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岸田政権が危機を突破するための「二つの選択肢」

2022年10月04日

ノンフィクション作家 塩田 潮

 岸田文雄内閣は10月4日、発足1年を迎えた。時事通信の世論調査では、1年前の2021年10月の内閣支持率は40.3%だった。以後、上昇する。22年4月は最高の52.6%、参院選後の8月も44.3%を記録したが、最新の9月は32.3%に急落した。

〔写真特集〕岸田文雄首相

 下落の直接の原因は、9月27日実施の安倍晋三元首相の国葬、安倍氏暗殺で噴き出した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題に対する批判だろう。ほかにも、現在の日本が直面する三つの危機に対する無策イメージも影響している。新型コロナウイルスの危機、日本経済衰退による先進国脱落の危機、ウクライナ侵略や台湾有事などの安全保障の危機だ。「期待外れ、役立たず、ご用済み」という国民の失望感が広がった。

 岸田首相はスタート10カ月以内の衆参選挙の乗り切りを第一目標と位置づけて「安全運転」を心掛けた。7月8日の安倍氏暗殺事件まで、大きな波乱もなく、政権維持を果たすことができた。岸田流現実主義に立った慎重な政権運営が功を奏したのも事実だ。

 それだけではない。1年目の岸田政権は「好運」が味方した感があった。

 政権獲得は菅義偉前首相の自滅に助けられた。コロナも一時、下火になる。就任直後の衆院選で勝利した。内政での無策批判が高まり始めた矢先の22年2月、ウクライナ危機に遭遇する。欧米協調路線を打ち出し、「外交の岸田」のアピールに成功した。

 参院選も勝利して続投を果たす。在任1年目、党内運営で最大派閥を擁する安倍氏の重圧に翻弄(ほんろう)される場面もあったが、安倍氏不在となり、その束縛からも解放された。

 ところが、参院選後、国葬決定と軌を一にしてツキが逃げ始めた。政権てこ入れを企図して繰り上げ実施した8月の内閣改造・自民党役員人事も「新味なし」と不評だった。

漂う「政権末期」ムード

 内閣支持率30%台は「政権の黄信号点灯」といわれるが、実際は、自ら衆議院解散を行わなければ25年夏まで衆参無選挙という「黄金の3年」を手にしている。国会は衆参とも与党過半数の「1強体制」だ。加えて、自民党則では総裁任期は「連続3期9年まで」で、30年9月までの在任が可能である。その点に着目して、旧統一教会の問題は時間の経過とともに沈静化し、岸田政権は安定を取り戻す、という楽観論もないわけではない。

 とはいえ、「果てしない汚染」という実態は容易に解消するとは思えない。表向きは安定政権にもかかわらず、首相に対する国民の視線、政権を取り巻く空気は真逆の「政権末期」のような険しさだ。岸田首相は突然、見舞った政権の危機を突破できるかどうか。

 「道は二つに一つ」と唱える厳しい見方もある。第1は正面から旧統一教会問題に立ち向かうという正攻法の戦法だ。現在の野放し状態を放置せず、負の構造を根こそぎ改める。第2はそれが不可能な場合、「リセット解散」による総選挙断行という手がある。衆議院解散による「みそぎ総選挙」を何とか勝ち抜き、出直しを図るという政局転換作戦だ。

 解散論には二つの壁が立ちはだかる。一つは23年5月に岸田首相の地元の広島の開催が決まったG7サミット(主要国首脳会議)である。何としても自身の手でと願う岸田首相は「選挙敗北・辞任」のリスクを伴うサミット前の総選挙は選択しないと思われる。

 二つ目は最高裁の二つの違憲判決に対応する法改正を実現しなければ、解散・総選挙はできないという問題がある。「1票の格差」是正のための「10増10減」法案と、在外国民の最高裁裁判官国民審査を実現するための国民審査法改正だ。

 この先、岸田首相は局面打開のために「二つに一つ」の道に挑まなければならなくなる可能性が高い。旧統一教会問題にしろ、リセット解散にしろ、自民党内の抵抗勢力に屈することなく、首相は自らの判断を実行できるかどうか、政治的パワーの有無が問われる。

「第三の道」が浮上する可能性

 政権の危機の突破には、実はもう一つ、第三の道がある。政局転換のための岸田退陣というカードだ。旧統一教会問題が解決せず、支持率はさらに低落し、リセット解散もままならない。仮に総選挙が実施できたとしても、大敗・過半数割れの心配が消えない。それなら首相交代で空気を一新するしかない。そんな声が自民党内で高まれば、23年6月退陣を想定した「広島サミット花道論」が噴出し始めるかもしれない。

 「危機の政権」の行方が今後の政治の焦点だが、時代を大きく捉えると、2022年は歴史の大きな転換点という見方も有力である。5月15日は沖縄返還50年、9月29日は日中国交正常化50年であった。加えて、戦後初の元首相暗殺事件も発生した。

 2022年は1945年の第2次世界大戦終結から77年だが、1945年の77年前は1868年で、明治維新の年だった。つまり明治維新と現在の真ん中が敗戦の年という巡り合わせである。明治維新以来の「戦前時代」の77年の後、77年間の「戦後時代」が終わり、今、次の「新時代」の入り口に立っていることになる。

 歴史的な転換点で政権を担う岸田首相は、戦後の政治で、保守本流と呼ばれた勢力の中心に位置してきた自民党の派閥「宏池会」が輩出した5人目の首相だ。宮沢喜一元首相以来、28年ぶりの宏池会首相である。

 実は現在の岸田政権は1993年に在任約2年で終わった宮沢政権との類似点が目につく。

 宮沢氏は東西冷戦終結直後の時代に政権を担い、バブル崩壊後の低迷する日本経済への対応に追われた。同時期、自民党はリクルート事件の後遺症と党内最大派閥だった竹下派の分裂で弱体化した。最後は党分裂と総選挙不振で、初めて野党転落を経験した。

 一方、岸田首相は今、ポスト冷戦終結と新冷戦開始という新事態で政権を担い、長期低迷による先進国脱落の危機という状態で、衰退阻止と再浮上・再生への対応に追われている。自民党も旧統一教会問題と党内最大派閥の旧安倍派の漂流で弱体化の気配もある。

 岸田首相は宮沢内閣時代、衆院選に初当選し、宏池会一筋で政権に到達した。政権の看板は「新しい資本主義」だが、分配と需要を重視するのが岸田流である。手本は「生活大国」や「資産倍増」を唱えたケインズ主義者の宮沢氏の経済政策と映る。

 宮沢氏は有数の政策通だったが、大きな危機の克服や転換期の大変革などには不向きなリーダーと見られた。くしくも歴史的な転換点で政権を担った岸田首相はどうか。

 在任2年目、宮沢元首相とは異なり、日本が直面する三つの危機の克服で成果を残すには、まず眼前の政権の危機を突破しなければならない。「戦後時代」に続く「新時代」のトップバッターの役割を果たせるかどうか、2023年6月までの9カ月は岸田首相にとって政権の存亡を左右する正念場である。

【著者紹介】塩田 潮(しおた・うしお) ノンフィクション作家、評論家。高知県出身。土佐高校、1970年に慶応義塾大学法学部政治学科を卒業。月刊「文藝春秋」記者などを経て、83年に独立してノンフィクション作家。同年「霞が関が震えた日」で第5回講談社ノンフィクション賞を受賞。

(2022年10月4日掲載)

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