4年ぶりに30秒更新
人類は42.195キロをどれだけ速く走破することができるのか。東京五輪男子マラソンで2連覇を果たしたエリウド・キプチョゲ(37)=ケニア=は、その限界に挑み続けている。9月25日のベルリン・マラソンで2時間1分9秒の世界新記録を樹立した。自身が2018年大会で出した従来の世界記録を30秒塗り替えた。世界トップのレベルを維持するベテランは、衰えるどころか進歩が止まらない。「2時間の壁」突破への期待を大いに膨らませた。(時事通信ロンドン特派員 青木貴紀)
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世界記録の平均ペースは驚異的だ。1キロ2分52秒、5キロ換算では14分21秒。平均時速は約21キロにおよび、100メートルを17秒2で走り続けたことになる。スタート時の気温は約11度と涼しく、曇り空で風もほとんどなかった。最高のコンディションも後押しした。
レース前日の段階では、ペースメーカーは4年前の世界記録の平均を参考に1キロ2分53秒、中間点を60分50秒で通過する設定だった。キプチョゲも「チームと立てたプランはコースレコード(従来の世界記録)で走るものだった」と明かす。
スタート後、体がよく動いていることに気付いて計画を変更した。「私の脚はとても速く走っていると思った。2時間ちょうどで走ろうと思った」。前半は1キロ平均2分50秒で飛ばし、中間点は当初の設定よりも1分ほど速い59分51秒で通過。ハーフマラソンの日本記録(1時間0分0秒)を上回っており、いかに高速ペースであるかが分かる。
中間点は2時間切りペース
後半はペースが落ちたが、38キロすぎに世界記録更新を確信したという。沿道の大歓声を浴び、ラスト2.195キロはペースアップして6分16秒でまとめた。ゴール後も疲れた様子は一切見せず、関係者と抱き合い、ケニア国旗を掲げてウイニングラン。「脚も体もまだ若く感じる。一番大事なのは心で、それも新鮮で若々しい」。11月に38歳となるレジェンドは、年齢の壁を感じていない。
キプチョゲは19年10月にウィーンでの非公認レースで「2時間切り」を実現している。先導車がレーザーで理想のペースをつくり出し、風よけになるペースメーカーが入れ替わりながらサポート。1時間59分40秒で完走した。
今回、中間点の通過は当時とほぼ同じだった。レース後、「前半はスピードが出過ぎた。筋肉からエネルギーを奪ってしまった」と冷静に振り返ったが、別次元の走りを貫き、「2時間1分の壁」の目前まで迫ってみせた。公認で2時間切りのペースを体感した価値は大きい。
17戦15勝、五輪3連覇に現実味
昨夏の東京五輪で2位に1分20秒の大差をつける2時間8分38秒で圧勝し、今年3月の東京マラソンも日本国内最高タイムの2時間2分40秒で快勝した。今回のベルリンは4年ぶりの出場で4度目の制覇。マラソン通算17戦15勝と無類の強さを誇り、狙ったレースで外さない調整能力、勝負強さは並外れている。
五輪連覇は1960年ローマ、64年東京のアベベ・ビキラ(エチオピア)、76年モントリオール、80年モスクワのワルデマール・チェルピンスキー(旧東ドイツ)、そしてキプチョゲの3人だけ。開幕まで2年を切った2024年パリ五輪で、史上初となる五輪3連覇も現実味を帯びてきた。
「サブ2」まで1分10秒。不可能と思われていた領域は、はっきりと視界に入ってきた。挑戦するのか問われたキプチョゲは「別の日に考えましょう。今回の世界記録を祝う。ただ流れに身を任せ、何が起こるか見ましょう」とかわしつつ、「私は限界を信じていないし、人間には限界がないと常に言っている。最終的な限界点はまだ見えていない」とも言った。人類史上最高、最強と言えるマラソンランナーの挑戦は終わらない。
(2022年10月4日掲載)