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SNSは人を幸せにするか◆便利さと刺激への依存症(前野隆司)

2022年10月03日07時00分

前野隆司(慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼同大学ウェルビーイングリサーチセンター長)

はじめに

 SNS、インターネット、AIなどのテクノロジーは人を幸せにするのか? ということがよく議論になる。これまでに人類が経験したことのない激変。先の読めない時代。環境問題、貧困問題、少子高齢化問題、パンデミックなどの社会課題が山積する現代。テクノロジーは人類のためにどういう意味を持つのか? 特に「幸せ」について研究している私はよく質問される。テクノロジーは人を幸せにするのか、しないのか?

 私は、この議論を聞くたびに思う。過去に学べば答えは自明である。人類は進化しているのか、それとも同じことを繰り返しているのか、と考えてみていただきたい。以下に、人類20万年という視点から技術進化を捉えた後に、SNS、インターネット、AIなどのテクノロジーは人を幸せにするのかという問いについて考えてみたい。

人類20万年という視点から眺めると?

 私は、現代の激変を、産業革命以来二百数十年、という視点ではなく、人類誕生以来20万年、という視点で見るべきだと思う。拙著(1)(2)でもそのように述べてきた。人類3.1である。人類3.1とは、人類は、1~3という三つのバージョンに分かれていて、それぞれが、.0と.1に別れる、という考え方である。これは、人類の人口の変化または世界のGDPの変化を対数軸上でグラフにしてみるとわかる。図1に京都大学の広井先生の図を示した。このように、人類は経済成長期と定常期を3度経験しているのである。私は、この、成長~定常~成長~定常~成長~定常のサイクルを、人類1.0~人類1.1~人類2.0~人類2.1~人類3.0~人類3.1と名付けたのである。

 20万年前に誕生した人類は、最初、狩猟採集生活をしていた。人類1.0である。食料が潤沢な間は人口が増えるが、食料に対して人が増え過ぎると、増加は止まり定常化する(人類1.1)。そこで農耕が始まり、再び人口は増加する(人類2.0)。やがて農業にも限界が来て定常化する(人類2.1)。次には工業が起こって産業革命を経て情報化・金融化へと続く人類3.0となり、再び人口が増える。しかし、その後に地球環境の限界が到来する。日本も、育児コストの高さや女性の再就職の難しさなどが壁となって、出産数の減少による少子化が進み、定常化(人類3.1)に向かう。つまり、人類は3.0から3.1に差し掛かったあたりにいる。

 SNS、インターネット、AIなどのテクノロジーはものすごい人類初のテクノロジーだとみることもできるが、産業革命以来の人類3.0の発明の一部だとみることもできる。前者だと思うと未知のテクノロジーであるように思えるであろうが、後者だと考えるとヒントに満ちている。

 たとえば、産業革命以来、生活はどのように変わっただろうか。農業主体の生活から、工業やサービス業に従事する者が大幅に増えた生活へと生き方が抜本的に変化する中で、大きく変わった点はたくさんあろうが、典型的な例を挙げるなら、農村生活から都会生活へ、歩行や馬車から自動車へ、という変化だろうか。

 農村生活から都市生活に変わったことのメリットとデメリットは何であろうか。メリットは、生活が便利になり、刺激が増えたことだろうか。都市には文化も集積する。デメリットは、昔ながらの心のこもった人間関係が希薄化したことや、自然に触れ合う機会が減少したことではないだろうか。

 歩行や馬車から自動車への変化のメリットとデメリットは何だろうか。メリットはもちろん、高速の移動だろう。移動が、便利になる。また、車好きの人にとっては、運転のカッコよさや爽快感も醍醐味(だいごみ)だろう。デメリットは、歩いていた時には見えていた、繊細な植物や空の変化、すなわち四季の移ろいや自然の豊かさを感じる機会が減少したことではないだろうか。二酸化炭素を排出し過ぎるというデメリットもある。交通事故もある。自動車で移動する際には、歩行や汽車のときのような想定外の出会いによる豊かな交流が失われるというデメリットもあるだろう。

SNSやネット、AIなどのテクノロジーは人を幸せにするか?

 SNS、インターネット、AIなどのテクノロジーは人を幸せにするのか、という本題に入ろう。私が述べたいことは、これらも、都市生活や自動車と同じだということだ。メリットは、便利で刺激的であること。デメリットは、人間関係や、リアルな自然との触れ合いが希薄化すること。

 つまり、私が声を大にして言いたいのは、SNSの問題点は、産業革命以来のすべての物事の問題点と同じであるということだ。問題は新しくない。形を変えて繰り返している。そして、どんどん、悪化している。茹でガエルのようだ。私たちは、現時点で、いや、100年前の時点で、すでに、便利さと刺激を求め過ぎ、人との触れ合いや、自然との触れ合いを犠牲にしてきた。産業革命以来、何百年も、便利さと刺激の虜(とりこ)になってきた。もっと激しい言葉で表現するなら、依存症である。便利さと刺激への依存症。

 もちろん、それと引き換えに、安全で健康な生活を手に入れたのが現代人である。つまり、都市も自動車も、人類に大きなデメリットと大きなメリットをもたらしたのである。

悪化の一途、茹でガエルのよう

 そしてSNSもインターネットもAIも同様である。歴史は繰り返す。人類に、便利さと刺激をもたらしてくれる代わりに、人とのつながり、自然とのつながりのさらなる希薄さをもたらすだろう。そして、幸福学におけるショッキングな研究結果が知られている、便利さや刺激は刹那(せつな)的な幸せしかもたらさないのに対し、人との触れ合いや自然との触れ合いは、持続的な幸せをもたらすのである。

 おわかりだろうか。人類は、良かれと思って、発展してきた。より豊かな生活を目指して、産業革命を達成し、都市を作り、自動車を作り、インターネットを作り、SNSを作り、AIを作った。しかし、それらは諸刃の剣だったのだ。すべてのテクノロジーには、メリットとデメリットがある。使い方を間違えると、痛い目に遭う。そして、産業革命以来、実は、私たちは自らを追い込み続けているのではないだろうか。良かれと思って、選択肢を狭める方向に。茹でガエルである。


参考文献

(1)    前野隆司、前野マドカ、ウェルビーイング、日経文庫、2022

(2)    前野隆司、ディストピア禍の新・幸福論、プレジデント社、2022

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

前野隆司(まえの・たかし) 慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授兼同大学ウェルビーイングリサーチセンター長。博士(工学)。キヤノン(株)、慶應義塾大学理工学部等を経て現職。幸福学、幸福経営学、イノベーションの研究・教育を行なっている。著書に、『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社)、『ウェルビーイング』(日経文庫)、『幸せな職場の経営学』(小学館)、『幸せの日本論』(角川)、『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』(講談社現代新書)、『脳はなぜ「心」を作ったのか』(筑摩書房)など多数。

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