音楽評論家・柴田龍一
【今月のクラシック】Cocomi(フルート)「de l’amour」
井上道義は、独特の強靭(きょうじん)で弾力性のあるリズム感、ハードボイルドで辛口の表現などにおいて、日本人の人気指揮者たちのなかでも極めて特異な個性の持ち主であると考えることができよう。しかし、長く人気を集めてきたこの異端の名指揮者も、いつの間にか70歳を超えてしまい、2024年末にステージを去るという引退宣言を行い、ファンに惜しまれている。
一方、マーラーの第4番から第6番に至る3曲が収められたこのボックスは、1988年から90年にかけて録音されたものであり、彼の最盛期を代表する所産の一つとして注目されるべきものである。この録音の特に重要なポイントは、ロイヤル・フィルという英国の名門オーケストラを指揮したものであるだけに、演奏内容のレベルが非常に高く、それ故に井上独自の個性や魅力を最高の条件で味わうことができる点にある。3曲共に最盛期の演奏であるだけに、高い集中力と見事な力感が聴き手を驚かせる演奏であり、そこで一貫して示された引き締まった表現やダイナミックな造形感覚は、まさに井上ならではの持ち味であり、魅力にも他ならないものである。
どれもが彼の実力が満開した快演であるが、第4番など、より軽妙な演奏が多い作品では、強いエネルギーがほとばしる井上のハードな語り口が思いがけない面白さを感じさせる。ロマンチックな名作として中でも人気の高い第5番は、井上は特有の耳に心地よい一面には背を向け、シュガー・カットの味わいを思わせるような彼らしい硬派の表現で私たちを魅了する。悲劇的で荒々しいところもある第6番は、井上の芸風にマッチした作品と考えられるが、ここで繰り広げられている激烈ですごみのある表現は、作品の特性にぴったりとマッチしたドスの効いた迫力を生んでおり、筆者もそれに強く引き付けられた。引退宣言を機にもう一度聴いてみたい名演だ。(オクタヴィア・レコード)
安永徹(ヴァイオリン)、市野あゆみ(ピアノ)「ブラームス:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ全3曲」
安永徹は、1983年から2009年までの間、ベルリン・フィルの第1コンサートマスターを務めたヴァイオリニストであり、夫人の市野あゆみとの共演による多数のアルバムをリリースしている。そして、このブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集は、2001年7月27日に東京・紀尾井ホールで開催されたコンサートをNHKが収録したものであり、FM「ベストオブクラシック」にて放送された完全ライブ音源のCD化である。
さすがにそのポストに恥じることのない本格派の第1級の名演であり、そこでは、ドイツ的な演奏様式の一つの理想的なあり方が見事に打ち出され、本物のブラームスを聴いたという確かな実感を筆者に与えてくれた。重量感に富んだ格調の高い彼の表現は、彫りの深い演奏解釈や堂々とした風格が強いアピールを放っており、彼がドイツにおける音楽的教養のエッセンスを深く体得した人材であることをもはっきりと印象づけている。さらにそこでは、堅固な構成力のゆるぎなさもが聴き手を引き付けることだろう。市野とのアンサンブルも深い相互理解が2人の演奏の完全な一体化を実現させていると考えてよく、ベルリンで長く研さんを積んだ市野は、安永と同質の音楽観と同様の表現の意図を携えた上ですこぶる緊密なアンサンブルを繰り広げており、これが単に正統派の最高ランクのブラームス演奏であるだけでなく、アンサンブルの境地としても比類なき世界を具現化していることは、全く否定する余地はないだろう。
この名作の規範となり得る名演であり、これを聴いた感動を一人でも多くの読者の方々と分かち合いたい気持ちでいっぱいである。他にドヴォルザーク、クララ・シューマン、クライスラーなどの作品が収められているが、このようなレベルの演奏でこれらを味わえることも幸福な体験に他ならない。(ナミ・レコード)
反田恭平(ピアノ)「第18回ショパン国際ピアノ・コンクール・ライヴ」
反田恭平は、モスクワ音楽院でミハイル・ヴォスクレセンスキーに師事した後、現在はワルシャワのショパン音楽大学でピオトル・パレチニに師事しているピアニストである。彼は、かなり以前から活発な演奏活動を繰り広げており、既にコンサート・ピアニストとしての立場を完全に確立している人材であるといってよいが、昨年10月の第18回ショパン国際ピアノ・コンクールに出場した彼は、アレクサンダー・ガジェヴと共に2位を分かち合い、1970年の内田光子に並ぶ歴代日本人最高位に昇り詰めることになった。このコンクールは、日本人入賞者の数は決して少なくないが、2位という上位入賞は快挙という以外の何物でもなく、大きく注目されてしかるべき成果に他ならない。
このアルバムには、第1次予選から本選に至るこのコンクールでの反田のすべての演奏が収められているが、これを聴いた筆者の率直な印象は、彼がもはやすっかり演奏家になりきっているという事実であり、これから世に出る若者という範疇(はんちゅう)を超えた存在である、という強い確信であった。彼のテクニックは、非常に強靱(きょうじん)であるだけでなく完成度の高さにも非凡なものがあり、さらにショパンの演奏解釈においては、この作曲家のピアノ曲独特の様式感やポーランドの特異な民族色などの描出においても、極めて適切であると同時に見事に板についており、2位の栄誉に輝くだけの裏付けをまんべんなく備えていることを痛感させた。
ショパン・コンクールの特殊性は、単にうまく弾くだけでは評価されず、ショパンの音楽のエッセンスを的確に表現できなければ、絶対に入賞は不可能である点にあるが、彼は、そうした条件をクリアする資質を十二分に備えていたのである。これは、鮮やかな快演であるだけでなく、ショパンのイデアをしっかりとつかむことに成功を収めた価値ある演奏なのだ。(東京エムプラス)
椎野伸一(ピアノ)「ザ・ベートーヴェン・コネクション」
椎野伸一は東京芸大と同大学院に学んだピアニストであるが、結論から言って日本人離れのしたとてつもない実力の持ち主である。彼はスタンダードな幅広いレパートリーも得意とする一方、フランス人以上にフランス的とさえも言えるピアニズムを縦横に操り、マニアックなフランス近代の秘曲の数々に香り高き名演を繰り広げ、その世界のファンの間で名をはせてもいる生きた伝説のような存在なのである。そして、しばらくフランスものを集中的に手掛けてきた彼は、今度はスタンダードなレパートリーに回帰し、「ザ・ベートーヴェン・コネクション」と銘打った問題意識にあふれるアルバムをリリースした。
ここでは、ベートーヴェン最後のピアノ曲である「アレグレット・クァジ・アンダンテ」というスケッチのような恐ろしく微細な小品を中間に配し、前後にシューベルトの「ソナタ第19番」とシューマンの「幻想曲」を演奏するというアイデアに富んだ選曲がなされている。これは、ベートーヴェンの影響を色濃く受けた二つの名作を楽聖最後のピアノ小品が見守る、という椎野の意図が表明された選曲なのだそうだ。椎野は著述家としても非凡な存在であるが、これは、いかにも彼らしい思索の結果を感じさせずにはおかない。
前置きがあまりにも長くなってしまったが、演奏内容に目を向けるとそこでは、椎野の個性と持ち味がほぼ理想的な状態で打ち出されている様相をたやすく感じ取ることができる。彼は、繊細で透明なタッチ、緻密にコントロールされたテクニック、明晰(めいせき)なテクスチュアを誇る表現力を存分に活用し、非常に玄人好みのするハイレヴェルで隙の無いレアリザシオン(実現性)を可能たらしめている。そこでは、ドイツのピアニストにありがちな武骨さなどは無縁であり、抽象的で理想化された作品の精神が高貴な輝きを放っているのである。(グリーンフィンレコーズ)
(2022年9月13日掲載)