「一つだけ」与えた助言は…
プロ野球ヤクルトの村上宗隆内野手(22)が、シーズン60本塁打に挑んでいる。60本は2013年にウラディミール・バレンティン(ヤクルト)がつくったプロ野球記録。ヤクルトとソフトバンクに在籍して通算301本塁打を放ったバレンティンさん(38)は今、何を思うのか。時事通信の電話インタビューに応じ、居住する米国から「60本を超えてほしい」と元チームメートにエール。自身がかつて王貞治の55本塁打を追い、三冠王を目指したシーズンを振り返りながら、思いの丈を語った。(聞き手・構成 時事通信運動部 安岡朋彦、以下敬称略)
【目次】
◇「一つだけ」与えた助言は…
◇「簡単なわけがない」56号
◇願わくは大リーグでプレーする姿を
◇ ◇ ◇
バレンティンはもちろん、村上が本塁打を量産していることを知っている。時折、インスタグラムで激励するような内容のメッセージを投稿している。19年には、そろって主力としてプレー。19歳ながら36本塁打を打った一方で、両リーグ最多の184三振を喫した村上に、「三振を恐れるな」と助言を与えていたという。
―インスタグラムで村上に関するコメントをしているが、米国でもスワローズの試合は見られるのか。
試合は見ていないんだ。
―ではニュースをチェックしているのか。
ニュースを見ているわけでもない。いろんな人が携帯に連絡をくれて、村上が素晴らしいシーズンを送っていて、僕の記録を破ろうとしていることを知った。
―バレンティンが、若き日の村上の才能を評価していたことはよく知られている。
村上がイチグン(1軍)に上がって来た時のことを覚えている。打撃を見て、パワーを見て、打席での(ボール球を振らない)規律を見て、すごい選手になると思った。誰かしらに「彼は僕の記録を破ることができるただ一人の日本選手になるだろう」とも言った。
―どうしてすごい選手になると思ったのか。
19歳の子が36本もホームランを打ったんだ。それが多くを物語っているだろう。若い選手が年齢を重ねて、試合に出て経験を積んで熟成すれば、さらにいい打者になるものだ。
―打者としての強みをどう見ているか。
「エブリシング」(全部)
―どういう意味か。
つまり、パワーを生かして長打が打てるし、打率を稼ぐこともできる。前に飛ばさないといけない場面で前に飛ばすことができる。あらゆる面で素晴らしい打者ということだ。
―似たタイプの打者は誰だと思うか。
松井かな。ゴジラ松井(秀喜)だ。アングル(打球角度)が似ている。パワーもある? そうだね。
―村上は、どういう性格なのか。
とてもいい子で、文句を言わずに練習する。練習をすることが好き。素晴らしい子だ。
―これだけ打つと思ったか。まだ22歳だが。
うん。でも、こんなに早く打ったことには驚いた。ただ、僕の記録を破るような選手になることは分かっていた。
―助言を与えたことは。
一つだけ。村上は、たくさん三振してしまうことを気にし過ぎていたようだった。だから「それは気にするな」と伝えた。「なぜなら君はパワーヒッターだから。ホームランを打てば三振もしてしまうもの。だから、三振のことは気にしなくていい。試合が始まれば、バットを振れ、楽しめばいいんだ」と助言した。
「簡単なわけがない」56号
バレンティンが60本塁打をマークしたのは2013年。1964年に王貞治(巨人)が55本塁打のプロ野球記録を打ち立ててから半世紀近くにわたり、並ぶことはあっても誰も超えられなかった壁に挑んだ。相手バッテリーのマークはバレンティンに集中。記録を阻止するための四球こそなかったものの、並外れた成績を残しているがゆえにまともに勝負してもらえないことはよくあった。そんな中で、ファンの注目を一身に浴び、自身を追う記者も日ごとに増えていった。明るく気さくなバレンティンも、当時はさすがに神経質になっている様子が見られた。
―記録を破るにあたって一番難しかったことは。
何もかもが難しかった。ホームランを打つことだけでも大変なのに、55号と記録を更新する56号はもっと難しかった。配球も厳しくなっていた。ファンからも、記者からも、いろんな人からのプレッシャーを感じた。いざ記録を破るとなると、たくさんの人が来て、すごい重圧だった。簡単なわけがない。
―どうやって克服したのか。
ただ一つ取り組んでいたのは、考え過ぎないこと。周りを見ない、周りの人たちが言っていることを気にし過ぎない。ただただ試合に集中する。自分がやっていることに集中していれば、神様が助けてくれる。
―13年は野球選手として最高の思い出か。
野球選手にとって最高の瞬間というのは、たくさんあるものなんだ。僕にもたくさんある。プロ選手として最初に契約書にサインした時。プロを目指している選手はたくさんいる。それを成し遂げた瞬間というのはスペシャルだった。最初に大リーグに上がった時もスペシャルな瞬間だった。プロになってもメジャーでプレーする機会を得られない選手は、たくさん、たくさんいる。最初にヒットを打った時、ホームランを打った時もそう。日本に来られたこともスペシャルな出来事だった。日本に行きたい選手というのもたくさんいるけど、みんながみんな来られるわけではない。日本に来た(外国人選手の)全員が成功して長くプレーできるわけでもない。「ザ・ホームラン」(新記録の56号)を打てたこともスペシャル。いやスペシャル以上のものだな。一生ものの素晴らしい思い出だ。
願わくは大リーグでプレーする姿を
60本塁打はバレンティンにとってかけがえのない記録。だが、早くから才能を見抜き、成長する姿を見てきた村上に、その記録を塗り替えてほしいと願っている。言葉の端々から村上への愛情がにじむ。
―あと何本くらい打ってほしいか。(インタビュー当日の時点で55本塁打、残り12試合)
もう10本打ってほしいけど、12試合で10本というのは難しいか。だけど60号を打って、何本でもいいから、そこからさらに打ってくれれば、僕はハッピーだ。
―もし村上が60本を超えたらどんな気持ちになるだろうか。
そうなったらうれしいさ。さっき言った通り、3年前に最初に1軍で見た時、一緒にプレーした時に、「僕の記録を破ることができる唯一の日本選手になるだろう」と言ったんだから。60本と言わず、60本を超えてほしいし、65本とか、もう誰も近づけないような数字を残してほしい。
―私があなただったら、60本塁打が記録として残ってほしいなと思ってしまうかもしれない。当の本人の考えは違うのか。
それは違うかな。野球はスポーツだ。スポーツというものは、誰にでも全力を尽くすチャンスが与えられているものだ。永遠の記録なんてものはない。誰かが僕の記録に挑戦してくれるのはうれしい。(村上が記録を塗り替えたら)他の選手が出てきて、その記録に挑戦してくれることを望む。そういうことが野球というスポーツをより素晴らしいものにすると思う。
―村上は三冠王も狙える成績を残している。あなたは13年に本塁打王を取ったが、惜しくも3冠を逃した。(バレンティンは打率3割3分、131打点。2冠を獲得したDeNAのトニ・ブランコは打率3割3分3厘、136打点)
本塁打王だけを取るのもとても大変なこと。打点王だけを取るのも、やはりとても大変なこと。首位打者はもっと難しい。三つ全部取るのは驚異的だし、途方もないこと。野球人生で1度そういうチャンスが巡ってきたら、たぶん2度目は来ない。だから、村上はこの状況を楽しまないといけない。楽しんで、タイトルを取って、本塁打の新記録もつくってほしい。
―将来メジャーに行ってほしいか、それとも日本に残って…
僕は彼の幸運を祈ってる。頑張って今のような活躍を続けてもらって、願わくは大リーグでプレーする姿を見たい。米国に来たら、試合を見に行って「僕は日本で、この選手が19歳だった時を見てるんだ」と周りの人たちに言いたいね。あと、一緒に写真を撮ってもらおうかな。
◇ ◇ ◇
ウラディミール・バレンティン 1984年7月2日、オランダ領キュラソー島生まれ。自宅の裏に球場があったことがきっかけで野球を始め、同郷のアンドリュー・ジョーンズ(ブレーブス、楽天など)にあこがれてプロを目指した。2000年に米大リーグのマリナーズと契約し、07年にメジャーデビュー。11年からヤクルトでプレーし、同年から3年連続で本塁打王に輝いた。13年にはシーズン最多記録を49年ぶりに更新する60本塁打をマーク。チームは最下位だったが、セ・リーグ最優秀選手(MVP)に選ばれた。18年には打点王を獲得。20年にソフトバンクへ移籍し、21年限りで退団した。頭の形がココナツに似ていたことから「ココ」の愛称を持つ。04年アテネ五輪、13、17年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)オランダ代表。今冬はドミニカ共和国のウインターリーグで「ヒガンテス」の一員としてプレーする予定。外野手。右投げ右打ち。
(2022年9月28日掲載)