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「中傷がエンタメに…」女性を追い詰めた匿名の第三者◆10月法改正、SNSは変わるのか【時事ドットコム取材班】

2022年10月01日08時30分

 ネット上の誹謗(ひぼう)中傷対策が進んでいる。侮辱罪の厳罰化に続き、2022年10月から投稿者情報の開示手続きが簡略化された。いわれのない悪口を書き込まれたり、何気ない投稿で誰かを傷つけてしまったり。こうした法整備で、SNSは「中傷の温床」から脱却できるのか。誰もが被害者にも加害者にもなり得るネットトラブルの最前線を追った。(時事ドットコム編集部 太田宇律

 【時事コム取材班】

匿名の「追及」厚さ10センチ

 「SNSでは、匿名で他人を攻撃することが『エンタメ化』していると思います」。名古屋市内で取材に応じた30代の女性会社員は、そう言って目を伏せた。女性は、趣味の漫画制作で「他人のキャラクターをなぞって盗作しているのではないか」と疑われ、半年ほど前から匿名の中傷にさらされ続けている。匿名掲示板には「漫画のイベント会場に本人の写真を撮りに行く」などの書き込みや、自宅を特定しようとする動きも。女性は不眠や体の震えといった症状に悩まされるようになり、「適応障害」と診断された。

 女性が「なぞった」とされたキャラの絵は、女性が作画した時よりも後に公開されたものだったが、ネット上では第三者による「追及」が過熱。女性の顔写真を勝手に使ったなりすましが現れたり、「盗人」「死ね」「筆を折るべきだ」といったメッセージが殺到したりした。

 警察に相談するために投稿を印刷すると、積み上がった紙の厚さは10センチを超えた。民事訴訟を起こすことも視野に弁護士に相談したが、悪質な書き込みに絞って投稿者を特定するだけで約500万円掛かると分かり、「相手が賠償に応じないリスクもあり、断念せざるを得なかった」と話す。

厳罰化、見えた変化は…

 中傷が始まって3カ月がたった22年6月、侮辱罪を厳罰化する改正刑法が成立し、翌月施行された。罰則の上限は刑法上最も軽い「拘留または科料」から「1年以下の懲役もしくは禁錮、30万円以下の罰金」に引き上げられ、投稿者特定に時間がかかっても起訴できるよう、公訴時効は1年から3年に延長された。

 改正法の成立前後から、SNS上では、批判的な書き込みが「侮辱罪に当たる」などと指摘され、投稿者が書き込みを削除するケースが見られた。女性も「中傷の内容や量は変わらなかったが、『この時期によくこんな投稿ができるな』と警告してくれる人が増えた」と振り返る。第三者からの警告で投稿を消し、謝罪してきた投稿者もいたという。

 厳罰化を受け、被害に遭いやすい芸能人からは「(中傷投稿が)減った気がする」「法整備ってすごい」と効果を実感する声や、「(SNSも)マナーを守って楽しむまともな世界になってゆきますように」と願うツイートが相次いだ。ただ、女性によると、謝罪してきた投稿者はごく一部。「ほとんどの人は自分と無関係のトラブルを都合よく利用して、安全圏から他人をたたくことを楽しんでいる」と訴えた。

誰もが当事者、保険や漫画も

 ネット上でのプライバシー侵害や名誉毀損(きそん)といった被害相談を受け付ける「違法・有害情報相談センター」(総務省委託)には、21年度だけで6329件の相談が寄せられ、10年前の4倍以上に増加している。総務省が22年5月に公表したアンケートによると、過去1年間にSNSを利用したことがある1658人のうち、ほぼ半数が「他人を傷つける投稿を目撃したことがある」と回答。8.9%が、直接そうした被害を受けたことがあると答えた。

 SNSの普及と共に急速に社会問題化したネット中傷。関心の高まりを受け、さまざまな関連商品が登場している。

 ジェイコム少額短期保険(東京)は20年11月から、中傷被害者の弁護士費用や、意図せず加害者になった場合の賠償金などを100万円まで補償する保険を提供。「SNS利用に不安を感じるお年寄りのほか、学校で1人1台の端末が支給された影響か、児童・生徒の家庭や教員からも相談が寄せられている」(広報担当者)という。

 21年春に連載が始まったウェブ漫画「しょせん他人事ですから~とある弁護士の本音の仕事~」(白泉社)は、中傷被害者を風変わりな弁護士が救済するストーリーだ。法的手続きや、被害者、加害者双方の心情がリアルに描写され、電子書籍販売の累計が70万部を突破するヒット作となった。編集者の大野木貴史さんは「多くの読者が、中傷事件を『自分ごと』としてとらえている。この作品が被害に悩む人にとって励ましや参考になれば」と話す。

SNS、10月から変わる?

 侮辱罪を厳罰化した改正刑法に続き、10月施行の「改正プロバイダー責任制限法」では、悪質投稿者の特定手続きが簡略化された。具体的に何が変わり、SNSにどんな影響を及ぼすのか。SNSの普及当初から多くのネット中傷事件に携わり、漫画「しょせん他人事ですから」の法律監修も務める清水陽平弁護士に聞いた。

 新しい手続きのポイントは、裁判所がSNS運営会社と通信事業者に対し、1回の手続きで投稿者情報の開示命令を出せるようになったことだ。従来は、先にSNS運営会社から通信記録の開示を受けないと、投稿者が使った通信事業者を割り出せず、身元特定に1年以上かかることもあった。清水弁護士は「新手続きにより、裁判所は柔軟に命令を出せる。法務省などの要請で、海外のSNS運営企業が日本での法人登記を進めていることもあり、開示期間の大幅な短縮が見込める」と期待する。

 侮辱罪も含めた一連の法改正は、ネット中傷の抑止力になるのだろうか。そう尋ねると、「正直なところ、今後も被害の実態はあまり変わらないのではないか」という答えが返ってきた。清水弁護士に寄せられる中傷被害の相談件数は、厳罰化前後で変化していないのだという。プロバイダー責任制限法の改正も「あくまで投稿者情報開示までの期間が短くなるだけ。開示自体が認められやすくなったわけではない」と話す。

 「無数の投稿者が個人を中傷する『殺到型』の場合、1件1件の投稿は侮辱罪に当たらないケースが多い」とも説明した清水弁護士。投稿者の情報開示を広く認めたり、侮辱罪の適用範囲を拡大させたりすれば、正当な意見も書き込みにくくなる恐れもあり、「法規制だけで問題を解決するのは困難だ。悪質な投稿を見えにくくするなど、SNS運営側の工夫が求められる」と話す。

 厳罰化を受けた変化と言えば、「自分の投稿は処罰の対象になるのか」との問い合わせが増えたことぐらいだという。清水弁護士は「加害者の大半は、自分の投稿は中傷ではなく『耳の痛いアドバイス』程度に考えている。法改正を期にやめられる人は、最初から中傷などしないのかもしれない」とため息をついた。

当事者になってしまったら

 自分がネット中傷の標的になってしまった場合はどうしたらいいのだろうか。清水弁護士は「まずは証拠画像を確保することが重要。削除される前に投稿内容と時刻、URLが表示された画面をスクリーンショット機能などで保存しておくといい」とアドバイスする。中傷に対して反応すべきかどうかはケース・バイ・ケースだ。はっきりと否定した方がいいこともあれば、反論が火に油を注いでしまうこともある。個別に対応せず、弁護士名義の警告文を公表する方法も有効という。

 「投稿者を特定したい」と考える被害者は多いが、訴訟費用などを考慮すると、赤字覚悟で臨むケースが多いのが現実だという。清水弁護士は「中傷の渦中にいると、悪意のある投稿が世界の全てのように感じてしまいがちだが、身の回りにはあなたの味方もいるはず」と強調し、「まずはいったんネットの世界から離れて、心の安定を図ることも大切だ」と話す。

 逆に、そのつもりがなくても、投稿で他人を傷つけてしまうことは、あり得ないことではない。怒りのコントロール方法を啓発している「日本アンガーマネジメント協会」の安藤俊介代表理事によると、中傷投稿をしてしまう背景には「自分の正しさを認めてほしい」という承認欲求があるのだという。認められないことへの怒りが、執拗(しつよう)な書き込みにつながるという指摘だ。

 安藤代表理事は「SNSでは、どんなに極端な意見でも『いいね』が付く。自分の意見は正しく、『他人に認められた』という快感をスマホ一つで味わえるため、くせになりやすい」と分析。「思い通りに動かない他人にいらだつのは、渋滞で動かない前の車に怒るのと同じで、意味がない。自分には操作できないこと、重要でないことを見分けることが大切だ」と語った。

「中傷やめたい」加害者の告白

 「自分はある人への中傷をどうしてもやめられず、何年も苦しんでいる」。冒頭で紹介した女性には、無数の中傷に交じり、こんなメールが届いたこともあった。「相手が自分の思った通りに行動しないと腹が立ってしまう。弁護士から警告が来ても投稿をやめることができない」「自分は法に裁かれないとSNSをやめられないと思う」とも記載されていたという。

 今も悪夢に悩まされ、睡眠薬がないと2時間ほどで目が覚めてしまうという女性。中傷投稿を繰り返す人を「相手が生身の人間だということが意識から欠落している」と非難する一方、「お酒やギャンブルのように、中傷行為に依存している人が、実は大勢いるのではないか。加害者側の心のケアや、対人関係の訓練も必要なのかもしれない」と話した。(2022年10月1日掲載)

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