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えっ、「秒」の定義が変わる?光格子時計ってなんだ【news深掘り】

2022年10月16日08時30分

 2030年に想定されている秒の再定義―。初夏のある日、研究機関からのプレスリリースを読んでいた私は、こんな一文におやっ、と思った。定義が変わると、1秒の長さも変化するのだろうか。そうであれば大ニュースだ。いや、そもそも現行の1秒の定義とはなんだろうか。興味を覚えた私は、日を改めて取材を申し込んだ。(時事通信社会部 渡辺恒平)

 【news深掘り】

かつては地球の自転から定義

 向かった先は、東京都小金井市にある国立研究開発法人「情報通信研究機構(NICT)」。建物の壁面を見ると、大きなデジタル時計が目を引く。通信技術やAI、サイバーセキュリティーなどの研究機関で、身近な所では日本標準時を維持・決定し、電波時計を正しく機能させる電波を発信している。

 1秒とは何か、どう定義されるのかー。応対してくれたNICTの井戸哲也・時空標準研究室長に哲学的とも思える質問を投げ掛けてみると、井戸室長は「もともとは地球の自転の1回転を基準としていました」と話し始めた。地球の一回転にかかる時間を8万6400で割った時間が1秒の長さ(24時間は8万6400秒)。「だが、技術の進歩で、実は自転が早くなったり遅くなったりしていることが分かった」のだという。

 自転速度の変動要因はいくつかあるが、たとえ話として井戸さんが挙げたのは、フィギュアスケートのスピンだ。回転中に伸ばしていた手を縮めると、選手は早く回るようになる。同じように地球でも地震などで地下の岩盤の分布が変わったり、高山の氷が解けて下流に流れたりすると、微妙に回転速度が変わることになるというわけだ。

 基準となるものが変動するのは、都合が悪い。昔の人もそう考えたようで、1960年、地球が太陽の周りを一周する「公転」を基にした定義に変更されたが、「1年かかって、ようやく1周期が分かる」という使い勝手の悪さから、長続きしなかった。

現在の原子時計、ずれは3億年に1秒

 代わって1967年に取り入れられたのが、現在も利用されている原子を使った定義だ。

 物質を構成する原子の中には、特定の周波数の電波を受けると、状態が変化する特性を持つものがある。この性質を生かして電波の振動する回数を測定することで、1秒の長さを決める方法だ。では、現在の1秒の長さはー。こう問うと、「セシウム133の共鳴周波数を9192631770ヘルツとする時間、ということです」と井戸さん。さらりと回答していただいたが、桁が多すぎる。書き直すと、およそ92億ヘルツだ。

 簡単に説明すると、測定の仕組みはこうなる。電波をアルカリ金属元素のセシウム133に当てて、電波が吸収されるように周波数を調整する。調整した結果、電波が約92億回振動する時間、これが1秒。商用の原子時計なら10万年に1秒、研究用の高精度な原子時計なら3億年かかってようやく1秒ずれる程度の精度があり、NICTでは18台のセシウム原子時計を動かし、平均を出して日本標準時を計測している。

 ちなみに、世界の時刻の基準となる「協定世界時」(UTC)を計測するため、世界中の研究機関で利用されている400台以上の原子時計のうち、約35台はNICTの原子時計だ。

次世代型はさらに高精度

 3億年に1秒のずれ。そんな原子時計を、さらに上回る精度を誇る時計が現れ始めた。

 その一つが、東京大学の香取秀俊教授が2001年に提唱した「光格子時計」だ。光も電波と同じ電磁波の一種だが、電波よりもさらに細かく振動する。「より細かい目盛りの物差し」で1秒を決めることができ、その精度は300億年かかって、ようやく1秒ずれるという代物。宇宙誕生から現在までが138億年であることを考えると、驚異的な精度が伝わってくる。

 NICTが開発した光格子時計を見せてもらった。ちょっとした会議室くらいの広さがある部屋全体に装置が広がっているが、秒針や文字盤らしきものは見当たらない。案内役の蜂須英和主任研究員に確認すると、「部屋全体で光格子時計です」とのこと。数多くのレーザー装置や鏡、レンズ、ケーブルが組み合わさった光景は、もはや何かの実験装置。部屋を暗くしてレーザーをともすと、装置は鈍い青色に光り輝いた。

 原理はこうだ。真空槽と呼ばれる装置に入れられたアルカリ土類金属元素のストロンチウムを原子ビームとして放出し、複数のレーザーを使ってほぼ絶対零度まで冷却する。続いて、特殊な波長のレーザーを使って、ちょうど鶏卵のパッケージのようなくぼみが格子状に並んだ空間を作り、そのくぼみにストロンチウム原子を閉じ込める。この状態のストロンチウム原子に周波数を測定するためのレーザーを照射し、レーザーが吸収される周波数を探すことで、超精密な1秒を割り出すー。レーザー光で格子を作り出すことから、「光格子時計」と名付けられたという。

 光格子時計の強みは、一度に多くの原子を測定できる点にある。光を使った時計には、「単一イオン時計」と呼ばれる、イオンを真空中に閉じ込めて測定する方法もあるが、光格子時計なら、単一イオン時計で一週間かかるような測定も数時間で終えることができるという。

超高精度がもたらすもの

 この光格子時計の登場で浮上したのが、秒の定義の見直しだ。「より安定した物差しが手に入るのに、世界のルールが『ふらふらする物差しを使え』という状況は良くない」(井戸さん)。そんな認識が科学界で広がり、2022年11月に予定される国際度量衡総会で、「2030年に秒の再定義ができるように努めましょう」という趣旨の決議が採択される見込みなのだという。新たな定義では「光の周波数を使った方式」が採用される見通しで、光格子時計はその中でも有力な候補と目されている。

 話を聞いているうちに、ふと、「なぜこんなに精密さを求めるのだろうか」と気になってきた。精密であるに越したことはないのはもちろんだが、そこまで厳密な必要ってある? こんな素人質問に対し、井戸さんは「時計によって、重力の変化が検出できるかもしれない」と答えた。

 かの有名なアインシュタインの一般相対性理論によると、時間の進みは、重力の影響が強いほど遅くなる。光格子時計ほどの精度があれば、従来はなかなか難しかった変化の測定ができ、その結果、例えば地下に質量の大きい鉱物資源があるかどうかが分かったり、火山の地下でのマグマの移動などを検出したりすることが可能になるかもしれないのだそうだ。

 また、光格子時計が普及すれば、携帯電話や通信機器の時計も精度が上がる。スムーズにデータをやりとりするには、送信側と受信側の時計を合わせて、タイミングを合わせて送受信する必要がある。現在は若干のタイムラグが生じているデータのやりとりが即座に始められ、低遅延な通信が実現するかもしれない。

秒の長さ、変わります?

 秒の定義が見直されると、1秒の長さが変わったり、何か日常に影響が出てくるのだろうかー。取材のきっかけとなった質問をぶつけると、井戸さんは「それはないです。原子時計が採用された時だって、1日や1秒の長さは別に変わってないでしょう?」と笑った。今後、具体的な議論が進む秒の再定義に向け、「光格子時計で安定的に協定世界時を維持できる、と確認するのが一つの大きなタスク」という。

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