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「月光荘」というスタイル 100年の伝統に新たな色添え【銀座探訪】

2022年10月27日11時00分

 流行の先端を行く海外高級ブランド店とともに、日本の老舗が共存する東京・銀座。世界トップクラスのこの繁華街もコロナ禍による打撃を免れなかったが、伝統に新たな色を添え、次の時代を切り開こうという試みがある。1917年創業の画材店「月光荘」は、そうした姿勢を持った老舗の一つだ。

<日比康造さんインタビューはこちら>

 銀座8丁目、月光荘から歩いてすぐの場所にある5階建ての古いビル。エレベーターはなく、階段を一つ一つ上がって屋上にたどり着くと、アンティークのテーブルと椅子が置かれた中庭が現れる。その向こうにある部屋は、洋酒のボトルが壁に並んだカフェバー。銀座にいることを一瞬忘れそうな静かな空間だ。

 隠れ家みたいなこのスペースは「月のはなれ」と呼ばれ、画材の製造販売とギャラリー運営を行う月光荘グループが経営している。昼はカフェ、夜はクレオール料理が名物のレストランバー。庭木に囲まれた屋外席からは文字通り、月が見えることもある。取材で訪れた日の夜は、ミュージシャンが生演奏するジャズギターの柔らかい音が流れていた。


◇画材店とカフェバーの関係

 画材店とカフェバーとは一見、意外な組み合わせだ。月光荘3代目社長の日比康造さん(47)は言う。「ここをサロンにしようと僕が10年前に提案したときに、賛同した人はゼロでした。だけどひたすら想像しました。人々がどういう風に入ってきて、どこでどうオーダーして、どんな笑い声が生まれるかって。オープンした当初は、頭の中で僕が鳴らしていた音なのか、実際にお客さんが出している音なのかが一瞬分からなくなったほどでした」

 2013年にスタートした「月のはなれ」は豊かな想像力のたまものとも言えるが、現役のミュージシャンで自身も表現者である日比さんにしてみれば必然の発想だったのかもしれない。店内にはアーティストの作品を展示するスペースを設置。絵画や写真、陶芸、彫刻など展示物を数週間ごとに入れ替え、お客さんは気に入ったものがあれば買うこともできる。取材した日はコーヒーカップが並んでいた。アーティストにとっては作品を発表し、収入を得られる貴重な場となる。

 出演者が日替わりのライブ演奏も、この店ならでは。お客さんは小さな袋の中にチップを入れて帰る。金額は自由。ビール1杯分でもボトル1本分でも、楽しく過ごせた気持ちの分をお願いします、という趣旨だ。「文化は拍手だけでは育たない。豊かさは共感から始まる」という思いがそこにある。

 絵画などの作品と音楽が同居するスタイルは、月光荘にとって「原点回帰」に近いものだと日比さんは言う。「昔の月光荘が現代に花開いているという感じですね。昔の写真を見ると、トランペットを吹いたり、バイオリンやアコーディオンを弾いたりしているものがたくさんあるんです。お店のマークもホルン。絵具屋なのに楽器なんです」


◇「ホルン」にこめた意味

 「色感と音感は人生の宝物」。これは月光荘が受け継いできた理念であり、まさに店の成り立ちと歴史を物語っている。

 月光荘を語るとき、日比さんの祖父で創業者の橋本兵蔵さん(1990年死去)を欠かすことはできない。兵蔵さんは1894年に富山県の上市町で生まれた。読書が好きで、広い世界を自分の目で見たいという気持ちを抑えきれず、18歳のある日、一人で列車に飛び乗って東京へ向かった。郵便配達や運転手などをして数年後、ある家に住み込みで働き始める。偶然、その向かいにあったのが歌人・与謝野晶子の家だった。

 晶子の歌集の愛読者でもあった兵蔵さんは、思い切ってドアのベルを鳴らした。鉄幹・晶子夫妻は快く迎え入れ、自宅に集まる詩人や画家、歌舞伎役者らジャンルを超えた文化人を紹介してくれるようになった。

 彼らが語る言葉に耳を傾ける兵蔵さんはかわいがられ、芸術家の役に立ちたいという思いを募らせる。当時の画家が画材の入手に苦労していることを知り、まずは絵の具の輸入を始めた。荷が港に着くと、自転車に乗ってアトリエまで届ける日々が続いた。

 懸命に働いて資金をため、1917年に東京・新宿に画材店を開業。このとき、晶子がはなむけに詠んだ短歌がある。

 大空の月の中より君来しや ひるも光りぬ夜も光りぬ

 芸術家の作品が太陽なら、それを支える画材店は月。月の光のように、優しく変わらず照らし続けてほしい。そんな思いを込めた歌から「月光荘」の名がつけられた。

 トレードマークのホルンも、与謝野夫妻を中心とした文化人のグループが考案したもの。ヨーロッパの貴族が森で狩りをする際に、角笛を吹いて仲間たちと連絡を取ったという言い伝えがもとになっている。夫妻のもとに多くの文化人が集まったように、「友を呼ぶホルン」を掲げた月光荘は、名だたる画家の信頼を集めていった。

 1939年には中庭でコーヒーを飲めるサロンを開設した。「与謝野さんつながりの方がたくさん来ていたようです。芸術家の卵も集まっていたようで。たまたまそこに集まっていた人たちが最後はすごい先生になったりしているけれど、当時に戻れば、アートが好きな若者が集まってにぎやかにやっていたということだと思います」と日比さん。画材店でありながら音楽も横にあり、芸術を愛する心で結ばれた仲間の輪が広がった。

◇「月光荘おじさん」の思いは消えない

 月光荘が洋画界に残した功績は大きい。兵蔵さんは1940年に疎開先の富山県宇奈月の自家炉で「コバルトブルー」の製法を発見し、顔料から作った純国産油絵の具の第1号を完成させた。戦時中も絵の具作りの火を絶やさず、藤田嗣治らが描いた当時の戦争画はすべて月光荘の絵の具が使われたという。「月光荘おじさん」として親しまれた兵蔵さんは、家も地所も担保に入れ、借金を抱えながら絵の具の研究を続けた。画家の要望を聞いて数々の優れた絵の具と画材を開発。現在もオリジナル製品だけを販売している。

 店は1945年に空襲で灰となり、3年後には銀座に拠点を移して再出発。大きな苦難が訪れた時期もあったが、芸術に広く親しんでもらうための遊び心は今も消えない。

 「月のはなれ」には「アナタスケッチ」と「お絵描きセット」というメニューがある。前者は、お客さんがテーブルで自由に過ごしている姿を画家が観察して、1枚の絵に仕上げるもの。来店したカップルの男性がこっそりオーダーし、女性にプレゼントすることも多いとか。後者はお客さんに画材を提供して、テーブルで気ままに水彩画を描いてもらうサービスだ。

 2021年には埼玉県三芳町にある絵の具工場を改装し、「月光荘ファルベ」と名付けたカフェバーをオープンした。「月のはなれ」と同様にアーティストの作品展示があり、週末にはライブ演奏が行われることもある。最大の特徴の一つは、絵の具を製造する職人の姿をガラス越しに見られること。そしてもう一つはアトリエ付きの部屋をアーティストに提供し、住み込みで創作活動に専念してもらっていることだろう。

 月光荘の創業者である兵蔵さんは生前、アーティスト村を作って自給自足の豊かな暮らしを実現する夢を親しい友人に打ち明けていたという。孫の日比さんも、祖父の夢を受け継いでいる。「僕たちも虎視眈々(こしたんたん)と、そのようなコミュニティーを作りたいという思いはずっと胸に秘めています。画材店というくくりではなく、月光荘というアイデア。月光荘という生き方、ライフスタイルというものを確立していきたいと思っています」

(時事ドットコム編集部・冨田政裕、カメラ・山本祐也 2022年10月27日掲載)

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