先日大統領選の決選投票が行われ、世界的にも注目を集めたブラジルに、現在家族で暮らしています。日本人駐在家族は通常なかなか関わることのできない、いわゆる「スラム」と呼ばれる場所に住む子どもたちも通う「公立の現地校」でのボランティア活動を取材しました。
子どもたちの温かな交流の素晴らしさと共に、彼らが住むブラジルのリアルな現状をレポートした【第1回】に続き、【第2回】ではイベントを作り上げた日本人ボランティアの方々にお話を伺いました。治安や貧富の差からくる安全面の問題や、英語もほとんど通じないという言語の壁など様々な理由から、ブラジルでは交流範囲が限られることの多い日本人駐在家族ですが、なぜ幅広いバックグラウンドを持つ児童が通う公立現地校で、日本の子どもたちが主体となるイベントを実現されたのでしょうか。(ライター 佐々木はる菜)
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着古したキャラTシャツが「ブランド物」?!
たくさんのハードルを越えながらの交流会の企画と実施に対して、どれだけの覚悟を持って臨まれたのだろうと、ボランティアの中心となった高島麻里さんに改めてお話を聞いたところ、とても自然体だったことになおさら驚きを感じました。
「たまたま取りまとめをしたのが私だったというだけで、この活動が形になったのは、さまざまな方との出会いや協力があったからこそ。縁あって一時期でも住むことになったブラジルに対して、何かしたいと思っている方々は多いと感じています」
二人のお子さんはそれぞれ日本人学校と私立の現地校に通っており、ご自身も駐在中に勉強されてポルトガル語が堪能、日本人・ブラジル人問わず現地でのつながりが広い高島さん。今回紹介したニュースを始め、ブラジルについて彼女の発信から学んでいる人はたくさんいます。
高島さんはコロナ禍で一斉に外出禁止となった際、商売が立ち行かなくなったお店と、買い物に行けなくなってしまった日本人を繋げ、食品などを配達する仕組みを作りました。それをきっかけに現在は日本人コミュニティーの中心となっており、生活関連情報のシェアだけでなく、不要になった使える品々を集めて寄付を行うなど幅広く活動されています。でも当初は、カトリック国家であるブラジルの寄付文化を不思議な気持ちで眺めていた部分もあったといいます。
「ブラジルの8%は信じられないくらいのお金持ちで、カトリックの精神から寄付を大切に考えています。例えば、高級スーパーの前で施しを待つ人に、買ってきた商品を袋ごとあげたり、クリスマス時期にはおもちゃ屋さんの前にそういった家族連れが並び、彼らが欲しい物を聞きお店で購入してきて渡したりといった姿は珍しいものではなく、初めは少し戸惑ったくらいでした」
変化のきっかけのひとつは、「寄付するには着古し過ぎているかも」と思っていたお嬢さんのキャラクターTシャツに対して、現地校の先生が「うちの生徒たちにとっては、これが人生最初で最後の『ブランド物』になるかもしれない」と言ったことだったそう。
「安易な同情はしてはいけないし、寄付やボランティアが最善の解決策だとも思っていません。ただ、日本人同士だったらお下がりにするのも気が引けるような洋服が役に立ち、喜んでもらえると知った時、捨てるくらいならば何かできることがあるのではないか。自分も含めモノが余りがちな駐在日本人家庭と、モノが圧倒的に足りない現地を繋げられないかと考えました」
高島さんは、現地の方々との関わりの中で目の当たりにしたブラジルの現状に加え、寄付やボランティア活動に熱心な友人や、息子さんが通う私立現地校ではボランティア活動が学校の単位に組み込まれているなど、寄付やボランティアが文化として根付いていることにも影響を受けたと話します。
確かに今回のイベントをはじめ、さまざまな方の協力なしには実現しなかったことも多いと思います。ただ、日本・ブラジル双方のたくさんの人々を助けてきた高島さんだからこそ、その声に賛同し、自分も何か役に立ちたいと集まる方が多くいるのだろうと感じます。
「大きな一歩」踏み出した理由
筆者は今回の取材だけでも、言葉の壁や文化の背景が理解できていないことから戸惑い、失敗や迷惑を掛けてしまうこともありました。海外、しかもブラジルでこれだけのイベントを自分が主体となって行うことは、大変な苦労があったはずです。それを実現させた原動力はなんだったのでしょうか。
「もちろん大変でしたが、基本的に『やろうと思ってできないことはない』と思っています。そんな風に考え、色々なハードルや困難を乗り越え実現に向け行動を続けられるのは、振り返るとこれまで生きてきた中で『自分の人生にとって大切だと思える瞬間』に気づき、そこで経験し学んだことを、その後の道のりに活かそうとしてきたからではないかと考えています。
私は中学生と小学生を子育て中の親でもあるので、そんな、ともすれば『人生のターニングポイント』になり得るかもしれない機会を、子どもたちに作ることができればという思いもありました」
わが子をはじめ駐在中の子どもたちに、自分たちが今住んでいる国の現実を知り、感じてほしい。そして、これまで自分が生きてきたのとは全く違う環境と言葉も通じない中で、イベントをうまく実現するために頑張ってほしいという気持ちもあったといいます。
参加した日本の子どもたちの大半は日本人学校に通っているため、ポルトガル語ができるのは一握り。特に低学年など小さな子は、目の前に現地の児童たちがわーっと現れる場にいるだけで精一杯だったかもしれません。
でも終わってから多くの子が口にしていたのが「楽しかった! 言葉が分からなくても通じ合えるんだ」ということ。それは、彼ら一人ひとりがその場で精一杯考え行動した、何よりの証拠ではないかと感じます。
例えば私の子どもたちの場合、10歳の兄は以前習っていた剣道体験をお手伝いし、「Sim(Yes)」「Nao(No)」「OK」以外は日本語で説明していたらしいですが、持ち前の明るさでコミュニケーションし、イベントが円滑に進むようそれなりに貢献していたそうです。
一方7歳の娘は、言葉も通じず自分が思うような働きができず、普段はしっかり者で通っているタイプだからこそ歯がゆかったようで、途中で半泣きになっていました。
良い悪いではなく、そのどちらもが本当に貴重な経験だったと思います。
「人生のターニングポイント」に気づく力
帰り際、ひとりの男の子が息子を追いかけてきてくれました。
それを見て、車に乗ろうとしていた息子が彼のもとに走り寄り、学校の扉越しではありましたが笑顔でどちらからともなく自然にハイタッチをしていた姿を見た時には、親としてぐっときてしまいました。この子たちがまた会える機会はあるのだろうかと考え、それは私たち次第なのだと思い至りました。
双方の多くの子どもたちにとって「忘れられない出来事」となったであろうこのイベントですが、それがターニングポイントになるかどうかは、参加した大人を含めた私たち一人ひとり次第です。
「人生には始めと終わりがあり、その中で『これが自分のターニングポイントだ』とはっきり言える出来事は、そんなに数多くは起こらないはず。でも必ず、誰の前にも訪れると思います。それに気づくか気づかないか、一歩踏み出せるかどうかで、人生も自分自身も大きく変わる。だから、そのターニングポイントに気づける人であってほしいということは、常々子どもたちに伝えています。
月並みな言い方ですが、住む場所も、勉強する環境も道具もあるというのは実は恵まれたこと。今自分が手にしているものに気づき、それをどう使うか、どう行動するかで人生は変わっていくと思います」
という高島さんの言葉は、大人である私の胸にも強く響きました。
交流会の日に子どもたちが見せた笑顔やキラキラした目は、きっとどの国でも変わらないでしょう。だからといって、日本もブラジルも同じとは決して思いません。治安の悪さや貧困を、日本にいた時よりも目の当たりにしているからこそ、生半可なことは言えないと感じています。
一方で、自分たち家族が大きな環境の変化を経験する中で実感しているのは、どこにいても結局は、今、自分がいる場所で何ができるかに真摯(しんし)に向き合うしかないのだということです。
仕事も子育ても、そして生き方そのものも、「今日一日を誰とどのように過ごすのか」の積み重ねで、その小さなひとつひとつが人生を少しずつ動かしていくのではないでしょうか。
子どもたちだけではなく、大人になった私たちにとっても、人生のターニングポイントは今日、当たり前だと思っていた1日の中で突然、目の前に現れるかもしれません。
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佐々木 はる菜(ささき・はるな)東京都出身。リクルートを経て、結婚・出産を機にライターへ。女性誌ウェブサイトでコラム連載を手掛けるほか、ママ世代に向けた国内外のトレンドや商品・サービス、社会的な取り組みなどを幅広く取材。今年7月から子ども2人と共に夫が駐在員を勤めるブラジル・サンパウロに在住している。
(2022年11月3日掲載)