、「お元気」と「お」を付けてしまうと、60代はなんだか守ってあげなきゃいけないはかない存在のようで、どちらも私の60代のイメージと違ったのでそれが違和感に繋がったのだと思いました。
実際、今の60代というと、守ってあげなきゃいけない対象どころか、ちょっとくらいビシバシ刺激を与えても大丈夫な感じ。「めちゃくちゃ元気」がちょうどいい、それが今の60代だと思っています。ではなぜ60代についてのイメージに食い違いが生じるのかと考えたときに、「まだまだお元気で」と言う方は、昔の60代のイメージのままなのではないか、と考え、今回は今(令和)の60代と昔(昭和)の60代について考えてみたいと思いました。
おじさんも見た目が100パーセント?
先月、久しぶりに学生時代アルバイトをしていたパン屋さんに立ち寄ったところ、現在60代半ばのご主人の顔がツルツルピチピチだったので、何かやっているのか聞いたところ、よくぞ聞いてくれましたと「実は最近エステに行ったり、パックをしたりしてるんだよ! 気分が明るくなるよね、肌にハリが出ると」と文字通り顔を輝かせていました。
私の周りでも奥様に「化粧水はせなあかんで」と言われお手入れをするようになるなど、お肌に気を使っている方がいます。さらに、先日、「おじさんLCC」主催で開催した『おじさんのためのやさしい装い講座』の受講者の方々は非常に前のめりで参加してくださり、質問やコメントが60個以上出てくるなど大盛況でした。お肌、服装のほか、体型や姿勢など見た目に気を使い、そしてその成果が出ている方が多いのが、この令和の時代です。
では、昭和ではどうだったのでしょうか。身だしなみくらいは気にしていたと思いますが、「男が見た目を気にするなんて」という風潮もありましたし、見た目は気にしない60代がほとんどでそこが令和と昭和の時代の違いかなあ、などと考えていました。
ところが、先日友人がフェイスブックで、手塚治虫さんの漫画に登場する60歳男性の描かれ方を紹介していたのを見て、それ以前の問題だったということが分かり、衝撃を受けました。昭和中期に描かれたというその男性の姿を見ると、腰が曲がり、歯がなくフガフガ、深いシワが刻まれ「老眼でよく見えんのォ」なんてセリフが吹き出しに書かれています。見た目を気にするかしないかという問題以前に、当時の60代と言えば相当な“おじいさん”で“おじさん”ではなかったということに驚きを禁じ得ませんでした。たしかにこの“おじいさん”には「まだまだお元気で」と声を掛けてあげたくなるのもよく分かります。
「余生」が「第2の人生」に
次に、生活についてですが、昭和の時代では、55歳で定年した後は働かずに“余生”を過ごす方がほとんどでした。平均寿命も70そこそこで、年金もバッチリの時代だったということもあります。
それでも引退後も勤勉で、孫の勉強を教えたり、家庭の語り部としての役割を担ったり、庭いじり、インコやリスの世話、子供会の役員、ジョギング、水泳、習字、墨絵など、仕事はしてないけれど生きがいを持って暮らすような方も多くいました。
逆に“ぬれ落葉”という少々ショッキングな言葉が流行語大賞に登場したのも昭和の時代です。何もすることがなくほうきにまとわりつく濡れ落葉のように、妻にまとわり付く定年後の男性をやゆした言葉ですが、その数年前には定年後の男性を“粗大ゴミ”と呼ぶこともあったようで、60代男性が定年後に自分の楽しみを見つけられず、家庭に寄り掛りきりになっている構図が浮かび上がります。
現代はというと、60代前半で約70%、60代後半でも50%近くの男性が働いています。「生活のために」「脳と体の健康のために」「誰かの役に立ちたい」「定年後こそ自分のために働いてみたい」など理由はさまざまですが、何かしら働いていたいという思いは共通しています。特に、最近聞いて印象深かったのが、「定年後の仕事は、究極の遊びだと思っている」という言葉でした。定年後こそ自分が楽しんで仕事をしたい、自分を楽しませたい、という強い思いを感じました。
好きなものを食べ、好きなことをする人生
昭和の60代の運動というと、散歩とゲートボールというイメージです。私が小さい頃、祖父に遊んでもらう際は散歩一択でした。小さいながらにも「おじいちゃんを走らせたり激しく動かせたりするのはよくない」と思っていた記憶があります。でも、今の60代を見ていると、ランニング、ゴルフ、サイクリング、ジムでエアロビや筋トレ、登山、バットの素振りなど、それぞれの体力や好みに合わせて思い思いの運動をしています。
さらに食べ物についてですが、昭和の60代はお魚やおそばなどさっぱりしたものを好んでいたように思います。おそらく小さい頃からそれで育ってきたということもあり、昔からなじみのある和食を中心に食べていたのでしょう。
かたや、今の60代はさっぱりしたものも、こってりしたものも、体によいものも悪いものも(笑)なんでも食べています。先日、私の実家でこんなことがありました。久しぶりに泊まった際の朝食前、母に「パン3個でいい?」と聞かれ、「さすがに私も40歳だし、朝からそんなに食べないよ」と言ったところ、「お父さん(私の父で70代)はいつもパン3個食べてるよ」と言われ驚きました。父はいまだに肉や揚げ物も大好きで、魚が2日続くなんてことは言語道断という雰囲気です。70代でもそうなら、いわんや60代をや、です。
ちょうど昨日、スイーツ持ち寄りお茶会を開催したのですが「罰ゲームに昆虫食を用意しよう」などとゲームに負けた人のためにと昆虫を持ち寄ったはずが、結局は「こりゃビールに合いそうだ」などと言いながら、全員で「コオロギの素揚げソース風味」を完食してしまったのでした。
こうして見てくると、昭和の60代と比べて、令和の60代は「お肌のためにパックをしてみよう」とか「定年後の仕事は究極の遊びだ」とか「ケーキに虫を付け合わせてみよう」とか、精神年齢が若く自分を楽しませようとしている方が多いと感じます。
孫におじいちゃんではなく「名前+さん付け」で呼ばせているという方もいて、祖父のイメージも“テレビのリモコン権を持つ威厳ある祖父”から“一緒に体を動かしてくれるフレンドリーな祖父”になってきています。
大人が“大人らしく”しなきゃいけない時代から、大人が“自分らしく”できる時代に確実になってきているのを感じます。自分らしく楽しげに生きる60代を間近に見ている私はやっぱり60代を守ってあげる対象ではなく、一緒に楽しみを共有する仲間と見なしているからこそ、「まだまだお元気で」という言葉に違和感を覚えたのだ、と改めて思いました。
私は今、40歳ですが、「初老」とはそもそも40歳を表していたことを思えば、今の40歳を初老と言っても本人も周りも全くピンとこないように、今の60代を「おじいさん」と捉えるのも同じようになりつつあります。
最後に、私にとって重要なことは、「おじいさん」だったはずの60代が「おじさん」のままキープ、つまり、一生の中でおじさんでいる期間が長くなる、そして日本におじさんが増える、ということです。これは、“おじさん研究家”を自認する私としてはおじさんが豊富になるという非常にありがたい時代になってきた、ということです。できるだけ長くおじさんでいてもらえるよう、あの手この手で応援してまいる所存です。
(2022年10月13日掲載)