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ドイツに渡り、無給のクラブで体操に打ち込む24歳 「トラジ」柏木寅冶の挑戦

現状打破へ、行動起こす

 「体操ニッポン」として五輪などで王国の地位を築いている日本の男子体操界。それでも、高校や大学を卒業後に第一線で競技を続けることができるのは、一握りのトップ選手に過ぎない。体操クラブの数は限られ、そこに入れない場合は支援してくれるスポンサーがほとんどないからだ。そんな現状を何とか打破できないか―。そう考え、行動に移したのが柏木寅冶選手だ。名前は「ともや」と読むが、周囲には「トラジ」と呼ばれる。今春ドイツに渡り、無給のクラブで体操に打ち込む24歳が、飽くなき挑戦を続ける。(時事通信運動部 長谷部良太)

◇ ◇ ◇

 柏木は神奈川県大和市出身。3歳で体操を始め、つきみ野中1年の時にジュニアのナショナルチームメンバーに選ばれた。千葉県の強豪校、市船橋高に進み、高校総体などで活躍した。今秋に開催される世界選手権にそろって代表入りした「谷川兄弟」の兄、航は一つ上の先輩、弟の翔は一つ下の後輩。日本代表の卵たちと当時、切磋琢磨(せっさたくま)していた。

 推薦で入学した早大ではU21(21歳以下)日本代表として国際大会の団体優勝も経験し、4年生の時には主将を務めた。ただ、世界トップレベルの実力を誇る日本体操界の中では、目立つ存在ではなかった。希望のクラブから声がかからず、一度は現役生活に終止符を打つ。大学卒業後は横浜の飲料会社に就職し、営業の仕事を始めた。

新生活の夏、未練消えず

 新たな生活がスタートしても、体操への未練は消えなかった。「最後までやり切れなかったという、もやもや感がある。もう1回、体操をやろう」。そう決心して夏には会社をやめ、つてを頼りに昨年2月、新潟県へ移住。新潟経営大の森赳人監督に会うためだった。日体大体操部OBの森監督は、日本オリンピック委員会(JOC)スポーツ指導者海外研修員として英国留学の経験があり、海外の事情に詳しい。

 森監督から、ドイツにプロリーグがあると聞いた。「知らなかった。日本で長く体操をやっていても、ドイツのリーグについて知っている人はわずか。ならば、自分が行くことで現地の情報を発信できる。そう思い、挑戦を決意した」

厳しい環境も承知済み

 新潟で体を鍛え直しつつ、活動資金をためるため、温泉施設で清掃や接客の業務をこなした。準備を整えると、気持ちを奮い立たせて今年4月、ドイツに渡った。

 ドイツ語は話せないものの、競技力や熱意が認められ、2部リーグのハイデルベルクと契約した。だが、「契約金もなければ給料もない」という厳しい環境。新シーズンは9月に始まり、大会を勝ち進むと賞金が出るとはいえ、「お小遣い程度らしい」と苦笑い。フランスのクラブとも契約したが、そこも無給だった。

 日本と同様に欧州でも、体操だけで暮らしていける選手はごくわずか。そんな情報も事前に調べていたため、気落ちすることはなかったという。

白井健三さんの激励コメントを励みに

 現在はハイデルベルクの監督の家で一室を借り、1日に7~8時間ほど練習する日々。語学学校でドイツ語も学び始めた。とはいえ収入源がないため、生活費は貯金頼みだ。ベビーシッターや日本語を教える仕事を検討。「ドイツ語をある程度は話せるようになったら、ジュニアの指導もしてみたい」。再び体操漬けの日々を送る「トラジ」の表情は明るい。

 励みにしているのが、世界の舞台で戦ってきた先輩からの言葉だ。昨年引退した五輪金メダリストの白井健三さんからはツイッターで「頑張ってきて」とコメントをもらい、「うれしかった」と笑顔を見せる。

大会出場、チームから「賞金」も

 6月には海外挑戦で初の実戦に臨み、フランスの大会に出場。その様子を、自身のユーチューブ・チャンネル「トラジJAPAN」で配信した。「とにかく楽しかった。客席は広くはなかったけど満席で、盛り上がった」。6種目合計で80点以上を獲得したため、所属チームから最高額の賞金1500ユーロ(約21万円)を贈られたという。

 日本では賞金が出るような大会がほとんどない。「お金のために頑張っているわけではないが、競技者としてモチベーションになる」。一方では、海外の雰囲気を肌で感じ「サッカーなどと違い、体操はドイツやフランスでもメジャースポーツではない。体操だけで生活していくのは、少し困難」。だからといって、意欲が衰えるようなことはない。

体操を続ける方法を広めるために

 新たな旅は始まったばかり。「楽しみはあるけど、不安も同じくらいある」。困難を承知の上で挑戦を続けるのは、日本以外にも体操を続ける方法があることを広めたいから。そのためには、まず自分が手本を示す必要がある。

 「単に自分が体操を頑張るだけではなく、伝えたい思いがある。体操に限らず、挑戦や、自分がしたいことをするのは大事なことだから」。熱い思いを原動力に、道を切り開いていく。

(2022年7月4日掲載)

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