子ども向けクラブで活動
体操の「田中3きょうだい」として2012年ロンドン五輪にそろって出場した3人が、新風を吹き込んでいる。既に引退している和仁さん(37)と理恵さん(35)、現役の佑典選手(32)。昨年11月、子どもに体操の楽しみを教えるためのクラブを横浜市戸塚区に設立。和仁さんの妻、麻智子さんと元日本代表の佐藤巧さんもコーチを務め、クラブには元気な声が響き渡る。きょうだい3人に6月中旬、クラブ設立の背景や思いを聞いた。(時事通信運動部 長谷部良太)
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―3人そろってのインタビューとなる。
和仁さん こうやってよく3人でインタビューを受けていたのは、10年以上も前。なんか懐かしい感じ。
―新設した体操クラブの概要は。
和仁さん 主に2、3歳児から15歳までを教えています。全てのレッスンは週1回で月ごとの会費制。無料体験も受け付けています。現在の会員は190人くらい。昨年11月の設立時は99人でしたが、毎月10人ずつは増え、多い月だと20人は増えています。いいペースです。曜日によっては定員に達しているクラスもあります。
「理恵のひと言で決まった」
―どんな思いでクラブを設立したのか。
和仁さん 昨年3月に徳洲会を退職することになり、次に自分が何をしたいんだろうと考えました。(一般向けの)体操クラブなのか、(トップレベルの)選手育成なのかというところで迷い、家族、きょうだいに相談しました。なかなか踏ん切りがつかない中、理恵のひと言で決まった感じです。
―どういう言葉で背中を押したのか。
理恵さん 私自身、引退後にイベントやテレビ出演などいろいろなお仕事を楽しくさせてもらう中で、心の中では3きょうだいが育ってきた環境を、次に育っていく子供たちに伝えたかったんです。兄に「今しかないからやろうよ」と言いました。すごく悩んでいたので。2020年の年末ごろ、「みんなでやろうよ。家族でやろうよ。悩んでいる暇はないよ」と言いました。私は仕事やトークショーなどで、よく「3きょうだいは、どんな教育を受けたのか」とか「なぜ3人でオリンピックに行けたのか」と聞かれるので、その答えを示そうという気持ちもありました。
和仁さん そういう思いをどこまで伝えられるか分からないけど、まず体操を好きになってもらい、興味を持ってもらえる場所があればいいなと思って。
何かに夢中になれる環境を
理恵さん (クラブに通う子どもたちが)体操選手にならなくても、別にいいんです。体操やいろんなスポーツを経験する中で、「体のバランスってすごいな」と思ってもらえたり、体操をやっていたから違う競技に生かせたりすることもあると思うし。何かに夢中になれる環境を、ここにつくりたかったんです。
佑典選手 僕の夢でもあったんですよ。(兄のように)サクッと行動できる人もいる。自分はできないパターンのタイプですけど(笑)。姉が言うように、自分たちが育った環境を、今の時代に合う形で伝えられればいいと思います。僕たちは競技をやってきて、楽しいこともあればつらいこともあり、楽しさの中には悔しさもあり…。でも、何かに夢中になるには悔しさも必要だと思うし、それが成長につながると思うので。
和仁さん メインは競技者を育てることではなく、体操を楽しんでもらったり、少しでも興味を持ってもらったりして、子どもが笑顔になる環境をつくることです。(2016年の現役引退後に)徳洲会でコーチをやっていて思ったのは、「指導経験がないのに選手に教えるのは難しい」ということでした。でも、子どもに教えるのは楽しい。これまで、小学校などで実技指導をしたことがあって、その時もすごく楽しかった。今は、自分も楽しめている。こっちの方が向いていたんだろうなと思います。
子どもを褒める
―クラブの公式サイトには「正しく、たくさん、ほめる」の理念が書かれている。
和仁さん 何かが少しでもできた時や、できなくても、失敗しても「やろう」という姿勢が見えるなどした時、褒めるようにしています。それは、どんなことでもいい。クラスが始まる前にあいさつで並んだ時、足がピシッとそろって立っているだけでも「きれいに立ってるね」とか、順番を待っている時に「上手に待てていたね」とか。
―そういう指導の背景には、3人を育ててくれたコーチで父の章二さんの教えが根底にあるのでは。
理恵さん お父さん、お母さん(誠子さん)の両方ですね。体操教室の保護者の方は、よく自分の子どもに「並びなさい」とか「ちゃんとやって」とか声を掛けたくなるんですが、コーチのお母さんは保護者の方々に、「子供たちのいいところを五つずつくらい見つけてあげてください」と言っていたんです。「悪いところばかりを探すのではなく、いいところをたくさん見つけて、そこを褒めてあげてください」と。そうした言葉掛けをすごくしてくれたのは、私自身も子どもの頃から感じていました。今の子どもたちにも、いいところを探して、常に自信につながるような指導ができたらいいなと思っています。
父の教えは「体操を楽しめ」
佑典選手 とにかくネガティブな発言を両親から聞いたことがないんですよね。言葉や声掛けが、常に前向き。今でも情熱を持っています。体操への情熱もそうだし、日常に対しても。
理恵さん 日常でもそうだよね。お父さんは常に、「体操は遊びにいく感覚でやれ」って。
和仁さん 「練習でも試合でも、体操を楽しめ」って。
理恵さん 他の子たちが放課後に遊びにいく時も、「自分たちが体操が好きだからやっているんだろう」と送り出してくれました。「遊ぶこと、体操をすること、寝ること、全部を全力でやりなよ」とお父さんに言われたのを覚えています。寝る直前まで3人がはしゃいでいる時は、「誰が一番、座ったまま動かないでいられるか」とゲームにして、私たちの心を落ち着かせてくれました。
じゃんけんで真剣勝負
和仁さん みんなゲームにしちゃったよね。お風呂に入る時も、ガスを付けてお湯を出して温度を調整して、何分かしたらお風呂場まで確認しにいってお湯を止める時代でした。だから、ガスを付ける人、お湯を入れる人、お湯を止める人、みんなじゃんけんで決めるんですよ。
佑典選手 じゃんけんが全ての、勝負の世界(笑)。
理恵さん 負けても駄々はこねられない、勝負の世界。だからみんな、真剣にじゃんけんしました(笑)。
反抗期の「楽しい」思い出
―理恵さんは和歌山北高時代、それほど練習に打ち込んでいなかったと話していたことがある。
理恵さん 反抗期でした。そういう時も、両親は厳しくなかったんです。お母さんも「笑顔でいなさい」とか言うだけでした。「練習やれ!」とか「反抗期になるな」とかは言われなかったですね。唯一怒られたのは、高校時代に髪の毛を染めて帰った時かな。ただ、それも染めたことではなく、うそをついたことで怒られました。
和仁さん 明らかに茶色なのに「染めてない」って言っていたね(笑)。
理恵さん アハハハ(笑)。そのあと、いろんなものが飛んできた楽しい思い出があります(笑)。
和仁さん 佑典と2階で聞いていて、「絶対に今、リモコン飛んだで」って(笑)。
理恵さん 私が帰ってきた時は2人ともリビングにいたのに、怒られ始めたらスーって2階に上がっていったんですよ、2人とも!
でもそれが本当に唯一、怒られた思い出ですね。あとは一切ない。怒られた理由は、父が同じ高校の先生をやっていて、しかも生徒指導部だったんです。生徒を指導する立場なのに、その娘が…ね(笑)。
「田中家の体操」イメージ通り
―大学と社会人時代はそれぞれ所属先が違ったが、また3人が同じ場所に集まった。
和仁さん 全員が現役バリバリでやっていた頃は、所属が一緒じゃなかったことがよかったと思うんですよ。それぞれが切磋琢磨(せっさたくま)できる環境だったので、活躍できたと思うし。その後に1人(理恵)やめて、2人(自分)やめて、となってから、だんだんきょうだいで会う回数も増えてきました。
理恵さん 私は思ったことをすぐに口に出すタイプ。例えば「3きょうだいで代表入りしてロンドン五輪に行きたい」というのも、私が最初に記者会見で言いました。言うことで自分にプレッシャーをかけることができるし、口に出すことは大切だと思ったので。自分がやりたいことを声に出して、一つずつクリアしてきたので、こうして3人がまた集まっている今も、私にとっては予定通りですね。「いつかこうして家族3人で、田中家の体操をつくっていくんだ」とイメージしていました。私はあんまり(兄と弟のことを)きょうだいという感じがしなくて、小さい時から選手としてすごく尊敬してきました。私だけしか反抗期がなかったし。みんながハッピーになれる環境を私はこれからもサポートしたい。今はそれが目標です。
―理恵さんはテレビ番組やユーチューブで積極的に発信している。どんな思いで活動しているのか。
理恵さん ユーチューブはコロナの時代で家にいることが増えた時、「運動のやり方を教えてほしい」とか「気持ちが落ちてきちゃう」と周囲が話すのを聞いて、体を動かす大切さを伝えたいと思って始めました。ストレッチをしたり、少し汗を流したりすると気持ちが晴れるので。テレビの仕事は、来た仕事は全力でやることを考えていて、私を見て「体操をやってみたい」とか「スポーツをやってみたい」という気持ちを1人でも多くの方に感じてほしいと思ってやっています。
―佑典選手は今春にコナミスポーツクラブをやめ、田中体操クラブに移籍した。
佑典選手 コナミでは体操に集中させてもらい、ありがたさはめちゃめちゃ感じていますが、次のステージに行きたいということで移籍を決意しました。今も練習に集中させてもらい、試合では会員の子どもたちや親御さんに演技を見せることができています。僕の試合では子どもたちに、自分たちがやっている体操の延長線上ですごいことをやっているんだと感じてもらえたらと思うし、ただ「楽しい一日だったな」と思ってもらえるだけでもいいです。できる限りは体を動かして、演技でも言葉でも伝えていきたいです。
現役の弟に姉がエール
理恵さん 思う存分、現役を続けてください(笑)。体操を極めてもらって。五輪に2回も出て金メダルも取ったし、姉としては「もうええやないか」という気持ちも正直あるんですけど(笑)。
佑典選手 いろんな人に「まだやるんか!」って言われます(笑)。
理恵選手 でも、極めようとする姿ってすごいと思います。田中佑典の体操は他の選手と違って輝くものがあるし、夢中になることの大切さとか、子供たちにとって絶対に伝わることがあると思うので。とことん極めてもらってから、次の人生を考えてください。環境は私たちが整えておきますので(笑)。
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田中 和仁(たなか・かずひと) 田中体操クラブ代表で、メインコーチ。2012年ロンドン五輪団体総合で銀メダル。世界選手権は09年に個人総合4位、平行棒で銅。妻の麻智子さんは日大体操部の後輩だった。
田中 理恵(たなか・りえ) 田中体操クラブのゲストコーチ。日体大卒。ダイナミックな美しい体操が持ち味で、10年世界選手権で日本女子初の「エレガンス賞」に輝いた。ロンドン五輪は団体総合で8位入賞。ユーチューブではストレッチ方法や子育ての様子を配信中。
田中 佑典(たなか・ゆうすけ) 田中体操クラブ所属。団体総合はロンドン五輪で銀、15年世界選手権と16年リオデジャネイロ五輪では金メダルを獲得。14年世界選手権で個人総合銅。順大卒業後、今春までコナミスポーツに所属していた。倒立姿勢が美しい。
(2022年7月15日掲載)