参院選の遊説中に銃撃され死去した安倍晋三元首相に対する追悼演説が10月3日召集の臨時国会で行われる見込みだ。現職議員が死去した際の慣例として続いてきた追悼演説の歴史をたどると、今日まで永田町の語り草となっている「名演説」も生まれている。登壇者の人選も含めて注目が集まる安倍氏追悼演説を前に、その習わしと過去の事例を振り返った。(時事通信政治部 中司将史)
【政界Web】前回記事は⇒カルト規制法、日本になじまず 「政治と宗教」、冷静な議論が必要 同志社大・小原教授に聞く
【目次】
◇好敵手が登壇した中選挙区時代
◇10億円の価値ある演説
◇「先生、今日は外は雪です」
◇安倍氏追悼演説に注目
好敵手が登壇した中選挙区時代
衆院では「追悼演説」、参院では「哀悼演説」と呼ばれ、遺族を本会議場の傍聴席に招いて行われる。衆院事務局によると、演説者の選定について明確な決まりはなく、中選挙区制の時代は同一選挙区の他党議員が登壇するのが通例だった。
首相や首相経験者が死去した場合、野党第1党の党首クラスが行うのが慣例。1980年の衆参同時選挙のさなかに病死した大平正芳首相の追悼演説には、社会党の飛鳥田一雄委員長が登壇した例などがある。
衆院選挙制度が1人しか当選しない小選挙区制に見直されたことを背景に、衆院議院運営委員会理事会は98年1月、演説者の基準について「遺族の意思を尊重する中で、同一県(同一ブロック)の議員の中から行うように努める」と申し合わせた。最近のケースでは、自民党の望月義夫元環境相が死去した際に佐藤勉元総務会長が、竹下亘元復興相が亡くなった時は同じ派閥の小渕優子党組織運動本部長が読むなど、同一政党の議員による演説が多くなっている。
10億円の価値ある演説
「ただいま、この壇上に立ちまして、皆さまと相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります」。今も語り継がれているのが、60年10月の臨時国会冒頭で当時の池田勇人首相が社会党の浅沼稲次郎委員長に向けて行った演説だ。
浅沼氏はこの6日前、東京都千代田区の日比谷公会堂で行われた3党首演説会で演説中、右翼青年に刺殺された。衆院解散・総選挙が間近に迫る中での凶行だった。池田氏は「その人を相手に政策の論争を行い、また、来るべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行おうと誓った好敵手の席であります」と続け、ライバルの突然の死を悼んだ。
さらに「目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたい」と、暴力による言論封殺を強く非難。議場は大きな拍手に包まれた。
「沼は演説百姓よ よごれた服にボロカバン きょうは本所の公会堂 あすは京都の辻の寺」。演説終盤には浅沼氏の友人が読んだ詩を引用し、故人の人柄を浮かび上がらせた。
池田氏の秘書を務めた新聞記者出身の伊藤昌哉氏はその著書「池田勇人その生と死」で刺殺事件について、日米安保闘争の「残り火に油をかけるおそれがある事件だった」「やり場のない国民の怒りが、池田内閣をゆるがす危険があった」と回想。だが、追悼演説は大きな反響を呼び、「のちに、池田は『あの演説は、5億円か10億円の価値があった』と持ち前の具体性を発揮して、言った」と振り返った。
「先生、今日は外は雪です」
涙を誘った演説として知られるのが、胸腺がんで死去した民主党の山本孝史氏に対し、自民党の尾辻秀久参院議長が2008年1月に行った哀悼演説だ。
山本氏の生い立ちや政治家としての活動を紹介し、小泉純一郎元首相との厚生労働委員会でのやりとりが今も語り草になっていると触れた上で、「山本先生は、わが自由民主党にとって最も手ごわい政策論争の相手でありました」とたたえた。
尾辻氏自身が厚生労働相として山本氏の質疑の答弁に立った際のエピソードも織り込み、「私が明らかに役所の用意した答弁を読みますと、先生は激しく反発されましたが、私が私の思いを率直にお答えいたしますと、幼稚な答えにも相づちを打ってくださいました」と紹介。「先生から、自分の言葉で自分の考えを誠実に説明する大切さを教えていただきました」と謙虚に語った。
自らがん患者であることを公表し、がん対策基本法の早期成立を訴えた山本氏。尾辻氏は、抗がん剤の副作用に耐えつつ仕事をしていたのだろうと思いやった。
そして演説の最終盤。「先生、今日は外は雪です。随分やせておられましたから、寒くありませんか。先生と、自殺対策推進基本法の推進の二文字を、自殺推進と読まれると困るから消してしまおうと話し合った日のことを懐かしく思い出しております」と声を詰まらせながら読んだ。
安倍氏追悼演説に注目
安倍氏の追悼演説をめぐっては、自民党が甘利明前幹事長を演説者として、いったんは8月の臨時国会での実施を目指したが、与野党から人選に異論が出て先送りされた経緯がある。
「野田佳彦元首相しかいない」。自民党のベテラン議員はこう指摘する。12年11月の党首討論で民主党政権の首相だった野田氏が安倍氏に衆院解散を宣言した。安倍氏が首相に返り咲いてからも予算委員会や本会議の代表質問で論戦を交わしてきた。
先に行われた安倍氏の国葬では、長年官房長官として安倍政権を支えた菅義偉前首相が追悼の辞を読み上げた。葬儀委員長・岸田文雄首相の弔辞ではなかった拍手が参列者から湧き起こった。別の自民党議員は「あれ以上の演説を誰がやるのか。違う立場(野党)の人にやってもらうしかない」と語った。国会での追悼演説にも注目したい。
(2022年9月30日掲載)