嶋﨑量(弁護士)
文部科学省が2021年3月に開始した「#教師のバトン」プロジェクトが、教育関係者を中心に、インターネット交流サイト(SNS)上で大きな話題になった。
このプロジェクトは、教育現場で奮闘する教員がツイッターなどのSNSで、ハッシュタグ「#教師のバトン」を付けて仕事の魅力や前向きに取り組む姿を発信するもの。質の高い教師の確保など、学校の未来に向けてバトンをつなぐ狙いがある。文科省がこの取り組みを始めた背景には、公立学校の教員の長時間労働とそれを要因とする深刻な教員不足という問題がある。
しかし、ひとたび「#教師のバトン」の投稿が始まると、文科省が想定していたであろう内容とは異なり、ツイッター上には教員の悲痛な声があふれ、「炎上」することになった。ツイッターで教員の魅力を発信するはずが、逆に多くの教員によって長時間労働が常態化している実態などが明らかにされてしまう皮肉な結果となった。
休憩時間を取れずにぼうこう炎が職業病になった、長時間労働のため自分の子どもとじっくり話す時間もない、同僚が長時間労働に耐えられず次々と辞めていく…などなど。
このような状況は、教員だけの課題ではない。人手不足や疲れ果てた教員による教育の質の低下で、影響を被る私たち社会全体の問題でもある。
「憧れの職業」と「給特法」
長らく子どもたちにとって「憧れの職業」だった教員だが、近年は志願者が減少し、深刻な教員不足に陥っている。
文科省が行った教員不足に関する実態調査によると、2022年4月の始業日時点で、全国の公立の小中学校や高校などで合わせて2558人の教員が不足している。文科省は、教員免許がなくても知識や経験のある社会人を教員として採用できる制度(特別免許制度)の積極的な活用を促さねばならない異常事態になっている。
私は、この教員不足を生み出す最大の要因は、長時間労働が放置されている教員の劣悪な労働条件と考えている。学生ら若者が政策などの提言を行う「日本若者協議会」が発表した「教員志望者減少に関する教員志望の学生向けアンケート結果」(2022年4月11日)を見ると、教員志望の学生が考える教員の労働条件の課題として、長時間労働の改善(複数回答、94%)が最も多く、それ以外にも部活動顧問など本業以外の業務が多いことなどが指摘された。
経済協力開発機構(OECD)の国際教員調査(2018年)では、1週間当たりの勤務時間は中学校で56時間と参加国の中で最も長く、参加国平均の38.3時間の約1.5倍だ。
この国際比較でも顕著な公立学校教員の長時間労働について、労働法的観点からは「給特法」(1971年に制定された「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与に関する特別措置法」の略称)の問題を指摘できる。給特法により、公立学校の教員は他の公務員一般職や私学教員と異なり、給料月額の4%相当の教職調整額が支給される代わりに、所定の労働時間を超えて残業しても残業代が支払われない仕組みになっており、教員の長時間労働がはびこる元凶となっているのだ。
発信が教員の成長の契機に
そんな中で、「#教師のバトン」プロジェクトは始まった。注目したいのは、過度に政治的中立性が求められがちな公立学校教員に対し、文科省がSNSによる情報発信の法的なお墨付きを与えたことだ。これまで教員を管理し学校に縛り付けようしていた文科省が、教員のSNSによる社会への情報発信を促したインパクトは絶大だった。
法的には、公立学校教員も労働者・市民であり、勤務時間外の私的時間をどう利用するのかは原則として自由だ。教員も私的な時間を用いてSNSを活用して情報発信する「権利」が、憲法21条の表現の自由で保障されている。
この表現の自由は、歴史的に民主主義社会において重要な権利とされてきた。それは、市民社会を形成する市民一人一人が自らが情報を受け取り、自己の思想や人格を形成発展させ、主権者として政治の意思形成の過程に関与することが、成熟した市民社会の形成にとって重要だからだ。
そして、教員がSNSなどで情報を発信することは、自身の職場環境や働き方についての理解を深め、それによって自らを規律し、自身の教育活動や働き方において成長する契機となる。子どもたちにとっても、成長の機会を得た教師から教育を受けることは好ましい影響がある。
生きたSNSの特性
「#教師のバトン」がここまでの大きなうねりになったのは、SNSの匿名性と気軽さという特性が大きい。スマートフォンさえあれば、多忙な中でも気軽に、主体的に情報を発信できる。外部から閉ざされがちな学校・教員の職場について、教員がSNS上で時には意見交換にも加わったりしながら、実態を明らかにできるようになった意義は大きい。
教員の長時間労働の是正には、「給特法」の問題点と法改正の必要性を、教育関係者にとどまらず社会に周知する取り組みが求められる。教員の長時間労働は、教員のなり手不足、教育の質の低下など社会全体に影響する問題で、誰もが無関係ではいられない。「#教師のバトン」で、教員一人一人が自ら主体的に表現の自由を行使し、学校・教員の職場の現状を明らかすることは、教育、社会の改善にもつながり、何より子どもたちのためになるのだ。
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嶋﨑 量(しまさき・ちから) 弁護士。1975年生まれ。神奈川総合法律事務所所属。日本労働弁護団常任幹事、ブラック企業対策プロジェクト事務局長などを務める。著書多数。共著に「#教師のバトン とはなんだったのか」(岩波ブックレット)などがある。